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居ない・感

居ない・感
それは、誰かが、または誰も「居ない」ことに対して働く感覚である。
ちなみに、今来たん?、いざ行かん、いや、知らんなどと母音が同じである。
似た言葉に、いつから居たん?とか、Yeah,man!!とか、イッテQ見た?などもある。
居ないと感の間に点が付いているのは、発声の際に、僅かな、
それもコンマ単位の間を私が望んでいるからであるが、普段使いの際は意識しなくていいことだ。

居ない・感
それは、「過ぎ去った」ということをボカさずに感じられる感覚である。
「今に生きる」的なこととも近いのかもしれない。

居ない・感
それは、別れた後の喪失感、
出会った時の充足感である。
居ない・感と、今居てくれる感は同じラインにあるようだ。
物理的な距離感も全く無関係ではないようだ。

居ない・感
それは、誰も私に関心がないのが普通だし、見ている人はいない。
けどもし僅かな関心でも持たれれば結構ありがたいかもの感覚である。
逆も然りで、誰も私に関心がないのが普通だし、見ている人はいない。
それって逆にいえば自由にやれるし、おもうままにやればいいということだ。
けどもし関心を持たれていたら場合によってはしんどいし、見ないでくれと思ってしまう感覚である。

居ない・感
それは、YouTubeの宇宙の広さ体験動画を見た後の、
「自分はなんてちっぽけな存在なんだ…」と感じるけれど
続いても最大20秒のあの感じである。我々やること多し。

居ない・感
それは、うん十万(平米・人・円)を前にしても一(平米・人・円)を前にしても、変わることの無い揺るがない何かである。
0もマイナスも気にしないパッションである。
「居ない・感が鈍ると、0の数で一喜一憂する人生になっちまうぞ〜。それもオモロイけどな〜。」と言ってくれる兄の背中を見て育った弟も兄もいずれ死ぬ、それが居ない・感である。

居ない・感
それは、ほら、誰もみてない。
うんこ…
油断した私が、脳内でうんこをよんだあなたと
実際に会って、飲食店で話をし、「ちょっとトイレ」と言って、
うんこしに行く未来はさ・す・が・に・あり得ない
と油断し私が、今、店のトイレで踏ん張っているこの様である。

居ない・感
それは、何も起きていない、ということである。
何かが起きれば、凄くうれしい。
が、待ってても何も起きるわけないという事が骨身に染みている感覚である。

居ない・感
それは、何かが起きているように見えるだけで、何も起きていないという感覚である。
その感覚に陥った人も最後の恋をして娘が初めて立ったことに感極まっている、奇跡的なホームビデオを見ている新婦の号泣と崩れるファンデーション、それが居ない・感である。

居ない・感についての調査は続いていく。


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