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✴︎お母さんの世界


「あら〜このタイミングで、逆子になっちゃってるね。」

臨月まで残すところあと数日で、私のおなか中の赤ちゃんは

逆子になっていた。

月一回の検診日、私は毎回この子にハラハラさせられる。

前回の検診日は、赤ちゃんの元気度をチェックするタイミングで、

一番赤ちゃんが活発に動いているであろう昼の11時に予約をしたのに

超音波検査で爆睡しているのがわかり、すぐにはチェックできない

と言われて別室に移され、お腹に帯を巻いて

ピストルみたいなパンって音と振動を与えて、

赤ちゃんを起こす。

で、赤ちゃんが活発になってから検査してもらうまでに

一体何時間かかったことか。。。

診察が終わって帰路についたのは3時を回っていた。

おいおい、赤ちゃん、勘弁してよ。お母さんはお腹ヘリヘリです。



帰り際、看護師さんに

「お母さんが夜更かししていると、

赤ちゃんも夜更かしになっちゃうからね。

この子は昼夜逆転しているから、生まれてからが大変よ〜。

逆子体操と合わせて、お母さん、もう少し頑張って!!」

と声をかけられた。

ああ、すまない赤ちゃん。キミじゃなくて私だった。

母親になりたいって神頼みしていた頃は

どこまでも優等生な母になろうと思っていたけれど、

妊娠中は想像を超えるほど眠かったり、

かと思えば変な時間に目が覚めたり、

目が冴えて眠れなかったり、

自分の身体なのに何にもコントロールが効かない。

人がこうしようと決めて

そのようにできることなんて、こんなに少ないってことを

この10ヶ月で嫌というほど知った。

これまでの自分は身体だって、心だって、

何もかもコントロールできる気になっていた。

コントロールできないのは、

やる気がないダメなやつだと社会から刷り込まれていたので

必死に取り繕っていたが、

今は何にもコントロールできないので、

逆にすべてを手放せた。


どんなにダメな自分でも「仕方ない妊娠中だから」のひとことで、

全部を受け入れ、諦め、許せてしまうようになると、

生きることは、とても楽だった。




本当に本当に助かった事は、

恐れていたつわりが一ミリも襲ってこなかったことだ。

どんなドラマでも映画でも、

妊娠している役の女優はみんなつわりの演技をしていた。

だから、すべての女性が必ず通る道だと思っていたけど

実際は、入院しなくてないけないほどきつい人、まあまあきつい人、

ゆるい人、ない人もいるのを初めて知った。


「そんなにしんどそうにしていない妊婦」は、

旦那さんにとっても拍子抜けだったようで、

かなり素っ気なかった。

体重を落とすためのウォーキングに付き添ってくれる事もなく、

生まれてくる赤ちゃんのために、という雑誌やハウツー本を

読み漁るでもなく、お腹に耳を当てて赤ちゃんの鼓動を聞いたり、

話しかけたりもしなかった。

つわりが人それぞれなように、

赤ちゃんを授かった男性の反応も千差万別なことを知った。



洗濯機から洗い物を引っ張り出す時に

お腹がつっかえて、底に残った洗濯物が取れなかったり、

お腹が巨大化しすぎて足指の爪が切れなかったりした。

お腹が重くて歩くスピードがどんどん遅くなった。

横断歩道を時間内に渡りきれなくても

これだけ腹の出っ張った妊婦だから轢かれやしないだろうと

たかをくくっていたら、

信号が変わった途端、殺人的に車が走り出して死にそうな

思いもした。

苦労は絶えなかったが、

届かない洗濯物は孫の手を使い、

切れない爪は伸ばしっぱなしにし、

渡れそうにない横断歩道は歩かないようにした。

案外どうとでも対応できる。

妊婦さんは世界中の誰よりも祝福されるものと

思っていたが、ここ日本ではそうでもなかった。



他に、人間もただの獣なんだあという実感が湧いた。

パンパンに膨らんでへそがひっくり返ってしまうなんて知らなかった。

へそは元に戻るのだろうか?

胸の谷間やへその周りにワサワサと生えるうぶ毛は

抜けていくんだろうか?

不意に腹の皮を押し上げてくる小さなかかとを見てしまい、

かわいいっ!じゃなくて、

この中に本当に人間が入っているんだな…と

ちょっとした恐怖を感じたりしながら、

その時は確実に近づいていた。





最近、幻聴が聞こえる。

「宇宙人も人も動物も地球も命あるものはすべて同じ。すべてが愛だ!!!」

という叫び声が聞こえる…ような気がする。

朝目が覚める時、さっきまで耳元で強く叫ばれていたような余韻。

うたた寝していたら、その声で起こされたりもした。

その日は近づいていた。

いよいよ、いよいよ、私はこの子の母になる。


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