日常に潜む孤独。

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ちょっと暗い話だけど、2週間経っても忘れられないので、
自分が忘れないために書きます。

何のためにnoteを書くのか。今は、自分と向き合うために書きたいと思う。
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先日金融機関に行った時、一人のご婦人に声をかけられた。
70歳手前と語るその女性は、「とにかく話を聞いてほしい」と言った。

金融機関に来る前、公共物の破損に気づいた彼女は、誰かが怪我をしてはいけないと思ったそうだ。そして近くのお宅のチャイムを鳴らし、「協力してほしい」と依頼。
だが、チャイムを鳴らした家の主人は体調不良で眠っていたらしく、「常識がない」と怒鳴られてしまったらしい。

よほどショックだったのか、私が話を聞いていると、彼女は泣き出してしまった。

私はというと、かける言葉が見つからずオロオロ…。その間に窓口の順番が回ってきたため、彼女は去ってしまった。

が、一度流れた涙は止まらないようで、次は窓口の職員に、「手続きが複雑すぎる」「色んな所をたらい回しにされてツライ」と泣きながら訴えていた。

お昼前の金融機関はとても混雑していて、職員さんは話を進めようとする。

仕事だから仕方ないと思いつつ、「そうですよね。大変ですよね。言ってあげたら、少し気持ちも落ち着くのではないか」と思った。

と、ふと気づいた。彼女を最初に孤独にしたのは、私だ。
私に声をかけてきたあの時、「それはつらかったですね。」と言えたらよかったのに…。

顔も知らない誰かのために行動した彼女が、目の前で泣いている。

SDGsでよく聞くようになった「誰一人取り残さない」という言葉。しかし彼女は今、難しい手続きが手におえず、良心でしたことも批判され、取り残されているように見えた。
私はその姿に、自分の両親や、数十年後の自分を投影してしまった。
超高齢化社会と言われる日本では、こんなことが日常茶飯事に起こるのかもしれないな。

私が手続きをしている間に、ご婦人は帰ってしまったが、
心の中で謝罪をし、次は行動しようと誓った。
窓口で涙する彼女の細い背中を思い出しながら、この後、誰か彼女の近しい人が、彼女の心に寄り添ってくれることを願うことしかできなかった。

世の中には、たくさんの人がいるのに孤独になる瞬間がある。
どうしたら、そんな悲しいシーンがなくなるのか。
今回は、私の勇気が足りなかった。

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