黎明謄
あらぬ場所に私はいる。
そこは井戸の中かも知れないし、とんかちで叩かれた頭の中かも知れないし、からくり人形の中かもしれない。
鼠取りに一部を取られたから、四肢の残りを以て動く。
葬儀場からは狼煙が上がって、嫌に咽ぶものだ。
「向こう岸」と記された立て板は墨が滲み、経年の劣化が著しい。
「ここ、ここに居るんだ。」
喉元を響かせる老人の声が頭上から降ってくる。
何か用か、と言い掛けて止める。これと対峙したとて録なことが起きぬ。
どのみち私が歩いた轍を辿ればすぐに追い付かれてしまう。
田園は干上がり、もう作物と呼べぬ枯れた、墨紛いが散らばっている。天の恵みを待ち続けて、まだ待ち続けている。
私はごく呆れたまま、電力が供給されない外灯の横を歩く。
割れた遮光瓶の一片を拾い上げる。
己の輪郭がそれとなく浮かび上がり、おもわず退く。
こんなに醜かっただろうか。
もう少しましな造形だと認知していた。
だのに、目尻は垂れ、鼻は瓢箪のように張り付き、口は恐怖そのもののように歪んでいる。
胸に穴があいたように悲嘆するも、やむを得ないものと言い聞かせ鎮める。
喝采を。脚光を浴びたい。
伸びきったテープが夕刻を告げる音楽が響く。
だが正確な時刻を知るものは、もうどこにもいない。
依って正しく時を刻む指標がなく、また寝床もありはしないからそこここに昼夜問わず徘徊する者がある。
腰を下ろし目を閉じていると、蠅や蛆が這ってくるから追い払うのだが、口の周りにやってくると時折食していく。苦味が強く旨いものではないが、飲み込んでしまえばじきに忘れる。
「ここ、ここにいらっしゃいませんか。」
やけに甲高い女の声が耳障りだ。
懸命に祈祷する。過ぎてくれろ、消えてくれろ。
虚しくも祈りは届かず
『ここ、ここにいらっしゃいませんか。』
私は出るはずのない声を出していた。
ぎゃっ、とも、ぎぇっ、ともつかぬ音が喉の奥で弾けると、目の奥で火花が飛び散りそのままもんどり打って倒れてしまった。
光の端を踏み、指のはらに爪を立てていた。
割れたコンクリートで切った痛みが鮮烈だ。
今しがたできた傷らしい。
瓦礫の中を走り回っていたようだが、これしきで済んだ。
喉が爛れて、
『父さん』
口をつく。声は音に音は音楽になる。目も耳も鼻も失い、跛すら引けない飾りの四肢を切り刻み、そこには何も残らない。
幕引きだという声は所在不明だ。
焼き場の扉を閉める音が、耳についた。
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