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一週遅れの映画評:『ザリガニの鳴くところ』喝采は、獣のために。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ザリガニの鳴くところ』です。

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 これは作品の選択を間違えましたねぇ!
 
 いや、まぁ、そこそこ面白かったんスよ。そこそこ。でもさぁミステリーじゃん。
 いや流石にどれだけ「この映画評はネタバレ前提じゃい!」っつてもさぁ、ミステリー作品の完全ネタバレは無法が過ぎるとおもうんですよ。いやまぁ私自身はどんでん返し系でも叙述トリックでも、ネタバレ全然平気なので……どうしよう、やっちまうか? 話してるうちにアドリブでポロっと喋っちゃうかもしれない。覚悟しろ!
 
 主人公の女が完全にヤベー奴で、なんか自然豊かな湿地帯に幼い頃から一人で住んでんの。近くに普通の街もあって、そこに時々日用品とか食料を買いに行くことはあっても、まぁ基本的には湿地に引きこもってるんですわ。そこで絵を描いたり、貝を拾ったりして慎ましく暮らしておる、と。
 
 で、幼少期からちょくちょく主人公を気にかけてくれてる男の子がいる。だんだん成長して、思春期にもなりますと男女として意識しだすんですけど、そこで距離を縮めたくなる。そこで男の子は主人公がよく来る場所に、彼女が好きな鳥の羽根を置いて興味を引こうとする……アプローチが野生か?
 だけど主人公もその野性味あふれる求愛行動に惹かれていくんですねぇ。そろそろ『ダーウィンが来た』かナショナルジオグラフィックの出番っぽいです。
 
 それでも男の方はまだ文明人だったので「僕、大学に進学します」って言い出す、しかも結構遠くの大学だからそっちで下宿すると。主人公は生息地が湿地帯だから、置き去りにされちゃうわけですよ。
 もちろん愛し合ってはいるから、男の方は「絶対に戻ってくる。まずは1か月後の感謝祭には帰ってくるよ」と約束していく、主人公はその日を指折り数える。そりゃ当然ですよ、だって彼女にはまともな人間関係である相手なんてその男しかいないわけだから。まぁほっとんど依存ですわね
 で、結局その男は来ない。BGMはたぶん「木綿のハンカチーフ」だったと思うんだけどwそれで主人公は地獄のように落ち込む。というのも、彼女が湿地帯に一人で暮らしてるのって、元々いた家族が次々にそこを去ったからなんです。
暴力をふるう父親からまず母がエクソダスして、兄弟姉妹も次々に家出していく。最後に一番幼かった主人公と父親だけになり、ある日その父親もどこかに行ってしまう……だから主人公には「みんな私を捨てていく」っていうことが辛い記憶として染みついている。
 そこで「絶対に戻ってくる」と言っていた恋人が、やっぱ自分を捨てていくんだもの。そりゃあメンタルぼっこぼになりますわ
 
 ただそこからもゆっくり立ち直り始めたところで、ひょんなことから街で有名な金持ちボンボンなヤリチンくんと出会う。出会ってしまう。
 まぁ~このヤリチンくん、人の話は聞かないわ、有害な男性性全開のオラオラ系だわ、基本的に女を一段下に見てるタイプのクソ男なんですけど……まぁヤリチンだけあって女の扱いが上手ぇのwグイグイ来るタイミングの押し引きが超テクニカルで、これは並大抵の女じゃコロっといかされるわ、感じなのね。
 
 だが我らが主人公ちゃんは野生だから、そんな文明的な方法では……堕ちたー! ってスピードで懇ろになる。
 でもね~これは仕方ないんですよ。ずーーっと孤独なままなら、人はわりと耐えれる。だけど一度でも「孤独じゃない状態」を知ってしまって、その上でまた孤独になると、そこには前より2倍3倍になった「寂しい」が襲ってくるわけさ。
 そこでねぇ、どんなにクソ野郎でも「自分を気にかけて(表面上は)優しくしてくれる」相手が出てきたら……私には彼女を責めらんねぇ、責めらんねぇよ
 
 
 まぁ、そのヤリチンは死ぬんだけどね。
 
 
 私たちは一応かなり文化的な生活を送ってるわけですよね、そしてその倫理観もその生活にチューニングされている。だけど生きるってことは、どっかしらに生身の部分を持っている。文化的文明的なだけではわりきれない、乗り越えれないものが当然ある。
 そういった意味では、いま話したヤリチンくんなんてその最前線であり、同時によくある人間の姿なわけですよ。手練手管を繰り出して女性を落とす文化面と、結局その目的はセックスだという野生の部分と。だから彼はめちゃくちゃ嫌なヤツとして描かれているけども、こう大人しく我慢して座って映画を見ている――静かにしているっていう文化面と、それが”我慢”であるという野生面――私たちの鏡ではあるのですよ。
 
 だからヤリチンくんが死ぬことに対して「ざまぁwww」って思うとき、それは同時に私たちは自分自身に対して「ざまぁwww」って”感じたい”……それをこっちに感じさせるのは主人公の役目で、さっきから言ってるようにこの主人公は「野生」の側面が強い人なんです。肉体的にというよりも、精神的に
 自分たちが何倍も上等だと思ってる「文化」が、完全に「野生」からしてやられて完敗する姿。それを見て気分が晴れるとき、私たちはきっと少しだけ、人ではなく、獣の倫理に近づいてるのかもしれない。
 
 あの、これ、伝わる人がどれだけいるかわかないんですけど。
 この映画に一番近い作品、たぶん『騎士竜戦隊リュウソウジャー』です。これはマジで。

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 次回は『母性』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの20分ぐらいからです。


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