ある偶像のお話
私はアイドルというものを嫌悪はしないものの何故、あそこまでハマる人がいるのかわからない。しかし、ハマる人を利用して作られている経済に対して資本主義の極致を感じて好きだ。
こんなアイドルに対して固定概念でガチガチな私だが、最近友人のライブに行ったのである、しかも解散ライブに。
言うなれば根に残らない嫌がらせみたいなものだ。しかし、そこで私はいろいろ感じた。その雑記みたいなものだと思ってほしい。
バンド全盛期時代は過ぎ去った昨今のライブハウスは今や地下アイドルのライブ場所になっていて、なるほどそういう使い方もあるのかと思いつつ、1D制は残っていてライブハウスの経営も大変のものだとひしひしと感じた。
こんなハコの話でなく本題のライブ内容について話そう。曲を聞いても何もわからないし、コールもすごく騒がしい、なにが彼らを掻き立てるものが私には分からなかった。そして何曲か歌った後にMCだ、日頃芸人のMCなどを間近で見るときもあるのだがそれに比べればとてもつたない、心もとない、しかし無音は一切ない、そうファンが声援でそんな一刹那さえも与えないのである。熱量が凄いものである。
さて、書きながら思い出したのだか、その友人とチェキというものを撮ったのだが、あれはヤクだ、まずアイドルが隣にいるのである、さらには自分と同じポーズや対となるポーズをリクエストできるのである。は?こんなのQoL爆上がるのでは?追い討ちをかけるかのようにサインである、まず年月日があるこれは研究成果を発表するときにも重要である。その後に名前を書いてくれる、つまりそのサインは唯一のものとなるのである。そしてメインのサインそのものである。サインとは自己を投影し、誇張(デフォルト)したものである。これで人となりというものが感じるのだ。こんなの無限にいくのでは?しかも私の場合は1000円だった。近くのカードショップでジラーチが990円で売っていたが、ジラーチは山札からトレーナーズをサーチできるがサインをもらえるわけではない。一長一短である、ポケモン剣盾環境でもきっと活躍する一枚になるだろう。
おっとわき道にそれすぎた、ライブのボルテージは最高潮に達し、そこには連帯感いや一体感があった。あまり特定のために書かなかったがそのアイドルの世界観に呑み込まれていた。
最後の曲となった時、事前にコールペーパーが配られていて思わずコールをしてしまった、いやそうなってしまっていたのだ。
その曲が終わってアイドルが退場したとき、刹那だがとても長い静寂があった。まもなくその静寂はアンコールによって破られた。
その登場は舞台袖で円陣を組んで名前を呼ぶ良くあるそしてニクい演出だが熱い演出だった
そのアンコールが終わり、2ndアンコールがあった。しかし彼女らは現れなかった。もう終わったのである。この空虚感はきっとファンや冷やかしでもなくメンバーが一番感じたのだろう。
idolは偶像の英訳であった。しかしアイドルはもはや偶像からかけ離れた経済装置だと思っていた、愚かな私がいた。しかし、上のような偶像消失劇というカタルシス見せられるとやはりアイドルは他者の願望が射影された偶像であり、ファンでない私からしたらその偶像はファンの願望が重なりに重なり、酸化ビスマスの表面の用に玉虫色であり、眩しかった。
大仏がアマルガムによる金のメッキが剥がれても今尚、人々はありがたく見てるように、ただのホモサピエンスでさえも輝きを持てることに私はただただ驚嘆した。
しかし、終わりなのであるそんな神話も、異教徒の侵略によって失われた信仰よりも早く、経済によって終わったのである。この世はまさに平家物語の序文である。
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