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「執筆しました」と言うのが気恥ずかしい件について

Twitter、その他いろいろなところで、

「今日は2記事執筆しました」
「執筆がなかなか進まない…」

…などという、ライターさんなどのつぶやきを見かけることがあります。

決してそれに難癖つけようというわけではないのですが、
わたしは、自分が主語だと、「執筆」って言えないのです。

副業でやっているライティングのクライアントさんとのやりとりでも、
「記事作成」と言ったり、「ひととおり書いてみましたのでご確認ください」と言ったりしています。
「執筆しました」というのが、どうもこっぱずかしいのです。

なぜだろう?

なんだか、「執筆」って、自分に使うとえらそうな気がしてしまうのです。


辞書で引けば「文章を書くこと」と書いてあるし、英語で訳せば「writing」なんだから、自分を主語にして「執筆しました」と言っても、まちがいではないんだろうなとは思うのですが。


でも、やっぱり、違和感がある。。。


たとえば、「小学生が執筆した読書感想文」とは言わないですよね…?
ということは、やっぱり、「執筆=文章を書くこと」という単純な説明では、なにかが足りないはず…。


こんなことを、最近つらつらと考えていました。(ヒマですね 笑)
そしてついに、自分なりの答えにたどりつきました…!


わたしの中では、「執筆」というのは
「社会的に高い価値のあるものを書くこと」
「多くの人からその価値を高く評価されるものを書くこと」なんだな、と。

だから、自分に使うとこっぱずかしいというか、おこがましく感じてしまうのだな、と。


もちろん、お仕事でご依頼をいただいた記事を書くときは、読んだ人の役に立つ、価値のある記事を書きたいと思って書いていますが、価値があるかどうかは読んだ人が決めることで、自分で「価値があります!」と言えるはずもなく。


「執筆しました」と言うと、
「わたしは社会的に高く評価されるものを書きました」と言っているように感じるのだなと。いやそりゃ、自分じゃ言えない(^^;


そう考えて、なんだか自分でスッキリした!というだけの話です 笑
あくまで個人の感覚なので、自分を主語にして使っている方を責める意図はないのです…!

ただ、もしかして「わたしもそう思ってた!!」という方が、ひとりふたりくらいいないかな?いたら同士みたいでうれしいな、と思って書いてみました。どうかしら。ドキドキ。






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