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躁鬱奥さん♯4 双極性障害の私が婚活を始めたワケ。パーティ、個室婚活、街コンに参加!旦那との出会い

こんにちは!絶賛躁鬱中の奥さん★ぴーたんです😂

今回は婚活のきっかけについて書きます☺️

最近は「婚活」がスタンダードになりましたね。

私が初めて婚活パーティに参加したのは、今から10年くらい前の20代後半の時でした。その頃は婚活という言葉が新しい感じでした。

ある日、私の希望で、新宿の住友ビルにある平和祈念展示資料館に行きました。

友達2人と行ったのですが、資料館の隣の会場で婚活パーティをやっていました。すごい並びですよね😅

通りかかったところ、スタッフの人に「人数がたりないので、参加費(500円)は払わなくていいので参加してくれませんか?」と声をかけられたのです。

その時はショートパンツで婚活パーティには相応しくない格好でしたが💦友達と物は試しにと参加しました。


広い会場にテーブルが並べられ、女性は着席したまま、男性が回ってくる「回転寿司」みたいな形式でした。

その後、友達と同じタイプの婚活パーティに何度か参加しましたが、フリータイムで私だけ男性が来ないこともありました😢

フリータイムに友達には話したい男性が列を作って並んでました。たしかに可愛いし、話も楽しいし私も男なら並んでたかもとは思うけど、

正直、自尊心ズタズタです。

20代の頃はモテた訳じゃないけど、彼氏がいた時もあったし、ちょっとは需要があると思ってたのに…完璧な思い上がりでした。

この頃は漠然と彼氏がいたら楽しいだろうな~という感覚だったので、傷心の私はしばらく婚活はお休みにしました。


25歳の時に結婚前提で同棲していた彼氏と破局し、ずっと引きづっていたのもあり、本気で人を好きになるのが怖かったのかもしれません。


2014年の春。お姉ちゃんの乳がんが発覚。母も癌の疑い(幸いポリープだった)があり、ショックで2度目の鬱になってしまいました。

お姉ちゃんは私の歴代の好きな人ほぼ全員と会っていて、「ぴーたんには恋愛が必要よ」といつも言ってました。

おそらく、私が人を好きになると何事にも前向きに強くなれると分かっていたからだと思います。

母には、自分がいなくなった時に、私ひとりで生きていけるか心配だと言われていました。

私自身、母と姉とは繋がりが強く、精神的に依存していました。

2人がいなくなったら、とてもじゃないけどひとりで生きていける自信がありませんでした。

だから、もしもの時に支えてくれる存在が欲しくなりました。依存してばっかりでダメですね💦


廃人同然の壮絶な鬱で1ヶ月入院、退院後に転院したのを機に容態は落ち着いてきました。

2015年の年始。心身のバランスが取れてきた私とは真逆に、お姉ちゃんは余命半年と宣告されました。

お姉ちゃんは私に「ぴーたんの結婚式がみたい」と言うようになりました。

さすがに半年で結婚までは無理だとしても、せめて彼氏を作ってお姉ちゃんに会わせたい!と思い、婚活を再開することにしました。


<参加した婚活いろいろ>


婚活パーティは1人と話す時間も3分くらいで相手のことよく分からないし、周りの目も気になって向かないし、なによりフリータイムで誰も来ない「公開処刑状態」が耐えられませんでした…

個室婚活というパーテーションで区切られた半個室のパーティがあり、1人の人と話す時間も7分くらいあるので参加しました。パーティよりは話しやすかったです。

街コンは友達と参加出来るメリットはあったものの、合コンのような軽いノリが合わなかったのと、主催者によっては移動先の店に男性が来ないなんてパターンもあり、成果はあがらず。

そんな時、友達にある神社で婚活イベントをやっていると教わり参加したところ、二次会に行く流れになり、そのメンバーでサークルみたいな集まりが出来ました。

その中のひとりの人に後の旦那を紹介されました!

背が高くて、イケメン!私とは正反対!!

種族維持本能が働き、自分にない遺伝子を求めた気がします笑

でも、旦那は全く好みじゃなかったらしいです😨

それも仕方ないかな。


この時、私史上MAXに太っていて

149cm、70kgのマシュマロボディだったのです。

やっぱり男は外見重視なのか…

旦那の気持ちを知らない私は、旦那が話していた焼肉屋さんに行きたいと積極的に連絡したら、なんとOKでした👏🏻

やった!デートだ!!と思ったのに、旦那がもう一人友達を連れてくるというのです。撃沈🌀

かくして、婚活を継続することになりました💦

大好きなお姉ちゃんが生きてるうちに彼氏に会わせたい!!

その一心で婚活に邁進します。

続きは明日書きますね~👋🏼









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