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俳優から僧侶へ。 「変わり続ける」ことで、大切な寺を守っていく /スペースマーケット Host Story

大阪の難波駅から歩いて10分あまり。
ここは、大阪市内有数の仏教寺院の集積地となる「下寺町(したでらまち)」といいます。

下寺町には、「大阪城を築く際、大阪各地の寺を移転させて防壁代わりにした」との説があるそうで、大通り沿いには様々な様式のお寺が連なり、都会離れした景観が続きます。

その中で、一際目を引くインドのモスクのような建物が、本日お伺いするお寺「心光寺(しんこうじ)」です。

取材にお伺いした2020年9月は、ちょうど入り口の「山門」が修繕工事中。
そんななかでも、黒板メニューなどが並び、お寺なのに、どこか親しみやすい雰囲気が感じられます。

こちらのお寺で副住職をつとめる、山名丈徳(やまな じょうとく)さんにお話をお伺いしました。

30歳で俳優から僧侶へ。

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「小さい頃からテレビの世界に興味があり、大学で演劇を学びました。卒業後は東京の芸能事務所に所属して、CMなどに出演していました」

じつは、あの井筒監督の代表作「パッチギ」にも出演されていたとか。そして、お兄さんも韓国で俳優さんをされているという芸能兄弟だそうです。

20代の下積み時代を経て30代目前。
「さぁここから頑張るぞ」と思っていた矢先、祖父が亡くなり、実家であるお寺をどうするか。というお話となったそうです。

「そもそも心光寺は山名家のお寺というわけではなく、知恩院さんの末寺として存在し、お檀家さんよりお墓を預かり管理をしている立場になります。極論、誰も寺を継がないのであれば、出ていかなければいけません。もし、私たち兄弟が継がないとなると親戚内で考えることになったかとは思います。でも、先代が守ってきたお寺に無責任なことはしたくなかったし、やっぱりこのお寺を継ぎたい、と思い最終的には自分が継ぎたいといいました。」

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一般的には、宗門大学などに行き僧侶の資格をとる方が多い中、芸大出身の丈徳さんは短期で資格が取得できる浄土宗教師養成道場に通い、お坊さんをやりながら勉強をするという事を続けていかれたそうです。

「最初は、俳優業を捨てきれずに『僧侶兼俳優』としてどっちもやろうと活動していたのですがどんどん負担が大きくなってきて。最終的に、今の道を選択しました」

寺離れの危機感からうまれた「心光寺de寺活」

寛永元年(1624年)に開かれた心光寺ですが、大正12年、火災で本堂が焼失し
昭和4年に現在の本堂が誕生したそうです。

再建時は、当時の住職がインドのタージマハルから影響をうけ、自ら設計を考えて進めていかれたそう。

事前に設計図を共有されていたわけではなかったので、突如現れた、丸くライトグリーンの屋根とコンクリート造の建物に檀家さんはとっても驚かれたそうです。

総工費は、今でいうと約16億円!
そのほとんどが、檀家さんからの寄付により実現できたそう。

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「当時は、今よりたくさんの檀家さんがいらっしゃってお寺と深い関係性をもっていたと思います。お寺への寄付を『功徳』と思ってくださる方も多くいらっしゃいました。

ただ、今は時代は変わってきています。檀家さんは減り、お墓もいらないという方も増えていく中でお寺が潰れるといったネガティブな話も増えています。色々なお寺の状況をみているなかで、これまでの伝統的なやり方だけでは心光寺を守っていくことは難しい、新しい守り方を考えないといけない
と感じるようになり『心光寺de寺活』という新しい活動
をはじめました」

始まりは俳優仲間からの「お寺で舞台できないか」

「一度、外の世界に出て、改めて実家でもあるこのお寺に戻ってきたとき
平日のお寺をみて、もったいないなと感じたんです。」

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これまでは、そんなこと考えたことは無かったのですが、一度実家を出たことによって、場所に対する価値観をはじめ、いろんな価値観や交友関係は広がったと思います」

そんな中、俳優仲間から「面白いところで舞台をやりたい。お寺でできないか」という相談をもらい、実際にお寺をつかって上演会をすることに。

その後、お客さんとして参加した方から「ピアノのコンサートをしたい」などいろんな相談をいただき『寺活』の可能性が広がっていったそうです。

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丈徳さん自身も積極的に、知人の紹介でヨガ教室を主催したり、知人のエステシャンに声をかけ、空いている離れにエステルームをつくったり。敷地内にある元住居だった一軒家をほぼDIYで改装し、カフェをオープン。

「この周辺には、喫茶店が少なくお墓参りにきた方たちがゆっくり休憩できる場所がありませんでした。実は、スターバックスで働いていた経験もありカフェ好きなのもありますけど…。空間作りからメニューまでこだわって作りました」

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人気メニューの「お坊さんが作る!カラダとココロが喜ぶスープカレー」は
丈徳さんが実際にキッチンで仕込みをしているそう。

カフェの2階はちょっと懐かしい実家のようなスペースで丈徳さんの趣味のMr.Childrenのグッズやアルバム、思い出の漫画なども置かれ、友達の家に遊びにきたような心地よい空間に。

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「考えすぎると動けなくなってしまうのでとりあえず、始めてみる。走りながら、改善をしていくタイプなので、その分失敗も多いですが、行動力でカバーする気概でいろんなことに挑戦してきています」

「変わり続ける」ことで、大切な寺を守る

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お寺は、「ご先祖のお墓を守る」ことが一番大切。なので、お寺によってはセキュリティ対策として檀家さん以外は入ってはいけない、という暗黙のルールがあったり山門を閉めているところもあるそうです。

心光寺の新しい取り組みは、檀家さん以外の人を外から積極的に呼び込んでいる。この取り組みに、理解いただけず「お坊さんが金儲け始めた」と言われたこともあったとか。

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「過去の歴史の中でも仏教は時代や国の文化に合わせて、さまざまな形で変化してきました。もちろん根本の教えがあって、そこは外れてはいけないけれどその根本の教えを守り、伝えつづけていくためにも時代に合わせて変えていくことが必要だと僕自身は理解して、寺活を続けています」

「そもそもこのお寺が潰れてしまったら檀家さんが悲しむし、ずっと守ってきた祖父に申し訳ないという思いが根底にはあります。祖父は自分にとってはお坊さんではなく普通のじいちゃんでした。ただ、自分がこの世界に入って「昔じいちゃんにお世話になった」「寺町の生き字引として、いろんな事を教えてもらった」と下寺町のお寺さんにお話をきくなかで、祖父が守ってきたこのお寺を自分が守っていかないといけないと強く思うようになりました」

今では、檀家さんから「この前もテレビでみたよ」と嬉しそうに声をかけてくださる人も多いとか。

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「何より自信に繋がったのが、知恩院が発行している冊子で、心光寺の『寺活』の取り組みを連載で紹介してくれたんです。これをきっかけに、勝手に背中を押されたと思って副住職とのバランスを保ちながら活動を続けています」

「こころ(心)ひかる(光)寺」で、今生きる人のお手伝いを

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「お寺って誰もが来てもいい場所。何か悩んでいたら『聞いてくださいよ。ご住職さん』って相談にいける、地域の人と住職さんはそういう関係性だったはずです。ただ、時代が代わり、どんどん近寄りがたい場所になっていると感じます」

「まずはお寺を身近に感じてもらいたい。そして、いろんな人に『寺活』のことを知ってもらえれば」

そんな思いから、丈徳さんは心光寺を「スペースマーケット」に登録し、レンタルスペースとして、より多くの人に貸し出すことに。

「アイドルの撮影会がしたい。テレビのロケ撮影に使いたい。再現VTRが撮りたい、、などいろんなお問合せをいただき始めました」

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「このお寺は、こころ(心)ひかる(光)寺と書きます。生きづらさを感じる人、心が疲れてしまっている人、そんな人たちの一つの解決策として、お寺にくると心が落ち着くとか、1時間ぼーっとするだけでも癒されるとか、今生きている人たちの生きるお手伝いをしていきたいと思っています。」

いずれ住職になった時、今ほど『寺活』の取り組みに時間をかけられなくなるかもしれない。

それでも、これまでのご縁や、これからの繋がりを広げていくなかに、地域のお寺を守る方法があると、丈徳さんは感じている。

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丈徳さんの清々しくそして前向きにお話いただく姿に、背中を押され、そして、これまで縁遠かったお寺を少し身近に感じることができました。

今度、ご先祖のお墓参りに行くときは、ご住職さんに声をかけてみようかな、と思います。

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インタビュー・文:スペースマーケット ホストコミュニティマネージャー 吉田由梨