死者の奢り・飼育


ひときわ高い叫びと笑い、そして軽く草をなぐ音、しかし、橇は粘つく空気を押しわけて僕の前へ滑り降りて来なかった。

大江健三郎『飼育』




大江健三郎の『死者の奢り・飼育』を読んだ。作品集で、タイトルの作品の他に『他人の足』、『人間の羊』、『不意の啞』、『戦いの今日』がある。私は特に『他人の足』、『飼育』、『不意の啞』がお気に入り。なかなか良い読書体験ができた。

まず、私は大江健三郎に対してどう思っているかというと、初めて読んだのは『人生の習慣』で作風については全く知らず。人類讃歌で光属性の作家なんじゃないかという印象。平和主義。反戦。良い人。そういう感じ。

そういう感じだったので、序盤からの重苦しい感じ、かつ面白い物語に正直度肝を抜かれた。『死者の奢り』は、まあこのようなものもあるよな、徒労感や無駄なことをするといった物語形態はよくある、という感想だった。進んで『他人の足』の、まとわりつく謎の嫌な感じに心惹かれ、そして『飼育』、『飼育』を読み終わったとき一度本を閉じてふう、と息をついた。ドキドキしていた。映画を観た後のような気持ちになっていた。

各場面場面をなんとなく想像する。『死者の奢り』はなかなか想像が難しかった。しかし『飼育』では、特に書記が岩肌にぶつかり微笑むように死んでいるその姿が強烈なイメージとして私の中に入ってきた。無邪気な子供達と黒人兵が水辺で遊ぶ姿も目に浮かぶ。なんなら緑の匂いや、濃い体臭、じっとりとしている空気感でさえ感じられる。は~、大江健三郎ってすげ~。戦争体験や生まれた場所、それぞれが色々と絡み合っており、私とは生きる時代も違えば戦争への感情も異なり、知識や経験は全く違うので当然正しく受け取れている部分は少ないだろうが。大江の考えた風景と私に湧いたイメージはどこが一緒でどこが異なるのだろうか。祖母から聞いた戦時の話を少し思い出す。やはり私には到達できない、経験者にしかわからないものがあるだろう。

どうやってこの感動を言語化したら良いかわからないが、とにかくおもしろかった。言葉を選ばず感覚で話してしまうことにする。

『他人の足』はまずタイトルがいい。歩けない子供達が住む療養所に渦巻いていた、倦んだ世界に外部からの学生が侵入し、その世界に希望を取り返したように見せて(事実取り戻していた)、学生は自らの足で療養所を、子供を振り払って立ち去る。なんとなく存在する、的外れな善人はやっぱりその程度なのだと言ってしまいたい気持ち、希望がある方が辛いという状況、しかしそれに縋っていたい自分だっている、結局元あった場所に帰っていく。

『飼育』は上述したが、とにかく世界が想像できる。江藤淳の解説を読むと、

いわばこの作品のなかで「戦争」と主人公の内的な成長がフーガを奏していて、それが父の鉈の一閃で合致したということもできるだろう。倫理的にいうなら、黒人兵を屠殺し、「僕」の指を砕いた鉈は、作者のアンファンテリスムからの訣別の意志の象徴をなしているのである。

江藤淳 解説

うお~賢い。飼育というタイトルからもあるように、言葉の通じないがリアクションがあって石のやり取りを行おうとする黒人兵を、戦争と関係ない田舎に住むぼくは文字通り飼育して牧歌的な関係を築き上げる。しかし不意にその関係は崩れ去り、父にぼくの指と黒人兵が同時に砕かれる。そんな大きな出来事の後、どこか落ち着かない状態のままの読者である私に向けて、書記の唐突な死の微笑が坂の上からやってくる。明確には自分の元にはやってこず、自分から確認しにいくのだが。

ここまで書いてきてなんとなく気づいたのだが、大江作品は私の予想を裏切るが、確かに期待通りの展開だったり結末だったりする。予定調和ではないどうしようもなさ、どうにもならなさ

外国兵のなかでいちばん澄んだ青い色の目をした男が菓子の包みを投げてやったが、女の子供も犬も身動き一つしないでその遊びをつづけた。

大江健三郎『飼育』

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