選んだ孤独は、よい孤独

山内マリコの『選んだ孤独は、よい孤独』を読んだ。「男らしさ」という広く知られた規範から、「男」に求められる役割にある種無意識に苦しめられるような男たちの短編集だった。

山内マリコって、どなた?と私も思ったけど、『あのこは貴族』を書いた人らしい。映画が最高ということを知っていたけれど、その原作者。そういうと、ピンとくる人も他にいるんじゃないかな。あと、『ここは退屈迎えにきて』も書いてらっしゃる。

『選んだ孤独は、よい孤独』では、実にいろんな立場の男が出てくる。「ブスはこっち見んな」的な男友達のノリにウッとなりながらも、読み進める。友人にうまく馴染めない男、うまくいっているように見えるがいろんな視点から見るとそうでもない疲れている可哀想な男、恋人を引きずる男、さまざまいる。

安心して欲しいのは、男がどうしようもない馬鹿です見たいな描かれ方はしていない。当然のようにガツガツ「頼り甲斐」「奢り」を求めてくる女が出てきて、その女に罵倒されてこっぴどく打たれる男もいる。男集団に混じってこちらを笑う女も出てくる。当然、そんなことない女も出てくる。

他にも、社会に出て働くことが向いていないのに男であるからというだけで社会に送り込まれて働かざるを得なくなった男(対比として女は働かない選択がしやすいという話もある)、本当に鈍感なだけで無意識に傷つけて何も気づけなかった男、妻は文句を言わず家事をすべておこなっているが「愛している」と即答できない男、色々いる。そのまま働き続ける男も、逃げ出す男もいる。

色々思うところができた。「弱音を吐くの?男が?」みたいな価値観に男も女もがんじがらめにされていて、男が本心を誰かに打ち明けることもできない。「男は性欲旺盛で、猿のようなもの」「男は好きな相手には欲情し、やりたがる」といった価値観を押し付けられて乗り気じゃないのに性行為に応じる男もいる。私も無意識に男に対して乱暴な偏見を押し付けているのではないかと自省した。何気ない一言や些細な言葉の節々で乱暴な「らしさ」を補強してきたかもしれない。反省すること限りなし。

とは言えど。山内マリコは女性ということで、この「男らしさ」に対する「男」について、どのように描かれたのかということが気になる。やはり女で人生を過ごし、女として他人に認識されてきた人間と、男で人生を過ごし、男として他人に認識されてきた人間では環境も感じ方も何もかも変わっており、そこを本質的に理解し合うことが理想ではあるが難しいのではないか。と常々感じており、だからこそ当事者の声を聞くことが、拾い上げることが、自分が当事者意識を持って発言することが大事だと考えている。

ので、この本はどれほど「男らしさ」のいや〜な部分を表現できているのか想像もつかない。これだけを読んでわかった気になってはいけないし、こういう人間がいるということはもっと想像もできない表現されていない男性も当然存在する。男性読者の感想を見て、思索するばかり。


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