荀子 巻第二栄辱(栄誉と恥辱)篇第四 8
材(才)性知能は君子も小人も[同]一なり。栄を好みて辱を悪み利を好みて害を悪むは、是れ君子と小人との同じところなり。[然れども]其のこれを求むる所以の道の若きは則ち異なれり。(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)
拙訳です。
『栄えることや利益を望み恥をかくことや損害を避けたいと考えるのは、君子も小人も同じで、これを踏まえると才能や知能は君子も小人も一緒と言える。けれども、栄・利を求める道・方法が異なっている。』
荀子は、君子も小人もその才知に大差はなく同じだと言っています。どこに差があるか、道・方法について説明されていますので、見ていきます。
小人は、大嘘をつき(誕)ながらしかも人が自分を信じることを欲し、偽り・だまし(詐)ながらも親しい付き合いを望み、禽獣のようなふるまいをしておきながら人からは善人と思われたく、あれこれ考えること(慮)を知りえず、行いには安心感がなく、固く守る(持する)ことは実行しがたく、結局は好むところのものを得られず悪むものばかりに遇う、と説明しています。小人の道・方法は、自分の行動を省みずただ欲しがっているということです。
続いて君子の説明がされています。小人の逆で君子は信・忠などを実行しているので欲するところのものが得られることになります。
小人は頸を延べ踵を挙げて、知能材性、固より以て人に賢ること有らん、と願い曰わざるは莫し。夫れ其の己れと異なること無きを知らざるなり。則ち君子は注錯(挙措)の当れるものにして小人は注錯の過ちたるものなり。(同)
拙訳です。
『小人は首を伸ばし踵を上げ背伸びして少しでも自分を高く見せて、これで人に勝る知能があるだろうとするが、それは君子の能力と自分の能力に差がないことを知らないからだ。才能ではなく、君子の立ち居振る舞いが正しく、小人は立ち居振る舞いを間違えているのだ。』
拙訳に自信が無いので、金谷先生の訳を紹介しておきます。
「小人はいずれも頸をのばし踵をあげてそれを慕いながら「もちろん知能や性質に普通人より勝ったところがあるだろう。」というが、そもそもかの君子も[本質的には]自分と違いがないということが分からないのである。つまり君子は[後天的な]行為が適切なものであり小人は行為の誤ったものである。」
君子は、自分を律して信・義の在る行動をとり、自然と他人からも認められるので栄利を得られるが、小人は誕・詐という行動をとるため人に認められず栄利を得られない。小人は、君子が他人に認められるのは君子に才知があるからだと思い込み才知を欲しがるが、すでに小人にも同等の才知は備わっており、才知を活かしてどう自分を律し行動するかが肝要なのだ、ということですね。
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