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一週遅れの映画評:『仮面ライダージオウ NEXT TIME ゲイツ、マジェスティ』先を行く者と、それを追う者。

 なるべく毎週月曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『仮面ライダージオウ NEXT TIME ゲイツ、マジェスティ』です。

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 1971年7月3日。
 この日から「仮面ライダー」の歴史が始まった、と言っても過言ではないだろう。仮面ライダーがたった一人のスーパーヒーローを示す言葉から、変身ヒーローの総称へと変わった瞬間がこの日。きっとウォズならこう言ったであろう
「祝え!全ライダーが受け継ぎ、時空を超え、過去と未来をしろしめす歴史の開拓者。その名も仮面ライダー2号。ライダーの名が継承された瞬間である」

 仮面ライダー2号/一文字隼人が生まれた経緯を、多少仮面ライダーの知識を持っている人ならば「藤岡弘、が撮影中に負った怪我のため急遽誕生した」とご存じだろう。トラブルによって引き継がれた「仮面ライダー」という名前が、孤高のヒーローから連綿とつらなるヒーローたちの総称に変わったことで、V3、X、アマゾンと続きいまの01を生むことになり、そしてこれからも紡がれていく。
 そういった意味においても『ジオウ オーバークォーツァー』で語られてた「歴史の凸凹」「瞬間瞬間を必死で生きてきた」という仮面ライダーの歴史は、「その歴史がはじまった」きっかけですら凸凹で瞬瞬必生なのだ。
 
 だから2号ライダー、つまり作品の主役ライダーとは別にもう一人のライダーが登場することは重要だ。
 主人公だけでは捉えきれないテーマを、あるいは主人公からの視点だけでは取りこぼしてしまう問題を、物語のために破綻しそうになる整合性を、そういった主役には任せられない役割を担う存在として、仮面ライダーの凸凹を「均す」2号ライダーは作品を支えている。
 ……確かに2号ライダーの行いによってテーマがブレたり、新しい問題が出てきたり、よけいにしっちゃかめっちゃかになることだって大いにある。それはずっと「仮面ライダー」を見てきた人間として否定はしない。なんとか地ならししようとして色々あったことで「この凸凹、余計すごいことになってねぇ?」って結果になった事例があることは知っている。
 だがそれもまた「仮面ライダー」という作品の魅力になっていることは、間違いないのだ。
 
 主役ライダーが物語を引っ張り、それを後ろから整理していく。
 主役ライダーが世界を作る王ならば、2号ライダーはその凸凹の世界を救う正に「救世主」なのだ。
 
 だから『ジオウ』という作品の中で、ゲイツは「救世主」であり続ける。世界をイチから誕生させることはできない、ライダーが一人しかいない世界では「2号」は決して生まれることができない。
 しかし同時に「2号」であるからこそ、そこに歴史と「継承されるもの」があることを身を持って体現することができる。そういった意味でも生まれた世界を終わらせないために、世界を救う役割として2号ライダーは「救世主」であり続けるのだ。

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この話をしたツイキャスはこちらの20分ぐらいからです。


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