日本文化に見る「永遠」のかたち〜伊勢神宮のこと

 少し前に、アルチュール・ランボーの「永遠」の引用をした。永遠とは、太陽に溶け合った海だと。
 永遠に物理的なかたちを残せるものは、この地球上にはない。日本建築は基本的に、木でできている。木は燃えやすい、生きている素材であり、永遠にかたちを留めることはできない。古い時代の日本建築には、非常に洗練された形式で、その「永遠」を閉じ込めているものがある。

 その代表は、伊勢神宮。

伊勢神宮の式年遷宮

 伊勢神宮が、いつできたのか、はっきりとしたものはわからない、と言えるのではないか。古い文献の中に、つまり神話の中に誕生した、謎の多いものだ。ただ本記事は、書かれた正確な、学術的な「歴史」の話ではないので詳細を知りたいならば文献なり、ネットなり、伊勢神宮のHPなりを調べてほしい。

 式年遷宮という言葉を日本人なら聞いたことがあるだろう。いくつかの神社・大社でも今もなお続いているこの風変わりな風習は、伊勢神宮の場合だと、ざっくり言えば、20年ごとに、全てを壊し、全てを新築するシステムのことだ。

 内宮と外宮のそれぞれに、隣に全く同じ敷地があって、20年ごとに隣へそっくりそのままのものを建てる。使われる木材・全ての材料は、常に育成してあり、”持続可能なエコシステム”となっている。壊された木材は、別の神社などの建材として使われる。

 私は、ちょうど前回の式年遷宮の前年に伊勢神宮に行くことができ、立て看板を見ると、全ての穢れを落とし新しく作る・・・というような内容のものがあった。誰もが知るとおり、伊勢神宮と一言に言っても一つの建物をさすのではなく、複数の建物群なのであり、その中で内宮と外宮がその代表的なものとされる。そこでは撮影はできないし、もちろんその建物そのものを、見ることも、できない。

一番古くて新しい

 伊勢神宮は、もっとも古い建築物の一つである。しかし、同時に、もっとも新しい建築物でもある。仮に、戦争でも起きて、日本の象徴である伊勢神宮を爆破せよ、となったとしても、それを本質的に壊すことはできない。

 なぜなら、伊勢神宮とは、その建築物本体ではなく、それは一つの表現形態であって、持続可能なシステムの中に、抽象的な存在にまで高められているものだから。つまり、壊しても、また建てればいいのだから。それは、そのシステムとそれを守って行く人々の中に永続しているのだから。

 それが伊勢神宮の永遠性であり、本質であると私なりに理解している。

遠くて、身近

 伊勢神宮は、先述したとおり、見ることもできなければ、写真も禁止である。(特別に許された写真家が撮った伊勢神宮の写真集などはある)
 しかし、屋根のその突端だけは少し見ることができる。
 そのくらい、近寄りがたく崇高なものとしてある。

 しかし、境内に入った瞬間、爽やかで気持ちの良い空気を誰しも感じる。
 老若男女、たくさんの人々で賑わう。いつできたかもわからないくらい古い神社なのに、いまだに境内も、参道も人であふれていてものすごい活気があり、新しいお店や美味しいものなど第一線の観光地でもある。
 遷宮の時には、ヒノキの香りが満ちていた。写真で見ると、建築物本体は、愛らしくて素朴である。そう、その建築形式は、豪華絢爛なものではなく、色も塗られていない無垢の木そのもの、屋根は茅葺き。究極に、シンプル。それは、もっとも民に近い建築物とさえ言えるのではないだろうか・・・これが日本の最高峰の建築物なのである。

 誇らしいと思いませんか?

永遠、目に見えないもの

 その、無防備なまでの美しい無垢の建築物が、日本の古い・・・神話の時代から伝わるものだと知った時、ものすごい感動を覚えたのでした。

変化し続ける永遠、目に見えないもの、それを建築として残せるという文化とは一体なんなのだろう、私は、自分の生まれた国についてまだまだ全然理解できていないのかもしれないなと思う。


現地に行った時の写真がどうしても見つからないので、また見つけたら掲載しようと思います。

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