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「本当に信じられる人に出会いたい」水樹奈々自叙伝「深愛」を私が薦めたのは。

NANA MIZUKI LIVE JUNGLE 2024も終幕し、
ライブロスに嘆く声も多くみられる。
今年はKING SUPER LIVE 2024も大成功を収め、
勢いがついたところにLIVE JUNGLEの開幕と
あっという間に終わった感はあるが、この3ヶ月間は怒涛の勢いだったと感じる。

その怒涛の3か月の中で私がライブ以上に貴重な機会と感じたのが公開オーディオコメンタリーだ。
東京、大阪2会場で行われたこのイベントは三嶋さんと奈々ちゃんが通常スタジオで収録しているものを客入れした状態で行うというものだ。
各会場のレポについてはこちらにあるのでお時間あればお付き合い願いたい(東京大阪

私は水樹奈々のファンである。
そして三嶋章夫氏のファンだ。

私は水樹奈々を通して彼を知った。
私にとっては神様のような存在だ。
しかし、当の本人はというと物腰が低く、親しみやすく、若手スタッフに対してもその若手ならではの目線を尊重する、論理的でとてもクレバーな人である。
「人たらし」と言わしめるほど他人の懐に入り込むうまさは彼の才能だと思う。

そして彼なりの独自の理論のもと、アーティストに寄り添う姿勢は我々はよく知っていると思う。
アーティストを自分好みに染めることをせず、アーティストの可能性を伸ばす環境をプロデュースする。
これは今も三嶋さん含めほかのメンバーにも受け継がれているという。

私は奈々ちゃんを推させていただく過程で彼のこと知っていったという経緯がある。
ほとんどの奈々ちゃんファンがそうだと思う。

そこで私事であるが最近奈々ちゃんファン以外のKACアーティストを応援している方と交流する機会があった。
その方たちはもちろん自分より若い方たちばかりで、キンスパというカルチャーを知らない層も多い。
そこで私は思った。
彼らは自分が応援しているアーティストを支えているマネジメント側のことを知る機会はあるのか。
もしくは奈々ちゃん以外のそれこそ水瀬いのりさんや岡咲美保さんのファンの方は我々のようにそういった方々に触れる機会はあるのか。
という疑問があった。

そういう話をスペース(Xの音声配信サービス)で話したことがあった。
そこで私はある本を話題に出した。

それは水樹奈々自叙伝「深愛」である。
深愛という本は2009年1月21日発売のシングルと同名で水樹奈々初の自叙伝として2年後の
2011年の1月19日に発売された。
当時は発売を記念し同年2月20日に東京・福家書店新宿サブナード店にて刊行記念握手会を開催することが決定し、12000通以上の応募者の中から選ばれた1200名が握手会に参加できるという高倍率のイベントとなった。

ちなみに私も応募したが結果は落選となっている。
この深愛は歌手を目指すきっかけや学生時代のエピソードが詰め込まれた内容になっており1年半かけて書き上げた作品になっている。
奈々ちゃん自身は「私の一番の素の部分は家族とのやりとりだと思うので、お父さんやお母さんとのエピソードを是非読んで欲しい」と語っており、「隠さずありのままを言葉にしました、是非皆さんのエネルギーの源になれるようなそんな本になればいいなと思ってます、是非読んでそばに置いていただけると嬉しいです」と当時コメントしている。

この本は3年後の2014年1月14日には撮り下ろしカバーとカラーグラビア、プロデューサーの三嶋章夫氏との対談を収録した文庫版が幻冬舎文庫から発売されており、このnoteにおいて深愛とはこの文庫版のことを指して話をする。

前述のとおり、この本は水樹奈々初の自叙伝ということで奈々ちゃんが自分の生い立ち・経歴などを、ありのままに書いたものとなる。
そんな奈々ちゃんの自叙伝を私は奈々ちゃんのファンではない方に薦めたのだ。

まずはこの本について話しておきたい。
内容は当時の彼女の心境が真っ直ぐな言葉で綴られている。
声優という仕事柄言葉を大切にしている彼女ではあるが、作詞等とは違い難しい表現は用いずに寄り添うような文面で、リアルに語りかけている。
特に上京当時の話は胸が張り裂けそうになるほど、夢と現実の狭間に一人で立たされる少女の心境が彼女の言葉で綴られている。
夢を持った人間じゃなくとも共感できるような悩み、葛藤からこの本は始まるのだ。

物心つくまえから彼女は父親の歯科技工士としての作業場で毎日演歌を歌うことをレッスンと呼び、どんな環境でも歌わなければいけないという教えを疑うこともなく全うする。
レッスンを放り出したいと思うこともあった彼女だが当時から「逃げない」という信念が彼女の中にあったのだ。
決して弱さをみせず「立ち向かわないことは負けること」と父親との関係が彼女の礎となっていることが伺える。
奈々ちゃんが読んで欲しいと語った父親とのやり取りを見るとアーティスト水樹奈々としてのオリジンが伺える。
まさに奈々ちゃんの父は彼女の「プロデューサー」である。
幼少期のエピソードは当時の話なのに今の彼女のエピソードのように腑に落ちる。
彼女のことを知らない人でも彼女の家族に対しての思い、そして歌へ対しての姿勢が伺えるのだ。
歌手という夢は彼女だけのものではなく、家族全員の夢。
その夢は辛抱強さと脆さを持った少女には大きすぎただろう。
家族一丸で手にした片道切符で彼女は期待だけを背負い故郷遠く離れた場所で現実に立ち向かうのだ。

その後は下宿先の先生のもと、学業と歌のレッスンを両立しながら、声優の専門学校にも通い、声優として在学中にデビューすることとなる。

そしてインターネットラジオの仕事を獲得した彼女は二十歳の誕生日を記念してファーストソロライブを開催する。
それが水樹奈々 20th Birthday Anniversary Liveであり、そこに観客として足を運んでいた三嶋さんは、ポップスも演歌も歌い、生アフレコをする彼女の姿に衝撃を受ける。
最後に歌ったNANA色のようにが決め手となり、
キングレコードへのスカウトを決める。

当時のことは後に三嶋さんは「哀愁を帯びた“泣きの声”に惹かれた」と語っている。
これは奈々ちゃんの応援歌についての発言にも通じており「明るいのに泣ける曲」としてPOWER GATE、New Sensation、SUPER GENERATIONを上げている。

そして、先生との生活から自立する際も三嶋さんが幾度となく説得を試みたことがここに記されている。
心を閉ざした彼女をあきらめなかった三嶋さんの姿勢が心に変化を与え、結果として彼女は心の内をすべて三嶋さんに話すこととなり、先生に感謝を伝えたうえで彼のもとを離れることとなる。

仕事についても、もちろんこの本の中で触れていて、それは奈々ちゃんの仕事に対して姿勢だけでなく、水樹奈々を通して三嶋さんの仕事の流儀みたいなものが伺える。

彼は物事を正確に把握しようとする。
事実今は常務という立場になられても、時間があればすべてのライブ会場。
演歌からアイドル、もちろん声優アーティスト現場に足を実際に運び、自分の目でそれを確認している。
担当アーティストだけでなく、それを取り巻く環境についても自分の目で正確に把握しようとしている。
2024年1月27日(土)に関内ホール 大ホールにて行われた岡咲美保さんのファーストコンサートに参加した際も、私は2階席の最後方でライブを楽しんでいたのだが、2階席の後ろの方まで三嶋さんが観客の反応を確認しに客席を練り歩いているのがとても印象的だった。

三嶋さん自身がアイドルが好きだったこともあり、
「俺にはアイドルに夢中になるやつらの気持ちがわかるねん。何を求めているのかがわかるから、とにかく喜ばしてあげたいんよ」とよく発言していて、特にお客さんの層やファンが求めるニーズ、リアクションなどをしっかりと確認し、それを把握しようとしている。
他にも「俺が一からアーティストを育てるときは、家族以上、恋人以上のつもりでやるから。それがディレクションする人間の責任やと思ってる」と自分の仕事、そして担当するアーティストに対して妥協しない姿勢が見られる。

それこそ、奈々ちゃんのお父さんが亡くなったこと振り返った際に「おまえ頼んだぞと託された気持ち」と語っており、上京前に「本当に信じられる人に出会いたい」と願っていた彼女はその相手と出逢うことができたのだ。

実際今はプロデューサーとして、父親代わりとして彼女を支えている。

今から10年前の時点で三嶋さんはお奈々と二人で話すことが少なくなったと語っており、デビュー当時は曲にしてもなにかを決めるときは二人で決めることが多かったが、若手スタッフの躍進もあり、みんなで決めることが増えたり、それこそ「お奈々の感じるままに」と彼女の感覚を信頼する発言をすることが多いと言う。

奈々ちゃんの発言からみても、奈々ちゃん自身が三嶋さんを信頼してることがわかる。
この二人の関係はファンながらとても素晴らしい関係だと思っている。

三嶋さんというとリリカルなのはのプロデューサーでもあり、これは水樹奈々と田村ゆかりを世に出すために作ったアニメであるが事実この作品で二人の知名度が上がったことは間違いない。

音楽プロデューサーとしてだけではなく、奈々ちゃんの声優としての仕事も大切に考えてくれていて「アーティスト活動の先に声優のお仕事がある」と、奈々ちゃんの世間のニーズを見極めながら、彼女が大切にしている声のお仕事を守ってくれている。

仕事に対しての厳しさは我々の前で見せる親しみ溢れるキャラクターとは違い、奈々ちゃんは
「三嶋さんはいつも厳しい」と語っている。
その厳しさには親子にも通じる愛があるに違いないと私は感じている。

そして三嶋さんは肩書きでなく、役割で仕事をする人であり、リーダーとしていつもその責任を果たそうとする。

2014年の「NANA MIZUKI LIVE FLIGHT 2014」で彼は我々ファンの前に二度現れることとなる。
まず一度目は6月14日(土)AIR03三重公演初日の開演前である。
この日の4日前である6月10日にライブチケットが当たる応募券ほしさにカルビーのポテトチップス「ポテリッチ」を大量に不法投棄したファンが逮捕された事件が報道された。
本ツアーでは本人とバックステージで面会できるというキャンペーンが開催されていた。
これに対し同日奈々ちゃんもブログを更新し、
「今日お仕事が終わって、マネージャーさんから事件のお話を聞きました。みんなでゴミを拾って、地球を綺麗にしようという『まるごみ』プロジェクトに、初回から参加させていただいてる水樹としては、物凄く悲しい事件でした...。今後このようなことが2度と起こらないことを心から願っています」
とコメントしている。
そんな状況の中迎えた三重公演にて、三嶋さんはファンの不安を取り除くため、ステージに上がり今回の事件の説明と再発防止について取り組む姿勢を明かした。
そして最後には「今日は盛り上がりましょう!」我々に声をかけた。

二度目は6月22日AIR05北九州公演の二日目である。
前日の公演後に声が出なくなるという症状に見舞われ、すぐに医療機関を受診したがとても明日のステージに立てる状況ではないと診断された。
しかし奈々ちゃん本人は処方された薬もあるのでそれを飲んで翌日までに調整することを望んだ。
翌朝、医療機関を受診したが回復は認められず初の公演中止という判断をせざるおえなくなった。

公式サイトに公演中止が発表されると、会場では三嶋さんが直接ファンに対して説明と謝罪を行っていた。
「水樹奈々は我々の宝だと思っている、ライブはみんなに笑顔になってもらうもの、こんな形になって本当に申し訳ない」と頭を下げていた。

そしてその3年後2017年11月19日さいたまスーパーアリーナにて行われた
「水樹奈々FCイベントⅦ」にて奈々ちゃんとチェリボが運動会をするという企画が行われた。
その企画の後はライブコーナーでつなぎの時間となり、準備が整うまでの間、運動会で使用した小道具をプレゼントする抽選会が行われた。
その後、のちに喉の弁が貼りついたと話しているように、また声が出ない事態が発生した。
奈々ちゃんの回復を待つということで、借り物だった足つぼマット30個の抽選会が開始されるもまだ奈々ちゃんの弁は戻らず、次にチェリボのギターのピックの抽選会が始まり奈々ちゃんの回復まで何とか持ちこたえようとする。
また三嶋さんがステージから姿を消すと時間にして1時間は過ぎていたと思う。
不安な思いを抱えながらも待つ我々を前に公演再開のアナウンスが流れる。
そして奈々ちゃんがステージに現れストロボシネマを見事に歌い上げると、その歌声で我々の不安、心配を一蹴した。
結果的に前回と違い不調ではなくハプニングだったわけであるが、のちにあの時のことを振り返った際に、三嶋さんは「ファンのみんなと約束したから」と奈々ちゃんの状態をトレーナーさんに確認した上で、奈々ちゃんに絶対無理をさせないとし、何度も何度も大丈夫なのかを確認したと話した。

ほかにも2003年のNANA MIZUKI LIVE SENSATION 2003 -Hall Side-の最終日
渋谷公会堂の前日に三嶋さんと奈々ちゃんが車で移動している際、買い物に降りた時、駐車していたバイクのマフラーで奈々ちゃんが足を火傷することがあった。
ツアーの最終日前日に、そして最終日は愛媛県から奈々ちゃんのおママが見に来ることもあり「お母さんに申し訳ない」「なんでタレントを降ろしたのか」と自分が情けなく涙したと話している。

上記の出来事、特に我々との約束である奈々ちゃんを守る、みんなに悲しい思いをさせないと行動してくれていることについては頭が下がる思いだ。

そして、奈々ちゃんを守ろうとする気持ちも伺える。
印象的だったのはオーコメ公開収録で奈々ちゃんが歌詞を間違えるといった話しになったとき「僕はいいと思っている」とプロンプターやイヤモニからガイド音声を流したりできるなか、それをせず、自分の言葉で伝えるという奈々ちゃんのポリシーを尊重する姿を見せた。

そんな今では常務にまで上り詰めた三嶋さんのオリジンがこの「深愛」なのだ。

文庫本の巻末にて奈々ちゃんと三嶋さんが対談しているのだが、そのなかでも「私の半生を知ることによって胸を痛めたり、少なからず傷つく人がいたりするとイヤだなぁって、正直思っていました」と話す奈々ちゃんに対し「もしも全部さらけ出さずに本を出していたら、ファンの方々の事を想ってのこととはいえ、逆に気持ちを裏切る結果になっていたかもしれない」と我々に対する誠実さを見せている。

また当時、すでにたくさんの部下とスタッフを抱え、昔と違い奈々ちゃんのことだけ、とはいかなくなった三嶋さんにも悩むことはあるようで「僕はお奈々の活動のことだけ考えて仕事をしていた三十代前半の頃とは、やっぱり時代が少しずつ変わってきたなという実感があるんです。単純に、自分の感性がうまく噛み合わないなと感じるコンテンツもあったりしてね。そんなとき、つい手に取ってしまうのが、実は『深愛』なんですよ。過去を振り返るのはあまりいいことではないと思うけど、自分を見つめ直すには最高の本なのでね」と語っている。

この数年は三嶋さんにとっても苦しい時間だったと思う。
多くの選択をしてきたと思うし、なにをすべきか、どうしたらいいのかを今まで以上に模索してきたと思う。

そのなかで今年行われた、KING SUPER LIVE 2024では統括を務めた三嶋さんに対して感謝を述べるアーティストがたくさんいた。
そして多くのファンを熱い気持ちにさせたこと言うまでもない。


ファンを喜ばせたい、驚かせたい。
そしてアーティストに寄り添うという彼のイズムは間違いなく後進にも受け継がれているのだ。



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