躁鬱奥さん♯16 壮絶な鬱③1ヶ月入院。人間としての日常生活ができなかった

こんにちは!躁鬱奥さん★ぴーたんです。

前回は2回目の心療内科の医師に暴言を吐かれ、3箇所目の病院を探すことになった時まで書きました。

鬱がひどくなると同時に食事もとれなくなり、身体も自力ではほぼ動かせなくなり、内部疾患も悪化していました。

そこで、持病で通っていた大学病院の内科の主治医のはからいで、内科病棟に入院させてもらい、精神科医にも診てもらえる事になりました。

偏見はいけないけど、家族は私を精神科に入院させるのは抵抗があったのです😢

私はもうなんでもいいから助けてもらいたくて、入院もしかたないとおもっていました。藁にもすがる思いでした。


入院生活は更に地獄の1ヶ月でした。

精神科医が驚くくらい大量の薬を飲んでいて、どの薬が悪いのか分からない!

そして出した結論は

「突然の断薬」


薬を飲まなくなった心身は禁断症状がでました。


それはそれはひどいあり様で

まさに「廃人状態」でした


人間としての日常生活ができないのです。


1分も椅子に座っていられず、

歯磨きも椅子の手すりにしがみついて、

シャワーでは髪や身体は看護師さんに洗ってもらいました。

食べれば吐く。

寝ては変な唸り声をだす。

一度寝ると自分では全く動けず、身体が完全にかたまり、30代にして「四十肩」になりました。

腕は全くあがらず、痛くて背中に痛み止めの注射をしても効きません。恥ずかしいけど、夏なのにワキ毛もボーボーでした。

若いのにと不憫に思ったのでしょう。

毎日、看護師さんが仕事終わりに来てくれ、これ以上、身体が固まらないように足を動かす体操をしてくれました。ありがたかったです。


ちょうど入院する前に、小6から大ファンだったSMAPが27時間テレビでライブをやったので、それを携帯のカメラに録画しておき、お守りがわりに持っていきました。

それを観ながら3分椅子に座る練習や、

病棟の端から端を手すりに掴まって伝い歩く練習をしました。

まるで赤ちゃんのような状態でした。


まるで生き地獄ですが、母に

「医師と薬の力だけではなく、自分でも努力しないと治らない」

と言われ、何度もくじけながらも支えられ、励まされました。

1ヶ月の入院で、ゆっくりですが、人としての最低限の生活が出来るようになりました。

治療してくれたお医者さん、看病してくれた看護師さん、薬剤師さん、なにより家族の協力があって乗り越えらました。

感謝してもしきれません。

 

次回は転院してからの話です。

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