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やりたいことはなかなか見つからない
スティーヴ・ジョブズの有名な言説にこのようなものがある。
"People don't know what they want until you show it to them."
「顧客に何が欲しいかを尋ねても、彼らはそれを見せられるまで分からないだろう。」という趣旨のようである。
つまり、顧客は自分が何が欲しいのか理解できていないということであり、顧客に限らず、僕も含めた人間一般に当てはまるのではないかと仮説する。
これと似たような話題で「やりたいことを見つける」ということが、世間の多くの人が渇望しているテーマになっている気がする。
そもそも、「やりたいことを見つける」とはどういうことなのだろうか。
ここでは「やりたいこと」側と「見つける」側のニ方面から考えてみたいと思う。
まず「見つける」「見つかる」という動詞を使っているということは、「やりたいこと」はこの世には存在している(はず)が、未だ出会ってないという状態を想定しているということだろうか。
本来は「やりたいこと」があるはずなのに、未だ出会えていないという可能性に賭けて、暗中模索する様。このように仮定すると、とにかく自分の知らない物事を試行しまくることが必要になりそうである。
そして、幸運にも何かの拍子に運命的な出会いをする。その結果、やりたいことが見つかる。
このパターンについて、ありえないことはなさそうであるが、何だがしっくりこない。僕の勝手なイメージだが、やりたいことを見つけている人は、暗中模索的にあれこれやった結果、それをしている感じではなく、傍ら見ると運命に導かれたように、少ない試行回数でそれに出会っている気がするからである。
では、「やりたいこと」側から考えるとどうだろうか。
「やりたい」とは、英語に変換すると「want to 動詞の原形」であり、動詞する状態を欲しい、望む、求める等に言い換えることができるだろうか。
こう考えると、冒頭のスティーブ・ジョブズの話に繋がりそうだが、要は自分が何を欲しているのかという自己理解の問題になりそうである。
では、「欲しい」とは何なのか。
月日は遡り、僕が覚えている限り何かが「欲しい」という感情を幼少期に抱いたのは、ゲームキューブが登場した頃である。今考えると、何であそこまで強烈に欲しかったのかは分からないが、「これさえあれば、とんでもなく楽しい時間が過ごせる!」と予感させる何かがあったのは間違いない。
※幼少期の方がより根源的な「欲しい」という感情に迫れるのではないかと思った。
「人間は将来について考えることができる唯一の動物である。」と聞いたことがあるが、それならば、とんでもなく楽しい時間が過ごせると予感することは、現在の状況と未来の状況を比較した際に、未来の方がより自分が望む状態になっている可能性が高いと思い込めると言い換えることができそうである。
※最初は、望む状態の部分を「良い状態」と書こうとしたが、「悪い状態」になりたい人もいるだろうということで、「望む」に変更した。
「思い込める」という力も重要な気がしていて、そこには何の疑いの余地もなく、瞬間的な速さで「望んでいる」自分がいる。じっくり考えたわけではない。とにかく速さがある。
だが、幼少期が過ぎ大人になるにつれて、この「望む状態」というものが分からなくなってきているというか、ピュアに考えられなくなっている自分の存在にも気づく。
夏になれば、虫かごと網を両手に蝉取りに出掛けていたのに、大人になった今ではそんな気すら全く出てこない。不思議である。あの時のピュアささえあれば、何でもできる気がするのに。
話が脱線してしまったが、自分の「欲しい」「望む」「求める」を追求するには、大人になってしまったのならば、自ら作り出すしかないのではないだろうかというのが僕の仮説である。
そもそも、ゲームキューブも任天堂の誰かが作ったものであるし、それを見せられて、少年だった僕は「欲しい」となったわけである。
ただ、大人になった今となっては、その何かに魅せられてピュアに惹かれるという現象も少なくなってきており、そのように考えると、自分で何かを生み出す、作り出して、自分を喜ばせるというフェーズに入ってきているのではないか?と思ったからである。
これについては、全く根拠がないので当てずっぽうになるのだが、何となくそんなことを考えたので、ここでまとめておく。
ただし、もしかしたら「見つかる」「見つける」という試行でも見つかるのかもしれないので、これに関しては分からないということだけが分かっている。
運命的な出会いをするにしても、まずは少なからず、試行は必要でありそうである。
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