李陵・山月記 弟子・名人伝

「『お互いに解ってるふりをしようぜ。解ってやしないんだってことは、お互いに解り切ってるんだから』という約束のもとにみんな生きているらしいぞ。こういう約束がすでに在るのだとすれば、それをいまさら、解らない解らないと言って騒ぎ立てる俺は、なんという気の利かない困りものだろう。まったく。」
中島敦『悟浄出世』

中島敦の『李陵・山月記 弟子・名人伝』を読んだ。李陵、弟子、名人伝、山月記、悟浄出世と悟浄歎異がまとめられている。

読もうと思ったのは中島敦が名文を書くと有名なこと、好きな物書きのお姉さんが中島敦を好きだと言って読んでいたから。山月記を高校の頃に読んだな程度の気持ちで読み始め、最初は漢文が強くて読めるかな~と思っていたが話は面白いし読みやすくてスイスイ進んだ。

私はそもそも『山月記』を読んだ高校時代で臆病な自尊心と尊大な羞恥心周辺の描写は痛いところを突かれる気持ちがあった。今読み直してもその通りだと思う。

人生は何事をも為さぬにはあまりに長いが、何事かを為すにはあまりに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己のすべてだった。
中島敦『山月記』

辛い。何事も行動を起こすことが大事だってことは十二分にわかっているが動けないでいる。話として好きだったのは『弟子』だったけど、めちゃくちゃ私の悪いところ言われてる!?という気持ちになったのは『山月記』と『悟浄出世』『悟浄歎異』だった。

蘇武の存在は彼にとって、崇高な訓戒でもあり、いらだたしい悪夢でもあった。
中島敦『李陵』

李陵にとっての蘇武が、私にとっての『山月記』『悟浄出世』『悟浄歎異』だなあと思った。

己の珠に非ざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。
中島敦『山月記』
傍観者の地位に恋々として離れられないのか。物凄い生の渦巻の中で喘いでいる連中が、案外、はたで見るほど不幸ではない(少なくとも懐疑的な傍観者より何倍もしあわせだ)ということを、愚かな悟浄よ、お前は知らないのか。
中島敦『悟浄出世』
それだけではないか。何も積極的な役割がないのだ。俺みたいな者は、いつどこの世に生まれても、結局は、調節者、忠告者、観測者にとどまるのだろうか。けっして行動者にはなれないのだろうか?
中島敦『悟浄歎異』

自分を特別だと信じたい(信じている)から、普通でいたくはなくって、でも何かの結果を出すことで特別ではないことが明らかになるのではないかと思ってしまう。それならば可能性を残したままでいたいという甘えや恐れが、本当に特別になれる機会でさえ無くなってしまうんだよ~って。そうだよ。私がそうだよ。変に持ち上げられたり表彰された経験が、この手もつけられない自尊心を育てていっている。もう特別ではないと知っているから、特別ではないと改めて言われなくたっていいじゃないかという子供じみた駄々をまだ抱えている。早くそこから立ち去って、次のことを考えなければいけないのに。

大体の話が中国の古典みたいなところから持ってきているから、中島敦の面白さというよりは原作の面白さもあるのだろうが、それにしても読みやすいし知識の裏打ちがすごいなと思う。『悟浄出世』の悟浄が自分の悩みを解決したいがためにいろいろな先生のもとに思想を聞いて回る部分は、中島敦の知識量が出てるな~と思った。

名文というか、簡潔でまとまっていて綺麗だな~と思ったのも書いておこう。さすが名文家と言われるだけあるなと思った。中身があって物語の邪魔をしない描写をする能力は、さすがに私も欲しい。

老聖人は佇立瞑目すること暫し、やがて潸然として涙下った。
中島敦『弟子』
夜は葦間に仮寝の夢を結び、朝になれば、また果知らぬ水底の砂原を北へ向かって歩み続けた。
中島敦『悟浄出世』

綺麗な文章ですごい良い。語彙力と教養と知識が物を言うのだろうか。経験なのか。綺麗とされる文章に触れる回数なのか。中島敦の経歴をざっと見ても、この臆病な自尊心と尊大な羞恥心を持っていたのかなと思うが、まあ知ることはできないし知ったこっちゃないのだが。

自分は、そんな世界の意味を云々するほどたいした生きものでないことを、渠は卑下感をもってでなく、安らかな満足感を持って感じるようになった。
中島敦『悟浄出世』

仮に中島敦が上述した私や李徴と同じ悩みを持っていたとして、この文章が書けたということは、そこから抜け出せたということなのだろうか。そもそも、小説を書いて発表する行動を起こした時点で、それらからは抜け出していたのかもしれない。私がこの沼から出るためには、行動するしかないのか。果たしてその行動とは、何を指すのだろうか。

「見よ!君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」
中島敦『弟子』

行動を起こして弟子は死んだが、死ぬ可能性を持ちながらも行動せずにはいられない状態にいる人間は、やはり羨ましい。


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