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一週遅れの映画評:『ゴジラvsコング』神話の終わり/キングコングとギルガメッシュ王。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ゴジラvsコング』です。

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 いやね、これめちゃくちゃクレバーな作品だと思ったんですよ。モンスターバースっていうユニバースにおいてフェイズ1のフィナーレを飾る4作目なんですけど。
 えっと、2014年の『GODZILLA ゴジラ』からはじまって『キングコング:髑髏島の巨神』『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(KOM)』を経過しての『ゴジラ vs コング(GvsK)』なわけです。そういった流れの中にある作品だと考えると、めちゃくちゃ完成度が高くてクレバーで、でその一方で「小学生男子が大興奮!」みたいに受け止められる理由もちゃんとあるんですよ。
 
 一作目の『ゴジラ』は、ムートーっていう巨大生物がハチャメチャに暴れてて、しかも特殊能力で電子機器が動かなくなるから人類マジで打つ手無し!絶滅!みたいなところにゴジラが出現して、まぁ当然ゴジラも街を破壊し尽くすんだけど。それはそれとしてムートーを撃退してくれて海に帰っていく。そういう話でしたよね?
 これって怪獣映画であると同時に大災害(ディザスター)映画でもあるんですよ。人類にはどうしようもない自然発生した「何か」……それは竜巻だったり、津波だったり、大噴火だったり、隕石だったりするわけですけど、なんにせよ規模とパワーが強烈すぎて人間には逃げまどったり絶望したり、あるいは一刻も早く収まるように祈るぐらいしかやることがない。
 『ゴジラ』はその災害が怪獣の姿をしているだけで、本質的には自然現象の一部として描かれていて。だからムートーっていう災害に対して同じ災害のゴジラしか対処ができない。とりあえず一作目はそんな感じ。
 
 でちょっと『髑髏島』はよそ道というか「一方その頃……」な作品で、ゴジラ達とはちょっと離れた場所と時代にハイパーでかいゴリラがいるよ!みたいな。まぁゴリラだからゴジラとかより人間に近いっぽいし、なんとなく意思の疎通もできるような?そういう生物もこの世界にはいますよー、という登場人物紹介に近い立ち位置の作品だと思ってる。
 
 そこから『KOM』なんだけど、これはもう「神話」なわけですよ。一作目をディザスター映画だって定義したけど、昔から人類は様々な自然現象に仮初の姿を与えていて、精霊信仰とかアニミズムとかって話になるんだけどさ。要はとんでもない大災害が起きたとき、それを口伝していくに際して災害にわかりやすい姿を与える。『KOM』の怪獣達ってすごくその側面があって、それぞれの怪獣が自身を象徴する自然現象を背負って登場したりする。
 だから元は「災害」としての怪獣だったものが、ここでは「災害を象徴するもの」としての怪獣へと微妙にスライドしているのね。それはただそこに現象があったという事実から、それをどう解釈するか?への変化なわけですよ。なんだかわからないけどすげーことがある(災害)から、そのすげーことを理解し伝承しよう(神話)という変遷が生まれている。
 
 現象→(登場人物紹介)→神話ときて、それで今回の『GvsK』になるんですけど。まずゴジラってのは(KOMから続く)神話の存在、つまり神であるわけ。それに対してコングは巨大だし強いしかなり神っぽいんだけど、でも猿だから人っぽいところもあるし、なによりコミュニケーションが可能で、それが他の怪獣=神よりもだいぶヒトっぽい。
 だから「圧倒的な神」ゴジラに対して、「神と人の間」という存在としてコングが描かれているのね。それでその2つが戦う……こういう話ってけっこう思い当たるのない?神殺しの物語、あるいは神じゃなくてもさ何らかの怪異を滅するために「人と妖、その両方の血を持ったヤツが戦う」ってまぁよくある、けど絶対に面白い設定じゃない?
 
 だからこの『GvsK』は「神話の終わり」を描こうとしているんですよ。神に支配されていた世界、そこで人間は右往左往するしかなくて……そこに神に抵抗できる存在が現れて、神殺しを行う。そして世界は人の手に渡り、「神話の時代」から「人の時代」への移り変わりを怪獣を使って表現している。
 その構図があるな、って思ったとき思い出したのが『ギルガメッシュ叙事詩』なんですよ。

あのあれ『Fate』で有名なギルガメッシュ王、彼が主人公の物語……そう、紀元前1200年ぐらいに作られた「世界最古の物語」とも言われえるあれね。『GvsK』ってものすごく『ギルガメッシュ叙事詩』に似てるんですよ!マジで!

 そもそもギルガメッシュっていうのは神と人の間に生まれた半神半人の存在で、さっきから言ってるように怪獣とヒトの間の存在としてコングがあるわけで、これはもう完全にそういうやつじゃんね?加えて『GvsK』では地球空洞説が真実で、地球の内側には別の世界が広がっている。まぁ「はるか地の底にある世界」って神話においては大体が冥界を意味してるわけですよ。
 それでねギルガメッシュは死んだあとに冥界の神になって人類を見守る、って語られるんだけど。コングもこの物語のラストでは地底の世界で暮らしつつ、ヒトとの関係は維持されるわけじゃない。一緒、完全に一緒。
 あとギルガメッシュの友人に土から生まれたエンキドゥってのがいるんだけど、『ギルガメッシュ叙事詩』ではこのエンキドゥが泣く場面があってここでギルガメッシュは「土から生まれたエンキドゥには心がある」と気づく、これがかなり『ギルガメッシュ叙事詩』では重要なポイントになるんだけど。
 『GvsK』では役割がちょっと反転してるけど、コングとその友人である女の子とのやりとりで人々が「コングはコミュニケーション可能だ」と人々が気づくシーンあるじゃない。ここで「この怪獣は、もしかしたらヒトに近いのでは?」ってなることで協力体制を構築するきっかけになる。
 
 なにより『ギルガメッシュ叙事詩』は残ってる伝承として、ほぼ神が主役だった「神話の時代」から人間が主役へとシフトする「ヒトの時代」へ移り変わり、そのターニングポイントとも言える作品。
 だからこれが「世界最古の物語」と言われるんだけど。だから『ギルガメッシュ叙事詩』が「神話の終わり」なのと同様に、『GvsK』もまた「神話の終わり」を描いてるって点で私はすごく近い、というかほぼ一緒じゃね?ぐらいの感想を持ちましたね。
 
 そういった意味では「神話を語るのは口伝であった」という部分で、陰謀論者。あれはつまり「神話を語る巫女」で、だからテキストではなくネットラジオっていう「口伝」を使っているわけで。そこで語られるのは「神話」で、それはやっぱり人の世界の話とは違っている。
 だから神話の世界、つまりまだ人の手には渡っていない『GvsK』の世界ではそれが真実で。きっとこうやって神話の時代から人の時代に移り変わるなかで、この陰謀論者の言葉はどんどん真実から離れていってしまう。だからこの作品は「陰謀論が正しかったんだ!」っていうのとは全然違って、「怪獣が実在しないこの世界(つまり現実)で、陰謀論が真実になることはない」って言ってるんだと思う。
 
 私が「これはめちゃくちゃクレバーな作品だ」ていうのは、そういった点も含めての話。そのうえで『ギルガメッシュ叙事詩』は世界最古だけあって、こう時代が進むにつれて物語は複雑になっていくとするなら、これはかなりストレートな物語で。
 だからそれを下地にしてる『GvsK』が「小学生大興奮!」みたいになるのは、なんかすごくわかる。なんていうか、時代が移り変わったり多少は年を取っても、人間が物語から受ける喜び、その芯の部分はあまり違いはないのかもな。そういう意味で、すごく理解できた。
 
 いやー『GvsK』。悔しいけど今年一番な気がする。
 それにね、実はこれ全体の2/3ぐらいの話なんですよ。あと1/3、モンスターバースにおいて「キング」の名を冠するもう、一匹が絡む部分がもうすっごい面白かったから……そこでね、まぁ人類は「てめぇらにはまだまだ主導権はねぇぞ?」ってめちゃくちゃベコーン!やられるんだけどw

 それは是非ね、劇場で見てください!

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 次回は『100日間生きたワニ』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの13分ぐらいからです。


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