愛すべき街、マドリード。
スペインの首都、マドリード。
ロンドン、ベルリンに次いでヨーロッパ第3位の人口を誇る大都市で、およそ600㎢、和歌山で言うと日高郡と同じくらいの広さの場所に、なんと300万人以上が住んでいます。
マドリード最大の特徴が、標高650m以上の高台に位置していること。ヨーロッパの首都の中で一番高いところにあるそうです。スイスの首都ベルンよりも高い場所にあるというのは驚きですよね。
このこともあってか、夏は暑く、冬は寒いという非常に暮らしにくい(←)気候なのですが、降水量が少なく、澄み切った空から降り注ぐ光はマドリードの美しい街並みを際立たせます。
今回のnoteでは、そんなマドリードの街並みについてご紹介したいと思います。
ー 太陽の沈まぬ国
まずはマドリードが首都になった経緯から見て行きましょう。
前回の記事でも少し触れましたが、イベリア半島を中心とした国の首都といえば、古くはマドリードの南約50kmのところに位置するトレドがその役割を担っていました。
(こんな書き方をしたのは〝スペイン〟という国ができるのは歴史的に見ると結構最近の出来事だからです)
1492年にスペインの援助を受けたコロンブスが新大陸を発見し、イスラム勢力からの国土回復(レコンキスタ)が完了すると、世界史上のスペインの時代が始まります。
アメリカ大陸やフィリピンを拠点に世界中のあらゆる富を手中に収め、スペインのどこかに行けば24時間太陽が見られることから「太陽の沈まぬ国」と呼ばれました。
そんなスペインの黄金時代を現出したのが、スペイン王カルロス1世とその息子のフェリペ2世です。
ー カルロス1世とフェリペ2世
ここでこの2人の王について、簡単にご紹介しておきます。
カルロス1世は名家〝ハプスブルク家〟の出身で、長く混乱が続いていた神聖ローマ帝国を統一し、さらにスペイン王として世界の覇権を握った、ヨーロッパの歴史の中でも非常に重要な人物です。
「遍歴の国王」とも言われ、生涯のほとんどをスペインの外で過ごし、覇権を争ったフランスやプロテスタント、イスラム教徒との戦いに人生を賭けた人物だったと言われています。
フェリペ2世はカルロス1世の息子で、偉大なる父の退位を受けてスペイン国王となります。ヨーロッパから中南米、フィリピンに及ぶ大帝国を統治しつつ、さらにオスマン帝国を退けて勢力を拡大しました。
そんなフェリペ2世がその大帝国を維持するため、新たな首都として選んだのがマドリードでした。9世紀にイスラム教徒が築いた要塞に起源を持つこの街は、よりスペインの中心部に近く、豊富な水資源があったからだと言われています。
この二人の偉大なる王については、スペインにいる間にもっと知識を深めて行きたいですね。
ー マドリードの街並み
さて、お待たせしました。笑
後半は僕が撮影した写真を中心に、マドリードの美しい街並みをご紹介したいと思います。
マドリード市は21の地区(バリオ)からなり、そのうち中心部の7地区に都市機能が集中しています。
マヨール広場やプエルタ・デル・ソル、プラド美術館など、観光客が多く訪れるのもこれらの地区ですね。
常に人で溢れかえるセントロ地区や、旧市街の街並みが残るアルガンスエラ地区、あらゆるお店が立ち並ぶ人気のサラマンカ地区、オフィスが多いチャマルティン地区など、かなり個性豊かです。
また、洗練された大通りや美しい旧市街の通りにはそれぞれ名前がつけられており、通りの名前を示すマークや由来を書いた説明文がいたるところにあります。
歩いているだけでも楽しい街、マドリード。またまだ知らないことが多そうですね。
ー スペインの中心
マドリード中心部の〝プエルタ・デル・ソル〟にある「0km地点標」。これはスペイン全土に延びる国道の0km地点を示したもので、現在、人気の写真スポットとなっています。
日本の1.3倍の国土に個性豊かな諸都市が点在するスペインでは、各地域を行き来する道路網が重要と捉えているようです。高速道路も無料のものが80パーセントほどあり、高速鉄道も充実しています。
レンタカーや電車も手軽にアクセス可能ということが、スペインが観光大国となっている理由の一つなのかもしれませんね。