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大人は出張をする

 世界中の大人の皆さん、「自分も大人になったなぁ」と思ったのはどんな時ですか? 僕は「ちょっとその日は出張で」という台詞を言ったときです。そんなことかよ、と思われる方もいるかもしれないけど——まあ自分でもそう思うけれど——よく考えると大人の要素がこの短い言葉には詰まっている、と思う。
 まず冒頭(こんな短いフレーズでも冒頭と言うのかしらん)の「ちょっと」です。この一言には「あなたのご要望に添えず申し訳ないが」という気遣いの気持ちが(多分)込められている。おそらくこの台詞を言う人は相手から何らかの日時を打診されて、「ああ、他の日だったらあなたの希望を叶えることができるのに、どうして私たちはすれ違ってしまうのだろう? あなたは傷ついたりしないだろうか。心からお悔やみ申し上げる」などと思っているのである。いたわりの気持ちが、このたった四文字に込められている。
 続く「その日は出張」——「出張」という言葉はまさにマジックワードである。この一単語の中に「一つの仕事を任された」という責任と、「この運命には抗うことはできないのです」という諦観と、「あなたにもそれはお分かりのはずだ」というシンパシーと、それとは裏腹に「まあ泊まりがけの出張だからここは一発夜ははっちゃけちまおうかな」という期待感や背徳感が同居している。普段の職場を離れ、家庭も離れ、一人見知らぬ土地の夜を過ごす人間には無限の可能性が開かれている(のではないかと推測する)。
 そしてとどめに「出張で」で文章を締める省略である。「出張で——その先は言わなくてもあなたも分かってくれるでしょう。我々は共に同じ世界線を生きているのだから」という相手に対する深い共感と信頼がそこにはある(はずだ)。というわけで、この「ちょっとその日は出張で」という台詞は大人しか言えない台詞なのです。知らんけど。
 僕は職業上そんなに出張の機会が多いわけではないのだけれど、たまに高校の先生方を対象にした講義なんかに行くことがあって、そのような時にはこの台詞を言うことになる。ことさら大仰には言わない。さりげなくこのセリフが出てこその大人である。ちなみに、今後言ってみたい大人の台詞は「ちょっとその日は取材が入ってて」です。
 しかし、こんなアホな文章を書いていることが知られたら、多分そういう依頼も無くなってしまうに違いないな。大人になるのも難しいものです。

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