一週遅れの映画評:『スーパー戦隊MOVIEレンジャー2021』今回は「映画評」でなくなりました。
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『スーパー戦隊MOVIEレンジャー2021』です。
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いやまぁ去年の『ロボコン』と『銭天堂』で痛感はしていたんだけど、こういう「同時上映3本立て!」みたいなのは、こうやって語るのがめちゃくちゃ難しですね。いやはやどこから手をつけていいのか……。まぁ順番通りいきますか、ね?
まず『キラメイジャー』。ヨドン軍の幹部候補みたいなミンジョって敵が、いやこれを壇蜜がやってんだけどすっごい雰囲気があっていいんですよ。なんというか手練手管に長けていそうな色気と、追い込まれた時のあきらめの悪さが高いレベルで融合していて良かったんですよね……これはトッキュウジャーで南キャンの山ちゃんがゲスト敵役やってたときも思ったかな。
そのミンジョっていうのが「悪夢を操る」という能力を持っていて、それでたくさんの民間人とキラメイジャーの充瑠と為朝が悪夢の世界に閉じ込められてしまう。その救出に残ったメンバーが向かうのだが……というお話。
でキラメイジャー側の目的としては「二人が閉じ込められている悪夢の主」を探して目覚めさせれば悪夢の世界が消える→悪夢の中に突入してその中からヒントを探す、というのが今回の達成条件。
一方でミンジョはどうしてそんなことをしているかというと……あ、こっから完全にオチの話するからね?
ミンジョがキラメイジャーたちを閉じ込めた悪夢、その主っていうのが実は「ガルザ」なの。ガルザを永遠に眠らせることで、ミンジョはヨドン軍幹部としての地位を奪いつつ、厄介なキラメイジャーも亡き者にしよう……というのが彼女の策略なのね。
それでキラメイジャーたちは夢の中を巡りながら「地球」「クリスタニア」「幼いころのマブシーナ姫」「ヨドンヘイム」というシチュエーションが出てきたことで「この夢の主はガルザである」と看破するんだけどさ、私ここでひとつめちゃくちゃ心掴まれるところがあって。
ガルザの兄であるオラディン王が夢の中に出てきて「マブシーナ!お前にぴったりのお婿さんを見つけて来たぞ!やっほーい!」ってすげーはしゃぎながらラグビーボール邪面を連れてくるっていうwまぁ「悪夢の中だから本当のオラディン王と違って凄く変!」なシーンなのね。で夢の主がガルザだとわかったことで「そうか!だからオラディン王を貶めようとしていたんだ!」ってなるんだけどさ……。
これキラメイの最終回付近まで見ると「実は幼い頃から、ガルザはヨドン皇帝に洗脳されていた」という設定が明らかになるじゃない?それって考えようによっては「ガルザの正しい記憶にある兄・オラディンは、幼い頃のものだけ」ってことで、それで実際オラディン王が結構ちゃらんぽらんなとこあるのもテレビ本編では描かれていて。
だからこの妙にはしゃぐオラディン王って「子供のころオラディンがガルザに見せていた、兄弟という関係でしか見せられなかった姿」なんじゃないのかな?って感じがして、そこにね私はすごく感動しましたよ。
話の終わらせ方もキラメンタル(=想像力)によって悪夢は上書きできる!っていう、本編で描いてることの補強を映画版の映像できっちり見せてるのも良かったです。
それで次は『リュウソウジャー』なんだけど、いや、ちょっとこれ難しい……というのもね、私は作品主義というかそこにさ、現実の背景とかを織り込んで評するのはやっぱり違うんじゃない?という派閥なの。でもさー……いや詳しいことは知らないよ?知らないけども、こう感覚として「この劇場版リュウソウジャーは、きっとその背景がなければ作られてないだろうな」ってのは凄く思うの。
だって明らかに予算無いもの。普通劇場版ならさ映画用の敵役とか出てくるじゃん?でも今回は「人間型のマイナソーだ!」つって、スーツとか被り物とか無しで、ただちょっと怖そうなメイクをしただけの人が敵役なのよ。もう明らかにお金も時間もありませんでした!ってのがわかる。
だからこの劇場版『リュウソウジャー』はきっと本来は無い企画で……じゃあどうして作られたの?って言うと。
あー、うーーん……ねぇ、まぁこれに関しては映画評では無いってことにした。しました。
えっとね『リュウソウジャー』で「うい」ちゃん役で出演していた金城茉奈(きんじょうまな)さんが、去年のいつだっけ、12月頭ぐらいにね病気で亡くなっているのよ。正直私はリュウソウジャーでしか金城さんという役者を知らないから、そこに対して知りもしねぇくせにお悔やみとかを言うのも違うと思うから言わんけど、たださ4クール1年を通して一つの作品を作った方々にはたぶん色々な想いがあるわけじゃない?そのあらわれとして「そのためのリュウソウジャーをやろう」ってなったとしたら、それはものすごく理解できる。
それもね、この劇場版。「ナダ」っていうキャラクターに焦点を当てたストーリーで。このナダって作中、志半ばでリュウソウジャーたちに願いと力を託して命を落とす役どころなのよ。劇場版はテレビ本編で「ナダが仲間になった」から「ナダが倒れた」の間に、彼らの間にはこれこれこういった物語があってリュウソウジャーたちとこのような関係を築いていたって話でさ……いやこんなん重ねて見るしかないじゃない!?
だからもうこれは良いとか悪いとか、面白い面白くないとは別の次元で。「戦隊」という作品が持っている魂、リュウソウジャーだからソウルか。その顕れとして作られるべくして作られ、見るべくして見た、そういうものなんです。そういうもの、それだけしか言えないし、それが私にとっては正しい。と、思い、ます。はい。うん、そうね。そんな感じで。
いやこっからどうやって『ゼンカイジャー』の話すりゃいいの!?
まぁまぁまぁゼンカイジャーはね、本編開始前の顔見せみたいなもんだから「45周年作品として派手ーおもしろそー」以上!でい気がする。いや5人の戦隊メンバーがどうやら「参照する年代」で分かれてるっぽいところはマジで面白そうで期待できるな、と。ゼンカイジャーにかんしてはそのぐらいしか言うことないかな。
はーいもう終わりでーす。締め方わっかんねぇからいつも以上に雑だなぁ。おわりー、ありがとうございましたー!おやすみっ!
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次回は『あの頃。』評を予定しております。
この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。
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