見出し画像

一週遅れの映画評:『湯道』無関心に尊重せよ。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『湯道』です。

※※※※※※※※※※※※※

 今回はですね、見る作品に結構悩んだんですよ。とはいっても『湯道』『少女は卒業しない』の2択だったんですけど、まぁ話しやすいだろうなーって予想がつくのは『少女は卒業しない』の方じゃないですか。原作が朝井リョウの時点である程度の”語りやすさ”みたいなものが見えている。
 ただねー、これは完全に私の趣味なんですけど、こう「映画に出てきたものを食べる」ってのがあって。先週とかは『ボーンズ アンド オール』だったからお肉をですね。ちゃんと毎週聞いてくれてる人だけが、いま面白いと思うんですけどwお肉をむしゃむしゃ食べて。
 だから、その趣味のことを考えると『少女は卒業しない』だとちょっと寂しいと思うんですよ。わかんないけど普通に菓子パン食って終わりとかになりそうじゃん? そこで少し考えるわけ、「あれ? お風呂を”いただいた”って言えば面白くね?」って
 
 だから今週の作品は『湯道』なんですけど……いやね、これが大正解! 映画としてめちゃくちゃ面白かったし、その上で銭湯に行ってちゃんと得るものがあったんです。
 
 作品の舞台は町に古くからある、結構古い作りの銭湯なんですね。一方で私が行ったのは、いわゆるスーパー銭湯みたいな近代的なアレで、だから前提も違うし環境も全然違う。だけど共通してる部分として「知らん人と風呂に入る」が当然あるわけですよね。
 で、まぁみんな全裸ですわ。当然のことですけど、ファーオ! サービスカットですわ~~~~~~!! つーのはどうでも良いとして、全裸だからってこう開けっぴろげってこともないわけよ。タオルで前を、まぁ隠す人もいれば隠さない人もいるけど、そこには慎み深さというか、お家の風呂とはまた別の姿勢になるじゃない。
 その上でこう視界にはチンとかケツとかマンとかパイが入ってくる。でもそれを凝視なんかは絶対しない、かといって慌てて目をそらすとかも何か過剰に気にしてるみたいでキモイので、こう「お風呂でございますし? それが普通ですわね」みたいな顔して……なんで今日ちょっと語尾がお嬢様調になっちゃうんだろw まぁ、ただ視線を通過させるだけなんですの。そもそも私は眼鏡を愛する人間として浴室内は裸眼だからほぼ見えていないんですが。
 
 何が言いたいかっていうと、ここではプライベートな身体と公的な空間が共存している。もちろんそれはどんな場所でも同じなんだけど、普通はプライベートな身体は服という「壁」で公的な空間から隔離されている。その「壁」を取り払われた銭湯の中だと、プライベートな身体が剥き出しになっている。なっているんだけど、そこにはお互いの了解でもってプライベートな身体に注目しない無言の約束が取り交わされていると思うんですよ。
 つまりここではそういった精神性をまとって「壁」としている。それによって互いの身体を価値あるものと見なさず、同時に個人にとって重要だと見なす、いうなれば「無価値であるがゆえの、無関心という尊重」みたいなものが発生している。これがね、私はすごく良いって感じたんですよ。「あなたがどこのだれで、どんな身体でもどうでもいい」っていうのと「それでもあなたのプライベートな身体を汚さない」が両立していることの重要性を再確認できた気がして。
 これはね、今回『湯道』を見てから銭湯に行くってことをしなければ気づけなかったことなので、こうフィクションによって現実の認識がグッと鮮明になる楽しさ/素晴らしさがあって非常に嬉しかった。
 
 でね、いま「壁」って話をしたんですけど、スーパー銭湯じゃなくてこの『湯道』に出てくるような昔からある銭湯には、特徴的なものとして、女湯と男湯をしきる「壁」というものがあって。この「壁」って当たり前だけど視線は通さない、だけど音は通るっていう結構独特のものだと思うんですよ。
 それでこの『湯道』では、その「壁」が効果的に使われている。この銭湯では伝統的に「響き桶」っていうのがあって、夫婦とかカップルで一緒に銭湯にきたとき、「そろそろ上がろうか~」ってサインとして、「こん、こーん」と桶で浴槽を2回叩いて音を響かせる。それを相手は「わかった上がるわ~」って時は1回、「もうちょっと浸かってたいな~」って時は3回叩き返してコミュニケーションを取る……みたいのがあるのね。
 まぁそのやり取りというか風習が微笑ましくて良いんだけど、そこに加えて登場人物にひとり「奥さんから飲酒を止められてる人」がいるのね。その人が響き桶をして、それで3回つまり「まだ出ないよ」って返事があると「よっしゃよっしゃ」つって急いで風呂から出て、脱衣所でビールを飲むっていうw
 これって「壁」の位置の移動に伴ってプライベートな空間/公的な空間が拡張されているわけですよ。飲酒を禁じられているのが公的な空間で、だけで「壁」で遮断された男湯の中はこっそりビールを飲むことが許された私的な空間になっている。その姿を見ている他の男性客は「しょうがねぇなぁw」って顔をして黙っている。
 ここはさっき言った「無価値であるがゆえの、無関心という尊重」から少しだけ踏み込んだ「プライベートな空間の共有」が行われている。その言い方を変えれば「裸のつきあい」になるし、切り取りようによっては「ホモソーシャル」と呼ばれるようにもなる
 
 ホモソーシャルな関係性って、それが社会の中で有効に機能してしまうのが問題で。あくまで私的な空間でそういった友人関係であったりを作ることは問題無い、というかプライベートな人と人の友好関係ってだいたいがそういうものなわけですよ。
 だからこの『湯道』ではそういったホモソーシャルな関係構築を否定せず、けれどそれは「私的な空間に限定されるもの」ということを示して見せる。そして公的な空間にアクセスする方法として「声/コミュニケーション」があるよ、ってことを描いている
 
 作中で「銭湯って古い文化はもう無くなるものなのか?」って問題意識があるんだけど、その回答として「銭湯の持つ、こういう役割を維持することに価値はきっとある」というのを示していて、それは結局のところ銭湯だけに限定されない話として、公/私の空間がもつ役割とそこに働きかけるコミュニケーションの在り方を描いている
 そこからフィクションとしての「銭湯」が、現実の「銭湯」の受け止め方を彩っていく姿は、めちゃくちゃ面白かったです。
 
 もっとちょくちょく銭湯に行きたくなりました。風呂上がりのビールうめぇしね。

※※※※※※※※※※※※※

 次回は……私ならこれを選ぶべきなんだ! 『なのに、千輝くんが甘すぎる。』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?