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「知って、見て、考える教育~『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』~」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 
        ブレイディみかこ  著 (新潮社)

2019年の本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞した本作品。
やっと読むことができました。

あとがきにもあるように、一般人でも読みやすいエッセイ風だが、社会問題に焦点を当てるノンフィクションというジャンルなのです。
それも、イギリスが長年抱えている、格差・差別・ジェンダーなどが複雑にからみあった様々なことが、在英日本人としての視点で書かれています。
著者の一人息子くんが、元底辺中学校に通うようになってから、さらに身近に見えてきた問題がどんどん出てきます。

(底辺中学校…いわゆるエリート校ではなく、どちらかといえば貧しかったりやや問題を抱えている家庭の子が通う学校である。
息子くんが通う学校は、そういった環境の子がほとんどではあるが、学校自体がさまざまな取り組みを始めていて、底辺を脱したいようである。だから“元”がついているのである。)

アジア人に対する差別、経済的に裕福とは言えない人々への差別などがここまで深刻だとは、まさに住んでみないと見えてこないのだなと感じました。
移民を早くから受け入れてきたヨーロッパではありますが、だからこそいろんな違いを感じ納得できない人たちが、あからさまな差別をしてしまいます。

それは、自分たちとは違うと感じて、それがなぜ違和感になるのか、自分たちの当たり前は他国の人々にとっては非常識となるということを実感していないから。

息子くんは、アイルランド人の父親と日本人の母親をもつけれど、見た目はどちらかというと日本人の見た目が濃いとのこと。
イギリスで生まれ育ち英語しか話せないのに、見た目で差別を受けやすい境遇です。
でも彼は素直に賢く育ったせいか、差別という問題に敏感ながらも屈することがありません。

逆に差別的な言動がひどい友人をたしなめる勇気を持ち合わせています。
イギリスの断固とした人権教育のおかげもあります。
これが日本だったらどうでしょう。

日本は島国で、他国の抱える問題やセンシティブな事柄にやや鈍感な部分がありがちです。
移民も他国ほど受け入れていないのも事実です。

あとがきで紹介されている、息子君と同年代の女の子が書いたというこの本の感想文にもあります。
「知るということ」の大切さ、知って、そこからどう発展させていくか、自分なりに受け入れる許容はあるのか、すべての読者に問いかけられているようです。

コロナ禍でも注目を浴びた、私たち日本人特有の行動・・・同調圧力は、どうやって身についてきたのでしょうね。
ヨーロッパの教育方針は、低学年の早いうちから人間として身に着けるべき認識や社会通念などが、ただ教師から一方的に教えられるだけではなく、自分たちで考える習慣を
学ばせてくれています。
他人がこう言うから、友達がこうしたから、と自分も同じことをしてしまうことを良しとする文化は、あまり物事を深く考えない人間を作っているように思えて仕方がありません。
道徳の時間を、一つの教材だけで教えるという、昔ながらの教育はそろそろ卒業してはどうかな、と最近よく思います。

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