見出し画像

エコロジカル・ログ なのか。

ログハウスを語る上で、知らないと”モグリ”だそうな、カナダのログビルダーで大学教授であった、B・アラン・マッキー氏の『エコロジカル・ログビルディング』と言う本を購入してみた。

主にログハウスを自分の手で作る実践的な本ではあるが、序章を読むとその哲学がよく分かる。人間の根本的な生き方に関するものだ。

ログハウスとは、一つの芸術であり
住むものが最も満足できる家であると言うことだ。
ログは、日常生活の中に自然を呼び戻してくれる。ログハウスが完成した後も、ログについた傷を見るたびに、
ビルダーはログが積み込まれた日々を思い出す。
家を建てるのに費やした時間は、ログに刻まれて行く。樹脂と樹液の甘い香りを放つログハウス。
自らの手でログハウスを作り上げた家族たちは、その芸術性を深く味わうことになる。
B・アラン・マッキー『エコロジカル・ログビルディング』p19より部分抜粋

それを読んでいると、自分たちが建てているログハウスは、エコロジカルの観点からは、まだまだだなあ・・と反省せざるを得ない。

やはり理想を簡単にまとめてしまえば、なるべく自分の手で作る、材料はなるべく地球を傷つけずに、慎重に森から切り出す。

しかし私たちのログハウスはそもそもフィンランドから運ばれてくるマシンカットのパイン材である。その材料がどんな森から来ていてどんな風に管理されているか、知らない。

エコの観点からすれば遠くから運ばれてくると言うだけでそもそも船やトラックの燃料や様々な点で環境に害を及ぼしているわけで・・・・

そして、ビルダーは自分ではなくやはり職人さんたちであり、設備は現代的なものだ。

しかし、それらを全て棚に上げてもなお、ログハウスの芸術性、機能的な優位性つまり快適性、そして多少はエコであることは打ち消されない。・・・と、信じる。

もちろん理想はマッキー氏の言う手で作るログハウス。住み方も自然と馴染んだものが一番だ。

けれど、都市に住む多くの人にとってそれはますます夢の話になっており、ある意味究極の贅沢でもある。

まさに、茶室の世界と同じく・・・(侘び寂びの鄙びた茶室は金持ちにしか作れない)

私たちは普通に家を買うのと同じくローンを組んで、税金を支払い、現代的な設備を備えてインフラとつながる・・・つまり電気も水道もガスも使う家としてログを建てている。材料ははるばる運んで作ってもらう。

これだけ聞けば、全然エコじゃない。これは本来の意味からしたらかなり邪道なログなのかもしれないなと思う。

ふと罪悪感が頭をもたげるけれど、いい面に目を向けなければ、とも思う。

本来的な意味でのログと、流れている精神は同じか、否か。

今はそんなたくさんの葛藤をくぐり抜けていく時間なのかもしれないとも思ったり。

いつも、今ある選択肢の中から最良だと思われるものを選んで一歩ずつ近づくしかないのだから。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?