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やりたいこととできること

就職や転職の際に自分の適職を考えるうえでよく用いられるフレームワークに、「WILL」「CAN」「MUST」というものがある。

WILLというのは、「やりたいこと」のこと。つまり「志向・価値観」のこと。

CANというのは、「できること」のこと。つまり「パーソナリティや能力・スキル」のこと。

MUSTというのは、「やらねばならぬこと」のこと。つまり「仕事自体」のこと。

この3つの要素の重なりが大きいような仕事を選ぶことができれば、その人は幸せだということである。

現在の社会的望ましさの文脈で言えば、「やりたいことを仕事にする」というのが良いこととされているように思う。つまり、WILL→CAN→MUSTという流れ(やりたいことを、できるようにして、仕事に就く)。

しかし、いくつかの点で、僕は違う流れの方が自然ではないかと思っている。

まず、今できていないことをできるようにするにはかなり大変な努力を必要とするという点。仕事に就くまでに、長い年月を過ごしていてできるようになっていないことを、就職前後の短期間で習得するということは、難しいことが多い。できていないのは、能力的に不足があるなど、何らかの理由があってのことが多い。その上で、大変な努力をあえてするのはどうなのか。

次に、そもそも確固たる「やりたいこと」を持っている人がどれほどいるのかという点。就職支援をしていて思うのが「やりたいことが見つからない、わからない」という悩み。日本人はどんな場でも変わらない強い「アイデンティティ」よりも、場に合わせて柔軟に「役割意識」によって自分を変えることを要請されて育っているので、いざ自由にやってよいと言われても困ってしまう人が多い。そういう状況の中、とってつけた即席の「やりたいこと」に従って、大変な能力開発をするというのは無理がある。

だから、自然なのは、「できることを仕事にすると、やりがいが生まれる」という流れではないだろうか。つまり、CAN→MUST→WILLという流れ。

できることを仕事にすれば、成果が出るので褒められる。褒められるとうれしくなり、やりたくなる。そもそも、特段「これでないと嫌だ」と思えるほどの「やりたいこと」がないのであれば、「できること」を軸に仕事を選べばよいのではないかと思う。

その「できること」はどうやって認識するのか。

それは、自分を素のままで出してみて、高い評価をしてくれるところに行けばよいのではないか。自分で自分の能力をアセスメントするのは難しい。仕事をやったこともないのに、どんな仕事ができるか、自己判定できる人は極少数だろう。であれば、アセスメントのプロである採用面接官に身を預け、「自分はこれこれこういうことをやってきたのだが、できることありますか?」というような姿勢で選考に臨めば、ちゃんと見極めてくれることでしょう。

天職は英語で「Calling」という。まさに「向こう側から呼んでいる」のだ。その呼びかけに応じて、自分の進むべき道を選ぶのが、多くの人にとっては自然な行為ではないかと思います。

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