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一週遅れの映画評:『トラペジウム』無垢なる不浄。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『トラペジウム』です。

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 最近ようやくわかった、というか、たぶんまだ心の底からは理解できてないんですけど。私はそもそも自己顕示欲MAX人間なので、目立てば目立つほど嬉しくなっちゃうんですよね。そして誰もがそうだと思ってる。最近やっとね「あ、注目を集めたくない人もいるんだ……」と友人の反応を見てて理解したんですが、それは「まず精神の根の部分で”人は目立ちたい”と思っている」の上に、なんとか理性で「違うパターンもあるぞい」ってコーティングしているだけなんです。
 だからこの作品の主人公である東が「アイドルやめたい」って言われたりとか、ようやく仕事をもらえるようになって来てるのにそれを嫌がるのが理解できない気持ち、めちゃくちゃわかるんですよ

 それにねぇ……私は常々「全人類が批評を書くべきだ」って言ってますけど、これは100%本気なんですよ。いまだってガンギマリの目で行ってますからね? だから「カワイイ女の子は全員アイドルにならなくちゃいけない」「アイドルができるのって幸せなことなんだよ」って語る東ちゃんは、だいたい私です。あれはもう「同人誌作るから寄稿しろよ!」って言いまくってる私。どれだけ思慮遠望を張り巡らしても、全然上手くいかないとことか。結局なんか微妙にパッとしない印象が拭えないところも含めてw

 それでね。この作品を見てて、一番頭に残ってるのが東西南北(仮)として番組企画でアイドルデビューが始まったときの「大人たちが全部お膳立てしていて、あっというまにデビュー曲も、そのタイミングも決まっていた」みたいなセリフで。
 なんというか、世の中には「どうにかなるもの」と「どうにもならないもの」ってあるわけじゃない、当たり前だけど。で、そのライン上を主人公である東は常に漂っているわけですよ。
野望を書いてるノートに今後の展望を書いてるんだけどさ、たとえば観光地で通訳のボランティアをしてれば近いうちに絶対テレビの取材がくる、となれば「美人女子高生4人ががんばってる」なんてオイシイ絵面をメディアがほっとかない……そこからハネてやるぜ! という作戦を練るわけですよ。
んで、どうなったかといえば背景にチョロっと映るだけっていう。そこで意気消沈するも、そこにいたADによって深夜バラエティ番組への出演が決まる……と概ねこういった”流れ”になっているわけですよ。ここでは「想定していた通りにいく」「思ってたような展開にならない」「思いがけないところから道が開ける」っていう、どうにかなる/ならないにめちゃくちゃ翻弄されている

 それでいまサラッと”流れ”って言ったけど、そのどうにかなる/ならないの話を南ちゃんは「とりあえず流されてみる」って表現しているわけよね。自分たちがアイドルとしてやらなきゃならないことの決定権はほとんど無くて、今日なにをするとか明日どうするとか全部「どうにもならない」ことになっている。だからとりあえずは「流される」ことを選択するしかないと。
 だけど、その”流れ”ってひとつじゃないんですよ。アイドルとして与えられた仕事っている目の前の流れとは別に、そいつの人生というか人格というか、そういったものが持ってるよりデッカイ”流れ”が別である。
東なんかはその「目の前の流れ(アイドル)」と「でっかい流れ(人生)」を一緒くたにしたいわけ。アイドルであることと生きるということをイコールで繋ぎたいと思ってる。その一方で西担当の……だめだ私は名前を覚えるのが苦手なんだ、あの一番ちっちぇ子なんかはその「アイドル」と「人生」が全然違う場所にある。だからアイドルとして流されれば流されるほど、精神が引き裂かれていくわけですよね。

 そうやって結局のところ「アイドル」を続けれるのは、顔がカワイイとか歌が上手いとかダンスのセンスとかは二の次で。その「流れ」を、目の前のアイドルという流れと人生という流れをどれだけ合流させられるか? という一点にあると、この作品は告げている。
その上で、それぞれにそれぞれの「東にとってのアイドル」みたいな目の前の流れが存在していて、そこに辿り着くことが人間の幸せであることを描いてんのよ。そして重要なのが一度「アイドル」って別の流れに浸ったことがあるから、その自分のための「別の流れ」があることに気づけた。あるいはそこに自分だけの「流れ」を作ることができるようになる。
 それでね、これが本作でもうひとつ語られていた「光る」ってことに繋がっているんですよ。
 
 光る、あるいは光ってあるじゃない。なんだ急に私はバカになったのか? 
えーっとw 太陽光でも何でもいいんだけど、こう光って何でできているか? って話なんですよね。粒子で波、みたいなことはいったん置いといて。こうプリズムとか虹とかの現象が何で起きるかっていうと、光っていうものを波長ごとに分割すると赤とか緑とか青とか紫みたいに分かれるわけですよ。逆に言うと光の三原色ですよね、光だと色を全部混ぜ合わせると白というか透明になっていく。
 だから光って見えるものは、決して純粋なものではない
んですよ。ありとあらゆるものが――善いものも、悪いものも。キレイなものも、汚いものも。全部が一緒くたになって渾然一体となったとき、はじめて「光る」
色んな流れがあって、それが混じり合って濁流になって。濁って濁ってその先でいきなり澄んで輝く。東が立てていた作戦なんて、すごく小手先だし、独善的だし、浅はかなもので、それってまぁめちゃくちゃ不純なものじゃあないですか。打算的で小ズルい。
だけどそれをやってしまうのは、「アイドルになりたい。なんとしてでも成る」っていう無垢な願いでもあるわけ。
 無垢な願いを分解していけば、顔を出してくるのは不浄な行いで。だけどその汚いものを全部束ねて集めれば、キレイな姿がそこにあらわれる
 それが東にとってはアイドルだっただけの話ではある、だからキャッチコピーが「人間って光るんだって。」なんですよね。光るのはアイドルだけじゃあねぇ、人間は全部そうやって光るんだよって。
 
 だからこの作品に一番近いのって、「やりたいこととやるべきことが一致する時、世界の声が聞こえる」と語った『STAR DRIVER 輝きのタクト』だと思いました。綺羅星☆!

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 次回は『ミッシング』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの16分ぐらいからです。


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