一週遅れの映画評:『魔進戦隊キラメイジャーVSリュウソウジャー』どこにもない、けれどここにある時間について。
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『魔進戦隊キラメイジャーVSリュウソウジャー』です。
※※※※※※※※※※※※※
どうしても時系列って気になってしまうんですよ、こういう作品の場合。で、リュウソウレッドのコウがおよそ1年ぶりに日本に帰ってきて、ガルザとヨドンナが普通に敵役をしていて、でもクランチュラが自身の中にある「クリエイティビティに自覚的」っていう、何というか「絶対に存在しないタイミング」としてお話がはじまるんですね。
まぁただこっちも戦隊とかライダーに付き合ってうん十年ですからwその程度は軽く受け身が取れるんですよ、「あーはいはい、今回はそういう感じね」といった具合で。だからそこに対しては大した問題じゃない……と思ってたんです、最初は。
一応ストーリーとしては映画監督邪面が『ヨドン原人』という映画を撮ってそれを全世界に公開、その観客から生まれる闇エナジーを世界規模で回収しようっていう、まぁ作品タイトルが『北京原人 Who are you?』(97年)パロディの時点でだいぶ苦戦しそうな計画なんですがwそういう感じの策略を立てる。
ただ世界規模だといつもの邪面師ではパワー不足なので、たまたま地球に戻っていたリュウソウジャーの敵幹部クレオンを強引に協力させて「邪面師から生まれるマイナソー」を作り上げた、その映画邪面師マイナソーたちによる映画撮影にリュウソウ+キラメイの面々が巻き込まれていく。いやぁ戦隊の劇場版らしい感じだよね、こういう強引さ。好き。
でね、この映画邪面師がちょっと不思議な存在なの。というのもキラメイジャー世界では「何かを作り出せること」がキラメンタルというパワーで、それがヨドン軍に対抗する力の根源であるんです。なのにそのヨドン軍側の映画邪面は「映画撮りたーい」ってなってて、で自分から生まれた映画邪面マイナソーに監督の役割を奪われひたすら撮影された素材を「はやく編集して完成させろ!」ってヨドンナ様に激詰めされんの。それに対して「本当は俺が自分で撮りたいのに」って不満タラタラ、もうめちゃくちゃ創作意欲に溢れてる。いや編集って映画製作において死ぬほど大事なんだから監督の役目として重要なんだけど「やっぱ現場にいたい!」って気持ちが溢れてる。
これって本編のクランチュラが担った役どころの裏バージョンで、クランチュラはなんだかんだ言って幹部だし実績もあるし根回しもできるからそういう「クリエイティブに目覚めた自分」でいられるんだけど、邪面師である映画邪面は立場が弱いからヨドンナ様に激詰めされたら全然抵抗できなくて、それって充瑠たちの言うキラメンタルの危うさというか生まれたキラメンタルを無理矢理に押し込めて無くさせることができるし、その反動によってより強い闇エナジーが発生しかねない。そういう危うさを描いているように思うんですよ。
それに合わせて充瑠が絵画のコンクールに応募しようとしていて、というかそのコンクールの話を持って来たのが為朝で。ヨドン反応を感知したとき「充瑠はいまコンクールのために絵を描いてるから、その調査は俺たちだけでやる!」って充瑠を呼びにいこうとした他の仲間に為朝がめちゃくちゃ熱弁してて、本編でも前の映画でも「キラメイジャーは充瑠+為朝というコンビがまずあります!」って感じだったけど、本当にこの二人の友情が厚い感じはすごく良い……超良い、好き……。
じゃなくて、充瑠はコンクールで優勝するための絵を描こうとするんだけど上手くいかない。「自分が楽しいと思える」ものじゃないとキラメンタルが生まれない、て話が併行してる。
生まれたキラメンタルをすり潰される辛さ、キラメンタルを生み出せない辛さ。そこを一緒に見せていくのは面白かったですね。
あとやっぱ殺陣ね。やっぱねぇ最近の戦隊における殺陣シーンのカメラワークはめちゃくちゃすごいですよ。もう「これどう考えたらこういう撮影しようと思って、そしてそれをどう実行してんの?」って驚かなくなってきちゃってるもんね、「すげー!めっちゃすげー!でも最近の戦隊はこのくらい平気でブチ込んでくるよね」って感じで。
いや実はね、色々都合があって前回話した『るろ剣』の3日後にこれ見てるんですけど、もう『るろ剣』で感じた殺陣への不満、完全にフッ飛んだもんね。いやーすっごいカッコよかった。
……それでね。その映画の中でコウが充瑠に「俺の知ってる友達と似てる」って言うんですよ。そして「動画作ってる子でさ、そのうち紹介するよ」ともね。
前の劇場版で話をした(一週遅れの映画評:『スーパー戦隊MOVIEレンジャー2021』今回は「映画評」でなくなりました。)からそこは割愛するけど、うーんんと、それが現実では不可能だって私は知ってしまっているじゃない?ただ『リュウソウジャー』の世界ん中で、ういちゃんはまだ動画配信者としてがんばり続けているわけで。現実がどうとか関係なくさ、映像の中で、作品の中でキャラクターってのはやっぱ永遠で。そこにある物語として決して失われないものって確実にあるわけですよ。
けれどもその「友達」に関するセリフを言うことに違う意味が乗っかってくる部分もあって、私はいま「リュウソウジャー世界のういちゃんのことを考えて見る」べきか「現実の金城茉奈さんのことを考えて見る」べきか一瞬混乱しちゃって、そこに正解はないのだけど、やっぱこう作品を残す、キャラクターがその中で生き続けるってのは素晴らしいと思いましたね。
そこで冒頭の話に戻るんだけどさ。結局この作品は「存在しないはずの時間軸」のお話で、もしかしてその設定は意図的なのかもしれないな、と。わかんないよ?よくある「戦隊劇場版の手つき」でもあるからわかんないけど、なんというか現実とは違う世界があって、虚構Aとは違う虚構Bの世界もあって、でどこかの世界線では「ういちゃんの友達に充瑠がいる」っていう、このキャラクターの永続性を信じるような設定として、確かに私は受け取りました。
※※※※※※※※※※※※※
次回は『ジェントルメン』評を予定しております。
この話をしたツイキャスはこちらの15分ぐらいからです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?