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クレバスに落ちるのも悪くない

劇作家女子会。feat.noo クレバス2020
It's not a bad thing that people around the world fall into a crevasse.

作:モスクワカヌ(劇作家女子会。)  
演出:稲葉 賀恵

公演日程:2023/9/27(水)~10/1(日)

会場:シアター風姿花伝


出演しました。
脚本を読んで、これは私だ、と思ったうーちゃんでオーディションを受け、いただいた役。
やりたい役ができる。この先続けていてもそうそうない経験をさせていただきました。

台本の登場人物一覧には、
・無敵 2020年3月12日の夜に死のうとする
・グリコ ラジオ体操を極める人
・白河 頭部が馬のサラリーマン
などが並ぶが、
・うーちゃん うーちゃん
と書かれている。
はじめて見たとき、なんだかコジコジみたいだと思いながら、何者でもない存在として描かれていることに妙な親近感を覚えた。
セリフは『シュールジュール』『にゃーん』の2種類だけ。
だけどずっといる。

人と過ごしていても真っ先にひとりになる。
俳優同士の仲良くなるための会話、はいつもできない。煙草も吸わない。酒も失敗を重ねてから、あまり飲まなくなった。
うまく話せないことに必死にならないから、特に面白みも味もない。定型のノリにも乗れない。要するに人から見て私は扱いにくい。と私は思っている。
ひとりだ。

翻って、こんな私にもありがたいことに交信できる友人がいる。
それにひとりであることを嘆いたり、悩んだり、悲しんだりする次元は超えた。愛される欲求をSNSで満たすのもやめた。もはや境地だ。
人の話を聞いて、俯瞰して、過ごしてきた。

うーちゃんは何者でもなくても、私は人間だ。
人の話を聞けば心が動く。
素敵な共演者に囲まれて、何度もこみ上げる感情を強く噛んで飲み込んだ。
絶対泣かない、声を上げない、自分より人、人、人。
実生活でもこのくらいのことをしているはずだと言い聞かせて。
眺める、聞く、見る、ことを強い照明を浴びて、する。

稽古場で稲葉さんが、
「タイトルの、"It's not a bad thing that people around the world fall into a crevasse."は翻訳すると、"クレバスに落ちるのも悪くない"ということでは」
と仰っていた。
改めて、素晴らしいタイトルだと思う。
落ちる、ことがなんなのか断定していない。
否定するわけでも、助長するものでもない。
誰かの選択へのゆるやかな肯定は果てなく優しい。

何度も落ちそうになった(あるいは落ちた)昼と夜を乗り越えた先で共鳴できる。
また縁に立つことがあれば、唱えるだろう。

書かれている人物を纏うみんなが大好きになる、分かりたいと思う、ほど細かく稽古場ですり合わせされた。
うーちゃんってなんだろうね、と繰り返し話し合った。
色々案が出たが、ここに書くのも野暮だと思われる。
人間なんてわからない。
だからうーちゃんだってわからなくていい。
私が一緒に居ればいい。

「これはうーちゃんの話だ」と言っていただいた。
上演時間の2時間45分、場当たりまで「うーちゃんも休憩を必ず入れる」と決まっていたところを稲葉さんに相談して、ずっと舞台上に居させていただいた。
お客さんは、部屋に浮かび上がる星空として、空想の友達として、もしくはもっと遠くのものとして、過ごすことにした。
少しもハケたいと思わなかった。
そう思うほど、美術も音楽も照明も、美しかった。

みんな次の出演作の話をしていた。
私は2023年10月2日から、正社員になった。
芝居は続けられる環境だが、緩く制限が掛かるかもしれない。みんな自由な活動をしているらしいし、これまで通りできると踏んで入社を決めたが、わからない。真っ暗なクレバスが見え、すぐ会社を辞めるかもしれない。
明日の予定は未定だ。

次、なんてないかもしれない。常にこの作品が遺作になるかもしれない、と思いながら立つ。来てくれた人にこそ深い感謝をしながら。

芝居をしなければ、とっくに死んでいた。
何度も救われた芝居に殺されないように、生きる。
「殺されたぐらいじゃ死なない」ようになりたいと思う。

心の底から、この作品に関われて幸せだった。
端から端まで、一点の曇りもなく愛している。

「シュールジュール」は、信号なのだ、と演出をいただいた。
手を振る。
SOSではない。救ってくれだなんて思わない。
エールではない。無責任なことはしない。
届くかどうか分からない地球の端っこから、強く強く信号を出し続けている。


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