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ふたつの愛の割合と総量


 少し前に、男性の友人ふたりと愛について討論したことがとても印象深い。


 わたしは、自分の内面を愛している。というより信頼がある、という感じだろうか。別にこのままでいい、と思える感覚。でも、外見にはコンプレックスがある。

だからということもあって、わたしは内面も含めて一人の人として愛されたいし、相手のことも、というより誰に対しても「人として愛したい」という感覚がずっとある。


 でも、わたしに好意を抱いてくれる男性の多くはおそらく外見や雰囲気を見ている。つまり、人としての愛ではなく、恋愛的な意味の愛だ。

だから、「かわいい」と言われ、わたしの女の部分だけが抽出され、内面に目を向けてもらえないことがものすごく苦痛だった。でも、わたしも男の人を「かっこいい」とかそういう目で見ることもあり、そういう自分のことも嫌だった。


というようなことをその男性ふたりに相談したら、「そいちゃんは恋愛的な愛の方が価値が低いと思ってない?」と言われたのだ。その通りだった。わたしは恋愛的な愛を、なにか汚らわしいもののようにすら思っていた。

そこで、愛は「人としての愛」と「恋愛としての愛」のふたつに分けられて、どちらの方がいいということもなく、またその割合は変化するという話になったのだ。(ここでは「愛」と「恋愛」としておく)


このふたつの愛の割合が、相手や相手との関係性によって違うということだ(友達だったら愛の方が大きい、とか)。

さらには、同じ人に対してであっても変化するだろう、という話だった。例えば、最初はかわいいな(かっこいいな)と思っていた相手でも、接するうちに人としての魅力に気づいていくパターン。つまり、愛の総量を10とするなら、はじめは1:9でも3:7くらいになる、というような。逆に、友達だと思っていた相手が恋愛対象として見えてくる(9:1が6:4になる、など)みたいなこともあるだろう。


「だから、相手がはじめは恋愛的な愛だけだったとしても、むしろそれがきっかけで人としての愛も感じてくれるようになるのでは?」と言われ、少し気持ちが軽くなった。


 そして、パートナーに対する愛の割合の心地よさも人それぞれだろう。わたしはパートナーになる人には8:2くらいの割合が心地いいだろうし、相手にもせめて6:4くらいであってほしい。だけど、男性は「恋愛」の方を強く持つ傾向が強く、またはそれしかない(0:10)人も多いと感じる。実際、その話をしていた友人のうちの一人(既婚者)も、奥さんに対しては1:9くらいで、女性としての魅力の方が大きいと言っていた。

 そんな話をしているともう一人の友人が、「俺は10:0で人として愛している中で異性としての魅力がじわじわ芽生えて、10+2で12の愛にしたい!」と言い出した。つまり、総量は10でなく12くらいになりうる、という理論だ(笑)。わたしたちはそれを「12論」と名付けた(笑)。でも、人としての愛を大切にしたいわたしにとってはとても共感できる理論だった。


でも、そう考えると、愛の総量自体が変化するよね、と今度はみんなでスケッチブックにグラフを書いた(笑)。出逢ってから付き合う中で愛の総量は増えていく、でも大抵「結婚」を境に総量は減少、もしくは一定値のままになるのではないか!?という話になった。しかし、既婚者の方の友人も新婚のため、その真相は定かではなく、そこで長い愛についての討論は幕を閉じた。


 その数日後、尊敬している40代の知り合いの女性(既婚)とお茶をする機会があったので、「12論」や愛の総量の話をした。結婚してけっこう時間も経っているだろうから、愛の総量は減るのか聞いてみると、「減るんじゃなくて、発酵していくの。」と言われた。意外だった。

「腐ってると言われれば腐ってるんだけど、納豆もチーズも発酵してるからおいしいわけでしょ。結婚もそれと一緒で、関係が熟成していくの。」



結婚願望はあまり強くない方だけど、「あぁ、いいな」と思った。そのあとも、旦那さんのことを「人生を共にする同志」だとも言っていた。すごく素敵だと思った。

きっと日々の生活のなかでイライラしたりすることもあれば、大きな決断を一緒にする中で信頼したりもして、発酵していくんだろうなぁ。わたしも、チーズみたいな結婚がしたい。

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