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選択肢は無数にあり、正解もない

人々の意識は、ものごとを二つにわけて見る傾向が強い。
白黒にわけることができない複雑で多因性の社会問題に対してもどちらかに固執する姿勢をとってしまう。
そのような姿勢を取り続けると、対立が生じて反対や分裂をつくってしまう。
それは誰もハッピーにならない最悪の状態である。
そこに巻き込まれると意識レベルの低い人々は消耗する。

人生は選択の連続である。
人々は自分が良いと思ったこと、他人に勧められて安心したことを選択して生きている。

複数の選択肢があるにもかかわらず、自分が信じたい世界の中でなるべく選択肢を狭めて、どちらが正解なのか慎重に、そしてなるべく自己責任にならないように選択する。

果たして選択肢を狭める必要があるのだろうか。
正解はあるのだろうか。
同じ選択をしても人それぞれ正解は違うだろう。

市民権を得たワークライフバランスも、無理矢理わける必要があるのだろうか。
ケジメという意味ではわけるべきだと思う。
家族やパートナーとの休日は大切であり、その空間に仕事を持ち込む必要はないだろう。

しかし仕事とプライベートを敵対させる必要はないと思う。
どちらかが上手くいかず、もう一方も上手くいかない。
案外こういう人々が多いのは気のせいだろうか。

例えば、休日に旅行に出かけ、休み明けに遅刻する。休み明けに体調を崩す。
最悪なパターンである。

話がズレてしまったが、選択肢が多いと悩む人が多いから選択肢を狭めるのだろう。

ひとつ目の選択で上手くいかなければ、別の方法があるじゃないか、という自然体でいれば正解に辿り着く可能性が広がる。

ポジティブな意識レベルにいる人はそれができる。
だからその人の周りは穏やかなのだ。

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