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人は自分の信じたい世界を信じている

バズっているYouTubeのコメント欄を見ると、案外その内容に触れていないことがわかる。
見た目が良いとか、声が良いとか、発信者への感想がコメントに寄せられている。

これは結構真理で、日常生活や職場でも同じようなことをよく目にする。
全く同じ内容について話しているにも関わらず、
相槌が多く賛同を得る人と、ハナからこの人は何言ってるんだろうと拒絶される人がいる。
単純に好き嫌いの領域である。
日頃の信頼の差とも言える。

人間は何となく物事を捉えて、
次に好き嫌いの感情で判断して、
その後ようやく論理的に考えるらしい。

つまり人間の感情を無視して、
いきなり論理という正義で話してしまうと、
人は聞いてくれない、ということだ。

AIの進化でひとつの問いに対して、
ほぼ全員が同じ回答ができる時代だ。
AIでビジュアルだって細工できる。
クリエイターの仕事すら減少していると言われている。

尚更、人間特有の『間』であったり、
聞き手との『呼吸』が重要になってくる。

常日頃から相手に対して、
思いやりや敬意を示している人でないと理解できない領域だ。

常に他人任せで生きているとなかなか気づけないだろう。
悲劇のヒロインばりに不幸な感じを出しちゃう人は永遠に気づけない。
周りに変な気を遣わせている時点で他責であることに気づけるかどうかである。

シンプルに周りの人をハッピーにするにはどうすれば良いか、困っている人を助けるにはどうすれば良いか、を考え続ければ他責にはならないはずだ。
考えるのが難しいなら、そういった環境に身を置くのもありだ。

殆どの仕事はAIがやってくれるようになるわけで、無理にわかりづらい資料作りに励む必要はない。
なぜなら優秀な人の脳やスキルを好き放題使えるわけで、近い将来優劣の概念がなくなり、人間は自分の信じたい世界を信じるだけになるのだから。

思考が苦手な人が思考をすると頭が痛くなるらしい。しかし現状の世の中では、思考するのが正義だから苦しいだろう。
意図が汲み取れない、意見を言えない人にとって会議は眠気との戦いだが、現状の世の中では合意形成が正義だから参加するしかないだろう。
意識レベルが低い人たちにとってはかなり苦痛だったと思うが、そこから解放される時代は近い。

近い将来小学生の頃に教わった、
・相手の立場になって考える
・思いやりを持って接する
で勝負できるようになるのだ。
思いやりの再構築と言えばカッコいいだろうか。

優しい人、誠実な人がようやく正しく評価される。
偏差値が低いから駄目だとか、
Excelが使えないから駄目だとか、
人格と全く関係ない評価基準がなくなれば、
本当の意味で皆んなが自分らしく生きていけるのではないだろうか。

私たちのような業界にいる人は、
新たな時代にフィットするのは間違いなく早い。

普段から空気を吸う如く、
思いやりを持って人と接しているからだ。

テクノロジーの進化が人で勝負できる業界を明確にしてくれたかもしれない。

若者が自分の信じたい世界を信じて生きるのは楽しそうである。

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