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一週遅れの映画評:『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』ひそやかに力強く。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』です。

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 恥ずかしいことに私は『若草物語』にほとんど接したことがなかった。
 唯一記憶にあるのはハウス食品劇場(正確には世界名作劇場)、『小公女セーラ』とか個人的には『ふしぎな島のフローネ』がやってたアレで見た『若草物語』だけで(これも正確には『愛の若草物語』)それですらめちゃくちゃおぼろげで「なんか鼻を高くしようとして、寝るとき洗濯ばさみで鼻を摘まんでる子がいたな」っていうことしか覚えてない……まぁなんでそれを覚えてるかっていうと、同じく鼻を高くしたかった私がその真似をして、マジで洗濯ばさみで鼻つまんでた時期があるからなんだけど。

 で、今回映画の『若草物語』を見るにあたって、原作をね、読んだのよ。
 ほら一応こう批評家見習い候補志望じゃん?だから基本的に原作があるものに関しては出来る限り原作を履修しておく、その上でそれを下地にしてもいいし、しなくてもいい、って立場で望んではいて。だから読んだのよ、読んだんだけど……
 
 これがま~~めちゃくちゃ良くて、原作のほうね。こう作品の凄さって色んな部分にあって、例えば驚きの展開だとか、納得させられるでも異質な理論だとか、確かな想像力なのに思いもよらない場所に連れていかれるとか……ん、まぁこの例えは私の好きな「SF」ってジャンルに偏った例すぐるけど。
 でね『若草物語』って正直そういう派手とかケレン味は全然無いのよ、いやもしかしたら発表当時はあったのかもしれないけど、今の時代でそれは皆無だわな。代わりにね、すっげー骨太。土台ががっしりしていると言うか、芯が強靭なのよ。
 
 なんていうかね、もの凄く静かな物語なの。淡々って言っていいくらい物事が進行していくのだけど、それが、ほら文学作品とかで「あえて淡々とした調子で」みたいなのでもなくて……「当人にとっては大事な日々なんだけど、他人からみたらなんて事はない日常の日記」みたいな感じで。
 でね、その中でそれぞれのキャラクターが、四人の姉妹なんだけど、それぞれがね本当にゆっくりゆっくり成長していくの。それがねぇ本当にいいんですよ!なんつーの「人間はそう簡単に変わらないよ」「でも変わっていくよ」「それも良い方に」っていうことに対する揺るぎない確信、人は少しずつでも確実に良くなっていくっていう信頼。そういう思想が全編を通してあるんです。
 
 私もさ、このキャスで何回も話してるけど、基本的に「新しいもののほうが、絶対に良いものだ」って基準で動いていて、それは個人じゃなくて人類全体で見れば、そりゃあ多少の後退もあるけど、最終的に「良い方」へ向かっている歴史があるわけで、その種としての人を肯定する気持ちが「新しいもののほうが、絶対に良いものだ」っていうことに着地している。
 
 『若草物語』の視点てそれと近いのだけど、私は結局「個人」についてはまったく信用していないのよ。全体としての「人」にはそう思っても、個人に対してはまったくそう思っていない。でも『若草物語』個人に対する信用をまったく失っていない、それはねぇ本当に強いことだと思うのよ。
 絶対に良くなると信じて、ゆっくり起きる変化をじっと待つ……それって並みの精神力じゃないと思うの。だから本当に強靭な精神がそこにはあって、でその強さがどこから来るかっていうと「優しさ」から来てて。
 
 ほんとうにじんわりとした、ゆっくりゆっくり凍えた手を体温で温めていくような、じんわりと染み渡るような優しさがね「強さ」として成立してるの。登場人物たちが全員ね、全員よ?そういう優しさを持ち合わせていて、お互いにそれぞれが良い人に変わっていくのを温かく待ちながらじぃっと待っている。
 その関係性がね、もうすげー泣けるんですよ。なんか激しい感情の起伏とかないのにね、それが日常というもののたおやかな強さとそれを支える優しさを思わせてね、すげー泣いちゃう。
 
 あのー、本当はもうちょっと違う話もあったんですよ。その例えば「フェミニズムは一人一派」って言ったりするじゃない?あれってつまり性というカテゴリーでまとめなければならない「フェミニズム」という概念自体に対するフェミニズムからの異議で、個が個として自由な選択をするとこ、「私」というのものが尊重されることを意味した言葉だと、私は思ってるんですよ。
 で『若草物語』はまぁ書かれた時代的なものもあるんだけど、やっぱり「女にとっての結婚」がすごく重要なものとして書かれているのね、でもその中で四姉妹は自分の考えや気持ちに従って「私」として選択をしていく……そういった部分に現代フェミニズムとしても見るべきところはある、それは書かれてる女性像が前時代的だからこそ批判的視点が注がれることを前提として、非常に重要。
 とか、まぁそういう話もできるんだけど、なんかちげぇなーと思って。私の話したいことは、こと『若草物語』に関してはもっと骨太な話したいなー、と思ってこうなっちゃった。
 
 ちなみに映画としては、これ『若草物語』と続編の『第二若草物語』……そう『若草物語』って全部で4巻ある大河ストーリーなんだけど、そのうち2冊を2時間にまとめてるのね。
 でさっきいったフェミニズム的視点とかを考えると、それはすごく正しくて、エンターテイメントとしてとても良い出来だと思う。
 
 ただねー、これだけガツンっと原作の方にやられちゃうと、アレだね。「早すぎる!」って思っちゃう。もっとじっくりゆっくりとしたペースで楽しみたいな、そんな気持ちになってしまいましたね。
 
 決して悪い映画じゃないのよ、ただ私の気分とは合致しなかったかな。そんな感じ。

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 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


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