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躁鬱奥さん♯11 離人症、パニック障害が辛い。初めて精神科を受診

こんにちは!躁鬱奥さん★ぴーたんです。

今回からは私の病気を話しますね。


私は小学生の頃から、

離人症がありました。


「突然、夢か現実か分からない」

「目に見えるものが本当なのか信じられない」

といった感覚です。


「現実感喪失」は、

いつでも、どこでも、誰と(一緒)でも、

突然やってくる


中学生の時、朝からモヤがかかってるような、霧の中にいるような違和感を感じました。

通学路の途中で、突然「夢か現実か分からなくて怖い」状態になり、悲鳴をあげて走り出しました。

すれ違う人の驚いた顔をみて、我にかえりました。

私は不登校でしたが、この日は定期テストで学校に行かなければならず、この話をすると家族からはストレスで起きたんじゃないかと言われました。

また、いつ来るのか分からないけど、気にし過ぎないようにしました。


高校生の頃は、友達と一緒に登下校してました。突然、離人症状が来て話せなくなったりしたけど、友達にはおかしいと思われたくないので、「貧血なんだよね」と嘘をついていました。


短大生の時、駅まで自転車で通学していたのですが、やはり突然発症し、怖くて逃げ出したくて猛スピードで自転車を漕ぎ、「誰か助けて」と心の中で叫びながら、目をつぶって漕ぎました。

はっと気づいた時には、赤信号の大通りにでる寸前でした。いつの間にかブレーキをかけていたようです。


私の場合、現実感喪失、離人症状は、波に似ています。

波が来るなと予感していて、穏やかに来る場合と

予期せず、突然、大波が襲ってくる場合があります。


そして、一番危険なのは

怖くて、その場から走って逃げ出そうとすること


先程の自転車で大通りに飛び出したこと、駅のホームで走り出して落ちそうになったこともあります。


これは今でも変わりません。

母や旦那には「一緒にいるから大丈夫でしょ」と言われるのですが、すごく申し訳ないけど、

誰といても起きる時は起きるのです。

友達には言えてないので、遊びに行く日はいつもドキドキしながら出かけています。



2000年頃、テレビで

パニック障害

のことを知りました。

突然くる

「生きてるか死んでるか分からない」

「気が狂うのではないか」

という心の衝動はコレだったのか!と目が覚める思いでした。


ただ、この頃は心療内科や精神科の敷居が高く、受診するという選択肢はなかったので、発作が起きたらやり過ごす日々でした。



初めて心療内科を受診したきっかけ


2011年、30歳の夏の日。

駅まで母を迎えに行きました。その時は普通だったのです。

母に会った瞬間、現実感喪失になり、恐怖で道路に飛び出しそうになったところを母に取り押さえられ、右腕を骨折しました。

母がいなかったら、確実に車がブンブン通る大通りに飛び出していました。

病院にいる間も何度も何度も現実感喪失が襲ってきました。


さすがに、これは尋常ではないと思い、近くの心療内科を調べました。

精神科よりは、心療内科の方が響きが柔和な気がしたからです。

幸い、近くに名医がいるというので受診しました。

頑固そうなおじいさん先生でした。

今までの症状を話し、ペーパーテストを受けました。

この2週間のうち、以下の項目にどのくらい当てはまりますか?という内容でした。

そして、衝撃の病名を宣告されました。


あなたは

「双極性障害、昔の呼び方だと躁鬱病だ」


そして、投薬治療が始まりました。


次回は心療内科を受診する前に起きた躁に似たエピソードにと原因不明の不明熱になった話を書きます😉

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