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一週遅れの映画評:『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』真実はいつもアンチロマンチックラブイデオロギー。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』です。

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 確か去年、「コナンはもういいわ」って言ってたような気がするけど、はい『コナン』です、『コナン』。だってしょうがないじゃん、行ける範囲でやってる新作映画これしかなかったんだもの……ってブチブチ言ってますけど、正直結構面白かったです。少なくとも去年のよりはかなり楽しめた、コナン映画のアベレージがどのあたりにあるか知らないけど、これだけ毎年作られてるってことはこのぐらいが常態って思っていいんかねぇ……。

 で、全体的な印象としては「お前、倫理側っぽい面してめちゃくちゃやってんな?」です。順番にね、順番にいきますよ。

 今回はプラーミャ(ロシア語で炎)と名乗る国際テロリストが話の中心にいる、とみせかけていないんだけど。えっと、こいつは爆発テロを手段としていて、青とピンクの2液を混ぜ合わせることで猛烈な爆燃を起こす装置を愛用してんのね。コイツの復讐と、そのプラーミャを追う非合法組織、そして日本の警察が三つ巴になる形で話が進行していくんだけど。
 物語の大半は日本の警察、それも人気キャラの安室さんとその過去についてが占めているのね。若かりし頃の安室さんとその同期たちにある絆、殉職していった同志への想い、そして誓いをねっとりと描いていくわけです。これにはお姉さま方もうっとり、といった塩梅でやっぱこんだけ売れてる作品はサービスに余念がないなとわからせられる感じですね。
 そしてプラーミャを追う非合法組織も、過去にテロに巻き込まれ死んでいった家族の話を過不足なく入れていて「なるほど、それならこういう暴挙に出るのも致し方あるまい」といった空気を出していくわけよ。

 そういった部分にたっぷり時間を割きつつ、いつものコナンを支えるレギュラーメンバーのやり取りもあって……そうなると当然、時間が足りないわけですよね。何がって言うと「テロリスト・プラーミャの背景」を語る時間が
もうねコイツの目的が全然わからんのよ。いや今回「なぜ日本でテロ活動を起こしたか?」って部分はあるのよ、それこそねっとり男男のブロマンス語りにも関わってくるから、そこはちゃんと説明されるの。でもその前提部分。つまり「なぜプラーミャはテロリストになったのか?」って部分がマジで何も無いの
ほらあんじゃん「行き過ぎた政治思想」とか「要求を通すための交渉材料として」とか「科学的好奇心」とか「承認欲求と喝采願望」とか、色々あんじゃん?でもそういった背景が全然語られないんです。

 ここがね「うわー倫理面への配慮つえー」って感じがして
 やっぱ我々は理由を提示されるとなんとなく納得して”理解”をしてしまうわけですよね。「なるほどねー、そういったことなら多少はわかるかもなー」とか「全然共感はできんけど、そういうヤツもおるかもなぁ」みたいに。でもそういった”理解”って犯罪者を許すことに繋がるんですよ、それって個々の人々、特に罪を償った人たちに対しては絶対に必要な態度ではあるんだけど……でもテロリズムに対してそういった理解と許しを持ってしまうのって、相手に対する隙になるし、シンパを生み出してしまうんですよ。ほらアレだ「確かにロシアは悪い。だけど……」の「だけど」部分ね、そういう態度を引き出してしまうわけ。
 だからテロリストの思想を理解させない、説明しない、というのはそういった相手にとってすごく有効な姿勢なわけ。『コナン』がプラーミャの思想を説明しない/させないのは、ものすごく倫理的な振る舞いなんですよ。「逮捕し罪を償うまでは理解を示さない」っていうのは。この部分は大人も子供も楽しみにしている長寿コンテンツとしてすっごく配慮されてるのね。

 一方で、一方でですよ。
 この作品には都合2回の結婚式が挙げられるのだけど、どっちもその式は失敗するのよ。最初はただの茶番だし、2回目のはテロリスト・プラーミャの手によって。ついでにプラーミャを追う非合法組織のリーダーは「息子がテロに巻き込まれ死んだ」ことの復讐が動機だったりするの。
 ここで言われてるのって「婚姻は失敗する、あるいは大きな悲劇を呼び込む」ということなんですよ。

 さっき言ったようにプラーミャの扱い爆弾は、青とピンクの2液を混ぜると猛烈に爆燃するってものなのね。いやもうステレオタイプだって言われたらアレだけど、やっぱ青:男性/ピンク:女性みたいなイメージを喚起させるじゃない?それが混ざり合って熱く燃え上がるわけですよ、ふぅー!セックス!そして生殖!って感じがすごいのさ。
 でもコナンたちは当然にそのセックスを、じゃなくてテロを阻止したいわけ。そうなるとどうなる?そう、ふたつの液体が混じり合わなければいいわけですね。ラストは大量にブチまけられたその汁をなんとか一緒にならないように尽力することになるわけで、なんというかめちゃくちゃアンチロマンチックラブイデオロギーというか反出生主義推奨映画めいてくるわけです
 しかもその液を中和する物質まで開発されて、それによって2液は無害な緑色の液体に変わる。男女の交わりを徹底的に封じた上で、その性すらも剥奪していくといった徹底ぶり……!

 そもそも「体は子供!」の時点でコナン/新一は性として客体を奪われていて、メタ的な視線でもこのコンテンツが最終回を迎えるまで、新一を蘭の交わりは回避され続けるわけじゃない。だから『名探偵コナン』って設定の段階からロマンチックラブイデオロギーに疑問を呈していて、というかそこに至るのが元の姿に戻りたい動機の一つにはなっているのだけど、それを達成することは物語の終わりを意味するという捻れを孕んでいるわけで。
 そういった『コナン』という作品の根底をきっちり捉えた話になっているな、と感じました。いやでもこんなに堂々と「恋愛したやつは逮捕だ、逮捕!」みたいな空気を出してくるとは思ってなかった。結構めちゃくちゃ危険思想をばらまいてますよ、コイツぁ

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 次回は『マリー・ミー』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


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