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かこさとしの「かわ」83刷でテンション爆上がりする話

この話は結構何度も妻や子どもたちにもしているし、実際に絵本も読み聞かせしながら説明しているから、家族には一定の理解はあるのかなと思っていたけれど、普通に考えたら結局酔っ払ったお父さんのどうでもいい長話の類に分類されているかも知れなくて、そういう話って正にnoteへログ残しておいたら良いやつじゃんと思って、深夜にまた酔って書き始めます。加古里子の「かわ」という60年近く前の、古い絵本の話。

作者の加古里子さんという人は、非常にたくさんの絵本を世に出した方で、だるまちゃんシリーズとか、からすのパンやさんとか、メジャーどころもあるし、わかりやすい科学絵本を出してきた日本のパイオニアでもある。とにかく細かく書き込む系の絵で読ませる感じ。2018年に他界されたけど、晩年の筆がゆるくなった感じも味があって好き。名作を評えば、もうそれは枚挙に暇がないとはこのことなのだけれど、今回取り上げる「かわ」に関しては、後に絵巻物として再出版されるほど完成度高く、当時絵本としては珍しい社会科学分野で、かつ後で述べるジャーナリズム的な側面も付加されいて、非常に価値が高いと思っています。

 そもそもこの「かわ」は1962年に月刊こどものともで世に出る。戦後のこの時代にこの内容を月刊誌として出すとか、売れるとは思えないんだけど、でもまあ出る。どれくらいの人が当時読んだのかはわからない。日本は冷蔵庫とモノクロテレビと洗濯機を三種の神器といっていた50年代から、60年代になってカラーテレビと冷房と自動車を3Cとか新三種の神器とか言い出したような、みんなまだまだ豊かになりたい発展途上な時代。川の源流から下流までの説明の絵本って、どう受け入れられたんだろう。売れるかわからない絵本を世に出し、今なお残って私の子どもたちが読んでいるのは、この絵本の価値を、この絵本が子どもにもたらす未来の価値を、福音館書店の皆さんが認知したから。当時のこの慧眼がまず尊いなと思うわけです。このことに限らず、福音館書店は本当にすごい。

 で、この「かわ」の中身の魅力はもうそれは存分にあるわけだ(今や「ドローンもない時代に当時の多摩川沿岸の生活風景を俯瞰で描く」という超人的想像力の産物かつ史料としても貴重な絵が、子ども向けの絵本として出版されているという贅沢&不思議)。霊峰の山並みから湧き井出た源流は徐々に大きくなりながら、やがて人の文明と関わり下流へと流れ行く。

 しかし衝撃は(少なくとも私にとっての衝撃は)、2016年7月、83刷の発刊で起こります。1962年のバージョンから54年後、24ページにあった以下の一文が消えました。

まちの ごみや きたない みずが ながれこんで、
かわは すっかり よごれてしまいました。

加古里子さんは言います。

「半世紀後の現在、官公機関、生産企業の努力、市民公共環境意識などの結果、日本の「かわ」は本来の姿となったので除去していただきました。」

、、、、どうですかこれ。めちゃテンション上がるんですけど。川の公害問題は、一般に解決しにくい問題です。どこかの用水路ならともかく、流域の広い川全体の環境が悪化している問題は、ステークホルダーが非常に多い。誰か一人の、若しくは一部の人達の心がけでなんとかなる問題ではない。関わるみんなが少しずつでも、きちんとその問題に向き合って、しかもその全員が継続的に行動を起こさなければ解決に向かわない、という難易度。でも、ですよ。そりゃ50年はかかってるけど、私たちは川を元の姿に戻せている!これは、みんなの関心、多摩川の本来の流れを取り戻したいという、流域に済む大変に多くの市民と企業皆さんが共通認識として持った思いが、多くの人が絡み合って膠着して結果的に害がある状況を、大きく改善させたわけです。

私は、この「かわ」が大好きで、読み返すたびに力をもらう。「私は社会を変えられる」という不遜で貴重な勘違いを、私に促してくれる。そんな気分にさせる加古里子さんの改訂は、粋だし教育的価値が非常に高いなと思うわけです。

この話、なかなか寝付けない5歳の息子にさっきもしてみたわけですが、へーとかふーんとか、わかっているのかいないのか。でもお父さんが楽しそうという事は伝わったらしく、彼もにこにこしてまた布団に帰っていった。親の思うように育って欲しいとはさらさら思わないけど、この今の私のテンション上がる感覚は同じく体験して欲しいなあ。いつになるのか分からないけど、社会に対する貢献実感を持つような仕事、活動をして欲しい。その手前には、社会を変えていける事実に出会って欲しいし、どう変えていくべきなのか深く考える経験も積んで欲しい。さらにその手前には、これっておかしい!とか理不尽さに憤ったり、疑問を持ったりして欲しい。親の思うように育って欲しいとは本当に思わないんだけど、妄想は広がってしまうなあ。下2人の娘は兄に倣っていくだろうし。

今年で8回目になる(去年まではR-SICって言ってた)社会課題のエキスポみたいなイベント「リディフェス」の企画運営に今関わらせてもらっていて、なおさらそう感じるのです。未来の息子が行ってみたいと思うイベントに、今から育てよう。若しくは、未来の息子が感化されるような設計を今から考えたいな。今年も激しく面白いので、時間ある方はぜひ来てほしい。オンラインだし。

全然違うメディアなのだけど、かこさとしの「かわ」が語る物語は、今の仕事で、いつも私が立ち戻るお手本なのです。やがて息子が私の仕事を語るとき、誇らしげであって欲しいな。今、私が「かわ」でテンション上がって長話しちゃうくらいの感じで。




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