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ブログとしてのnote継続に至った理由

こんばんは。soyです。
大変です。
このnote、書き手である私自分がびっくりするほど、
お久しぶりの更新となっております。
い、いちねn以上?
こんなにも書いていないと、
もう自然消滅の方が格好がつくのでは。と思えてきます。

現在の私ですが、なんと大学院は年明け前に修士論文を提出し、
おおむね何もない日々を送っているんですよ。(今月まで)

つまり、来月には修了なんです!
えぇー、当初のnote登録理由はどうなるんだ、。、

そこで、今後noteどうするの?ということで、
それっぽく書いてみることにしました。笑


1.書けなくなった理由

まぁ、なんて恥ずかしいタイトルでしょう。
書けなくなったことに、さも、まっとうな理由があるかのようですね笑

①noteより修論書きなさいよ

さて、書けなくなった理由はコレに尽きます。
当初、学びをインプットするだけでなく、より気楽にウトプットする場としてnoteを選びました。
しかし、半年を過ぎると、noteの必要性が下がりました。
修士論文を書くために、自分の考えを形にして教授に見て頂く機会が増えたからです。
それまでは、自分のインプットが少なく、教授に見て頂くような文章にまとめられませんでした。
また、こんな私なんかが、課題でもないのに「教授!こんなこと考えたんで読んでください!」なんて図々しくて言えない、と思っていました。
noteは教授ではないので、ハードル低く言語化できる場になると考えていました。

それが、半年を超えたところで、
「あれ。私お金払って、収入も止めてまで院進したのに、なんで教授と関わろうとしないの?」
って気づいたんです、、!
要は、
肝が据わった、
図太くなった、
締め切りに追われ始めた、といったところです。

②見られることへの抵抗

もう一つの理由は、公に文章を後悔することへの抵抗です。
私は書き物を仕事にはしておりません。
冴えない一教師として働いてきたthe庶民です。
そんな人間が、ひと様に文章を晒すなんてことをして良いのか?
無意識に変なことを書いてしまっていやしないか?
誰かの逆鱗に触れたり、悲しませてしまったりしないか?
などと、うっすら思っていました。
要は、悲劇のヒロイン気取りの一面があったということです。

2.書こうと思った理由

そんな私ですが、先日ある本を読んで、
やっぱりnote書こう!と思いました。
そう思えた理由を考えてみます。

①上記の理由がなくなってしまったから

はい。
私は現在修士論文を提出しましたので、「こんなこと考えたんで読んでください!」と
教授に文章を提出することができない立場になってしまいました。
よって前項①の理由がなくなっています。
また、見ての通り、私の文章は視聴率がある訳ではないので、(読んでくださった皆さん大感謝です!)
必要以上に閉ざす必要がないのではないかと思ったのです。
よって前項②の理由もなくなります。

といっても”やめる”という選択肢がありますよね。
なぜやめないのか、やめたくないのか、自分に問うてみました。

②修論で副査の先生に言われた一言

修士論文発表会なる場で、副査の先生が私の文章力をほめてくださったことが大きな理由の一つです。
修士ですから、審査基準はとても温かいものだと理解しています。
けれど、自信のなかった部分を認めて頂けるというのは、とても嬉しいものです。
もっと続けたらよりよくなるのかな、と思えました。
(ほめられると伸びるタイプ?)

3.ブログとしての活用・言語化と成長

①ブログとしてのnote活用

私はnoteは情報発信としての役割を果たしている場所だと認識しています。
よって、ここに書く内容として適切なのは、
「今日ね、ケーキ食べて美味しかったの」
ではなく、
「ケーキに果物を入れる必要性について」
的な内容であるべきだ、と考えていました。

しかし、2①でも書いたように、私の発信力など小指の先もありませんし、
正直、noteを書いている人たちだって、
「よぅし、誰かに読ませてやろう!ぐへへ」
と考えてnote書いている人ばかりではないのではないか、
「これってどう思いますか?」みたいなテンションで、より敷居の低い場として理解し、活用してもいいのではないか、
と考えるようになりました。

②言語化の大切さへの気づき

 教師として勤務していた時、だんだんと自分の言語化能力が低下していることを自覚していました。
小学校の先生には「学級だより」を発行されている方もいらっしゃるでしょう。
けれど、私は小学校の先生ではなかったので、自分がなにかを生徒の前で語る機会があまりありませんでした。
さらに、授業でも擬態語を多用しがちで、身振り手振りや表情で雰囲気を伝えようとすることも多くありました。
また、どちらかというと生徒の話を聞く場面の方が多く、
言いたい事もぼんやりとした状態で頭の片隅に流してしまう日々が続いていました。

ですから、
大学院に行こう!と思った時も、自分の課題意識を
他者に伝わる文章にできず、痛烈に文章力の低下を実感したんですね。
自分の考えを言語化できないと、他者とのコミュニケーションも難しくなります。
特に話の内容が専門的になると、擬態語なんて使ったら白い目で見られてしまいます。

このような経験から、言語化をすることによって、他者と理解し合う可能性が拓けることが分かりました。
また、文章を書くことによって、自己理解も深まることに気が付きました。
自分が書いた文章を読むことによって、あぁ私ってこんなことを考えていたんだ、と気づかされるのです。(伊丹敬之先生の「創造的論文の書き方」にも「文章がドライブ」といった内容が書かれていました。)

③継続への憧れ

先日、経沢香保子さんの著書「自分の会社をつくるということ」を読みました。(起業する予定はないのですが)
この本は、よくある自己啓発本と比較して、とても文章がなめらかだという印象を抱きました。
経沢さんは毎日のようにブログを書くことを習慣にされていると書かれており、継続して言語化することで、いざという時に相手に伝わるものが書けるのだと感じました。

4.結論

さて、そんなこんなで三日坊主選手権があったら上位入賞できる自信がある私ですが、
以上の理由から改めてnoteを再開することにします!
今後は家庭科教師としての考察に限定せず、
日常で考えたことなども含めて徒然と書く予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。

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タイトルが「NOTE」と大文字になっていますが、
これは敢えてではなく、小文字にできなかったからです。
どうしたら小文字になるのでしょう。
note初心者、いちから頑張ります!


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