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ちょっと立ち止まって、振り返ってみた

こんにちは。お久しぶりの更新です。

しばらくnoteお休みしている間に、ぼんやり考えていたことが
少し形をもってまとまってきたので書いてみることにしました。

テーマはズバリ、
「何のために」noteを書いているのか

書いてきた記事を見返しながらのんびり振り返っていきます。
良かったらお付き合いくださいな。


書いた記事を簡単に振り返ってみる

◆想いに突き動かされて

noteを書き始めて5ヵ月。
改めて記事を見返してみると、私は誰かの想いに触発されて文章を書いていることが多いことに気が付いた。

例えば、こちらの記事。

映画やアニメ、原作漫画に込められた
登場人物たちの熱、音楽の熱に突き動かされるようにして、
気が付いたら書いていた。

5000字にもなる超大作を、初めて書ききった驚きと満足感は今でも忘れられない。



◆小さなお店の大きな想い

話は逸れるが、
わたしは、喫茶店にしろ、レストランにしろ、雑貨店にしろ、
味のある個人経営の小さなお店が好きだ。

たぶん、大学生の時からだと思う。
大学生の時の趣味は、近所を散歩しながら通ったことのない道を通ってみて
隠れ家的な素敵なお店を発掘することだった。
自分だけの「素敵お店マップ」を脳内で密かに更新するのが楽しみだった。

社会人になって、首都圏に移り住んでもそれは変わらない。
そういう遊びができそうな場所に住んで、
同じように心のときめくお店を探す旅に出かける。

これは、あくまで私の見解なのだけれど、
個人経営の小さなお店ほど、その店主の想いやこだわりがお店の空間や商品に色濃く反映されていると感じる。
それから、「目の前の、このお店を見つけて商品を手に取ってくれたあなたへ」の真心や思いやりが感じられる気がしている。


たぶん、わたしはそれを求めて歩いている。



ちなみに、SNSを始めてから、その探検の規模は更に大きくなり
自分の近所にとどまらずネットの海で心ときめく個人のお店を探すようになった。また、最近はオンラインショップが手軽に始められるようになったので、実店舗を持たないお店にもアンテナを伸ばしている。


こだわりと想いの詰まったお店を求めて、どこまでも!✨




ところで、「このお店素敵!」と 心ときめくお店は、
必ずといっていいほど商品も魅力にあふれている。

下の2つの記事は
そんな商品を手に取りお迎えしたときの感動、
そのお店との出会いに対する感動、
お店を立ち上げ商品を作ったその人の想いを受けとった感動を
形にしたくて書いたもの。個人的にも大好きな記事だ。



◆熱のこもったファンレター

私は、感想文もお店や商品のレビューも、
「よっしゃ書く!絶対書く!!」となって書いているときは
一種のファンレターだと思っていつも書いている。


ファンレターをしたためることは、相手の熱を受け取った感動を、自分の熱で相手に返すことだ。

自分の返した熱が、再びその人の活力になって
お店やコンテンツを発展させるエネルギーとなることを願って。


ここで気づいた。

私は、想いや情熱を循環させたくて書いているのだと。




◆会社員時代に、身体を壊してでも欲しかったもの

そしてこの気づきは、社会人時代に自己犠牲的な働き方をしていた
根本の部分とも繋がった。

わたしは会社員時代、長らく、サポート系の仕事(問い合わせ窓口とか、総務事務とか)、要するに困りごとに対処する仕事についていた。

それは、利害や思惑の優先されるビジネスの世界でも、わずかに人間的な感情に触れられる場であったからだ。困ったり、怒ったりしていた人が、適切に対処して困難が解消されると形式的にでも感謝の気持ちが返ってくる。今思えば、その僅かなかけらを燃料にして頑張っていたのだ。

その分、負の感情に触れるリスクもそれなりにあったのだけれど
そうまでして、そこにいたのはそういうことだったのだ。

部署の問題を解消しようと、なんでも引き受けてしまっていたのもそう。
引き受けた分だけみんなの笑顔(プラスの感情)が増える気がしていたのだ。
職場での人間関係や、人との相性がわたしにとってかなり重要だったのも
感情を健全な形で循環させるためには欠かせない条件だったからだ。

結局、欲しかったのは、その場にいる人と感情や熱を互いに(プラスの方向に)循環させられるような場だったのだ。



そして、今ならもうひとつ条件を加える。
それは「気持ちに余白を持てる場」だ。

気持ちに余裕がないと自然と心身が疲弊してしまう。
そうすると、経験上、例え元は人にやさしくありたくて生きている人でも
知らず知らずのうちに意地悪な気持ちになってしまうものだと思う。
「わたしはこんなに無理しているのに」「こんなに頑張っているのに」と。

そうすると、気持ちによどみが生まれる。
循環は負のサイクルに陥ってしまう。
結果自分の中にある気持ちがしぼんでしまうのだ。

気持ちをしぼませる要素には、他にも
・行き過ぎた自己顕示欲
・金と名声だけが目当て
・一方的に搾取してやろうという魂胆
などがある。

それらには積極的にNOを提示していきたい。
それに応えたところで私の中には何も生まれないから。

自分が無理せずできる範囲で余裕をもってきることで
緩やかに、自分と他者間とのエネルギーのやり取りを楽しむ

それがきっと、健全にエネルギーのサイクルを回すうえで不可欠なんだと思う。スピリチュアルなことはよくわからないけれど。


今のわたし、これからのわたし

ここまでいろいろと振り返ってきて、
今後の自分に必要な指針が見えてきた。かなり抽象的だけど。

【soyokaの今後の活動の指針】
・自分と他者の感情・情熱の循環 を意識する
・余白を意識した行動、作業量、スケジュール
・心の灯を消すような要因の排除

会社員を辞めて半年。新たなフェーズに移行している感じがする。
半年間走り続けてきた自分に1ヵ月くらい夏休みをあげたいと思う。

わたしは何事もやり尽くしてから次の段階へ進むらしく、
今ホントに気力・体力・アイデアすべてが尽きてしまった🙃

聞くところによると、ぼーっとしている時間がひらめきを生むそうだ。
何もする気が起こらない日は窓辺でぼーっとして、
動きたくなってきたら散歩してもいいと思う。


それに、そもそも私は毎年梅雨時の気候が苦手。
高温多湿が天敵なのだ。
(以前知り合いに話したら、「キミは煎餅か何かなのか?(笑)」と笑われた。シリカゲルはいらないけど除湿器が欲しい。)


なので、夏休みじゃないね。梅雨休みだね。
ゆるゆるやりながら、次の景色が見えてくるまでぼんやりする時間を楽しみたいと思うよ。

じめっとした雨の日も楽しめるようになりたいな☔



今回、とっても内省的で抽象的な話だったと思うけど
ここまで読んでくださってありがとうございます!

お休み中でも、また気が向いたら書きますね。
では、また。

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