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こころが動くものを表現すればよかったんだ

昨日、今日と映画を観に行った。

昨日は、「Vision」。今日は、「羊と鋼の森」。

どちらも、映像が美しかった。


今朝の散歩のときに、家のすぐ近くの田んぼにこころが動いた。正確にいうと、元田んぼである。造成され、住宅地に変わることになっていたからだ。

もう田植えはない。雨のせいで水が張られた地が光り輝くのを観て思った。すると愛おしさが込み上げ、思わず写真を撮った。

「Vision」も、荒れつつある奈良の吉野の山を舞台としていて、美しさと共に切なさが残る映像だった。


そして、「羊と鋼の森」。ピアノ調律師の物語で、原作があまりにもすばらしかったので、映画も観ることにしたのだ。このように、立て続けに映画を観るなんて、初めてのことだった。

進まずにはいられない自己実現の道に出くわしてしまった人の話。身につまされる。自己実現の道を歩む者として。人を支える、対人援助職者として。人を育てる者として。

これは、私の物語だった。新人の頃にありがちな、実力以上に踏み込みすぎる失敗。感情的に巻き込まれてしまう未熟さ。あたたかく、厳しく、冷たく、教え、見守る先輩たち。

そして、何よりも育ててくれる、クライエント。

魔法の耳、魔法の手(指だったか)が欲しい。才能を乞いながらも、叶わず、遅い歩みをトボトボと進めるしかない、自分。

「あせらないで。一歩一歩だよ」何度、何人に言われたことか。そして同じ言葉を、今後輩に投げかけている。

その一つ一つのシーンに、こころが揺り動かされる。そのことを表現したくてたまらなくなった。

映画、田んぼ、音楽、映像に、こころが動き、言葉や映像にしていく。そうかそうか、それでよかったんだ。そんな単純なことでよかったのに、ぜんぜん気づけなかったな。

自然で素朴で、むき出しの私でよかったのだ。


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