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村上春樹と牡蠣フライとスパイスカレー

 この間ハイティーンの女の子と話をしていて——というと何だかいかがわしい感じもするけど、単に職業上の問題です——村上春樹の話題になった。僕が授業中に翻訳者としての村上春樹の特徴について少し触れた際に、彼女が「そう言えば」と思い出したのだそうだ。
 彼女の高校の国語の教科書には、村上春樹の有名な「牡蠣フライの話」が掲載されていたんだそうである。今調べたらこの文章は2001年が初出で、それからは20年以上が経過している。そう考えるとまあ教科書に載るぐらいのことはあるかもしれない。牡蠣フライの話をご存知ない方のために説明しておくと、「自分のことを書こうとするならば、牡蠣フライについて書きなさい。その文章は自分と牡蠣フライの間の距離を描いている。その距離によって自分というものが浮かび上がってくるはずだ」という趣旨の文章だ。で、当然課題として「ではあなたも自分について何か書いてみましょう」ということになり、当時はまだ素直だった(と推測する)彼女は創作に励んだのだけれど、その時に彼女が書いた「眼鏡と自分」の作文は優秀作品としてクラス全体に(一応匿名で)発表された後、「この作文を書いた人は少し精神的に病んでいるんでしょうかね」というコメントを先生からもらったんだそうである。彼女はその先生の言葉に少なからず傷つき、おかげで村上春樹に対して並々ならぬ悪印象を持つことになったとのことだ。村上さんからすれば、とんだとばっちりというところである。
 しかし彼女はその後それにとどまらず、世の村上春樹的(だと彼女が解する)ものにも悪印象を抱くことになった。彼女が言うには、ルーを使わずにスパイスからカレーを作る男とは付き合ってはいけないのだそうだ。村上作品にそのような人物が出てきたかどうかは定かではない——多分いなかったと思う——が、とにかく彼女の生きる世界の中ではそうなのである。ついでに言うと、文章にカタカナが多い人間も信頼してはいけないらしいし、さらに彼女は虐殺のバットを振り上げたついでという感じで「バンドマン、特にベーシストの男とは絶対結婚してはだめです」と言ってのけた。最後のは村上春樹は関係ない気もするけど。

「カレーと牡蠣フライを作るベーシスト」(AI生成)
これは確かに関わってはいけない気がする。

 というわけで、僕も無事「付き合ってはいけない&信頼してはいけない&絶対結婚してはいけないタイプの人間」として認定されているみたいです。別にいいけど、高校の先生の何気ない一言によって一人の作家(と一人のしがない予備校講師)の印象がここまで悪くなるのか、とある意味ではちょっと感心した。

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