学生だったら行きたい会社
もし、今、自分が大学生だったら、どういう会社に行きたいだろうか考えてみる。
一つは、同期がたくさんいる会社。千人とかいなくてもよい。全員認識できるくらい(せいぜい200人くらいか)でよい。社会人同期は人生最後の同窓生的な存在。損得なく付き合えて、人生のベンチマーク、良きライバルになってくれて、一生自分を鼓舞してくれる。
一つは要望性の高い会社。無難な目標を無難にこなしていては、自分の可能性を最大限引き出すことはできない。無茶な高い目標を追うことで、潜在能力に火をつけたい。仕事の負荷や出した価値を、もらう金銭的報酬だけとバランスさせたくない。自分に降りかかる艱難辛苦こそ、自分を鍛えてくれる。人は弱いから自分で自分に厳しい要望はなかなかできない。プレッシャーを与えてくれる会社はありがたい。仕事の報酬は仕事。そんな言葉が特に若いうちは好きでありたい。
一つは新しい会社か変化の激しい業界。伝統的な会社や業界では若手はベテランに太刀打ちしにくい。過去蓄積が必ずしもプラスにならない領域で、社会人何年の選手達とガチンコ勝負してみたい。若い、を理由に逃げたくない。
一つは既得権を持ったぬるい中年達がいない会社。チャレンジしない人はあまり好きではない。中身のない肩書きにしがみついて、虚勢を張る人は情けない。ダメだと思ったら、潔く後進に道を譲る器量のある大人が多い会社がよい。自分もそうであること前提で。
一つは外形的な要因で差別しない会社。学歴や資格、出自や国籍、など、外面で判断せずに中身を見る。僕のような出戻りなども、はなから拒絶するのではなく、ちゃんとよく見て、よかったら受け入れてくれる。そんな度量があるならうれしい。
一つは誰かの悲しみの上に成り立つ事業ではない会社。別に社会的意義の高い仕事がしたいわけでなく、ニッチなニーズを埋めるだけの仕事でもかまわない。一隅を照らす、これ国の宝なり、だ。しかし、人の生き血をすすってまで儲けたいと思わない。
一つは多様な人との出会いが多い会社。まだ、ここにない出会いの可能性が日々ある会社。サヨナラだけが人生だ。しかし、出会いがなければサヨナラはない。つまり、人生はない。しかも、出会いの数だけ別れは増えるというけれど、今はSNSなどで、別れられない社会であるし。
でも…
結局は自分を必要としてくれる会社に行きたい。自分が好きな会社ではなく。こんなくだらない、可能性しかない学生の自分を見出してくれ、期待をかけてくれる。これ以上に意気に感じることがあるだろうか。
大人になった今でも会社を見る目などはなはだ怪しい自分なのに、学生時分などさらにないに決まっている。
また、いくら考えても未来などわからないし、別に自分は賢く立ち回って、勝ち馬に乗りたいわけでもない。自分が役に立ちたい、役に立てるというところで実際に少しでも成果を出すことができれば御の字だ。
就職の会社選びは株式投資とは違う。儲かりそうかどうかという「計算」ではなく、どんなダメなところがあっても愛せるか、その会社の仲間や事業のために骨を折れるか、といった「愛着」で選びたい。
そう思うと、いろいろ考えても、自分にはやはりリクルートしかないなあと思うのです。一つ限りの心を盗まれてしまって、他社への新卒入社のイメージがわかないのです…。
「別れても好きな人」
嗚呼…