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ぼちぼち行こか ~People Get Ready~

【これは、劇団「かんから館」が、2013年10月に上演した演劇の台本です】

とある大学のつぶれかけのボランティアサークル。そこに十回生の伝説のOBが現れて、サークルを再建しようとする。ところが、部員の1人が、どうやら新興宗教団体に入ってしまったらしい。部員たちは、懸命に引き戻そうとするのだが‥‥。


  〈登場人物〉

    岡崎 弥生
    深田 奈津子
    峰山 菊之介
    神谷 平蔵
    岩崎 弥太郎



    明かりがつく。
    古びた教室っぽい部屋。
    二人の女がパペットを持って歌い出す。

弥生・奈津子 ♪僕等はみんな生きている 
       生きているから歌うんだ
       僕等はみんな生きている 
       生きているから悲しいんだ
       手のひらを太陽に透かしてみれば
       真っ赤に流れる僕の血潮
       ミミズだってオケラだってアメンボだって
       みんなみんな生きているんだ 友達なんだ

    歌い終わって、二人、しばし静止。
    やがて、へなへなと座り込む。

弥生  はーあ。
奈津子 はーあ。
弥生  はーーあ。
奈津子 はーーあ。
弥生  やっぱ、元気出ないよねー。
奈津子 出ませんねー。
弥生  二人ぼっちじゃねー。
奈津子 そうですねー。
弥生  ほんとにねー。
奈津子 そうですねー。

    しばしの間。

弥生  はーあ。
奈津子 はーあ。
弥生  はーーあ。
奈津子 はーーあ。
弥生  やっぱ、元気出ないよねー。
奈津子 出ませんねー。
弥生  二人ぼっちじゃねー。
奈津子 そうですねー。
弥生  ほんとにねー。
奈津子 そうですねー。

    しばしの間。

弥生  はーあ。
奈津子 はーあ。
弥生  はーーあ。
奈津子 はーーあ。
弥生  やっぱ、元気出ないよねー。
奈津子 ‥‥あのぅ。
弥生  ‥‥え?
奈津子 これ、何回やるんですか?
弥生  え? ‥‥ああ、そうだよねー。
奈津子 でしょ?
弥生  そうだよねー。
奈津子 はい。

    しばしの間。

弥生  ‥‥でも、何か、うそみたいだねー。
奈津子 ‥‥え。
弥生  ‥‥みんなどこ行っちゃったんだろ?
奈津子 だから、卒業とか、就活とか‥‥。
弥生  いや、それはそうなんだけどさ‥‥何か、火が消えたみたいってゆーかさー‥‥。
奈津子 まあ、それはそうですけど。

    しばしの間。

弥生  敬老の日。
奈津子 え?
弥生  敬老の日、終わっちゃったよね。
奈津子 ああ、そうですね。
弥生  あーあ、終わっちゃったなー。
奈津子 ‥‥‥。
弥生  ‥‥去年は楽しかったよねー。
奈津子 ‥‥ああ、そうでしたね。
弥生  ほら、AKBやったじゃん。ヘビーローテーション。
奈津子 やりましたね。
弥生  木村先輩がさ、コスプレショップに行ったら、店員に変な顔されてさー。
奈津子 ああ、そうでしたね。
弥生  「ボランティアサークルのアトラクションです」って言っても信じてもらえなくてさー。
奈津子 まあ、坊主頭で、あのいかつい顔で、女子高の制服借りに行ったんじゃねー。
弥生  キムさん、全然ボランティアって感じじゃないもんねー。
奈津子 そうですねー。
弥生  あれさ、絶対陰謀だよね。思わない?
奈津子 え? 陰謀?
弥生  そうだよ。陰謀だよ。‥‥別にキムさんが行かなくてもよかったんだよ。立花さんとか、あたしとか、なっちゃんとかでも全然OKだったんだし‥‥。
奈津子 ああ‥‥そう言えばそうですよね。
弥生  だからさ、あの坊主頭で「女子高の制服ありますかー?」って言わせたかったんだよ。絶対!
奈津子 ああ、それはあるかも!
弥生  あるかもじゃなくって、それしかないって!
奈津子 ‥‥ですね。
弥生  でしょ!
奈津子 でも、誰の陰謀なんだろ? 部長?
弥生  いや、あたしはユミさんだと思うな。
奈津子 えー、それはないんじゃないですかー?
弥生  いやいや、ああいう、かわいくて虫も殺さないような顔してるのが、実はすっげー腹黒だったりするのよ。
奈津子 えー、信じらんない!
弥生  なっちゃん、キミはまだまだ人生経験が足りないようだねぇ。
奈津子 えー、そーかなー。それ、ホントだったらショックですよ。私、ユミ先輩のファンだったのにぃ。
弥生  人はねぇ、見かけによらないものなのよ。人を外見で判断しちゃダメ。
奈津子 ‥‥はあ。

    しばしの間。
    弥生、ぼそぼそと歌い出す。

弥生  アイウォンチュー。アイニィーデュー。アイラビュー。
奈津子 ‥‥‥。
弥生  ほら、あんたもやんなさいよ。
奈津子 え?
弥生  だから、アイウォンチュー。アイニーデュー。

    弥生、すわったまま、振り付けをする。

奈津子 ええ? やるんですか?
弥生  覚えてるでしょ?
奈津子 ‥‥はあ、まあ。
弥生  じゃあ、いくよ。せーの。アイウォンチュー。
奈津子 アイウォンチュー。
弥生  アイニーデュー。
奈津子 アイニーデュー。
弥生  アイラビュー。
奈津子 アイラビュー。
弥生・奈津子 頭の中 ガンガン鳴ってるミュージック ヘビーローテーション
弥生  ヘビーローテーション

    しばしの間。

弥生  はーあ。だめだー。
奈津子 え?
弥生  ちょっと、元気出るかなって思ったのになー。
奈津子 いや、だから、こんなのやったら、余計に空しくなるだけですよ。
弥生  そだねー。
奈津子 そうですよ。
弥生  はーあ。

    しばしの間。

弥生  そう言えば、きゃりーぱみゅぱみゅもやったよね。
奈津子 ‥‥ああ、やりましたね。
弥生  おじいちゃんとか、おばあちゃんに「きゃりーぱみゅぱみゅって言えますかー?」って、ゲームもしたよね。
奈津子 ‥‥はあ。
弥生  でさ、あん時、ミヨッシーだけ、全然振り付けが覚えられなくってさー。
奈津子 ‥‥‥。
弥生  この部屋で、真夜中まで居残りしてさー。‥‥彼、不器用なのに、根が真面目だからさー。もういいよってみんなが言っても、意地になっちゃってさー。何回も何回もやるんだけど、やっぱりできなくて。‥‥なんかいいやつだなあって思ったよ。‥‥思ったでしょ?
奈津子 ‥‥‥。
弥生  やってみる?
奈津子 え?
弥生  きゃりーぱみゅぱみゅ。
奈津子 弥生さん。
弥生  え?
奈津子 もう、やめましょう。
弥生  え? 忘れちゃったの?
奈津子 いや、だから、そういうの。
弥生  そういうのって?
奈津子 だから、そんな、死んだ子供のトシを数えるみたいなの。
弥生  え‥‥。
奈津子 だから、そういうの、空しいだけですよ。わびしくなっちゃいますよ。‥‥そう思いません?
弥生  ‥‥そっかあ。‥‥そうだよねぇ。
奈津子 ‥‥‥。
弥生  ‥‥死んだ子供のトシを数える、か。
奈津子 ‥‥‥。
弥生  なっちゃん、あんた、なかなかうまいこと言うね。
奈津子 え?
弥生  ‥‥死んだ子供かあ。‥‥「ひまわりくらぶ」は死んじゃったのかなあー。
奈津子 い、いや、そういう意味じゃ‥‥。
弥生  いや、そういう意味だよ。‥‥なんせ、二人ぼっちだもんね。もう死にかけてるよ。
奈津子 いや、だから。
弥生  「お前はもう死んでいる」ってか?
奈津子 いや、だから。
弥生  「ひまわりくらぶ、お前はもう死んでいる」 アハハハハ‥‥。
奈津子 弥生さん!
弥生  ‥‥え? 何?
奈津子 だから、だから、お願いだから、そういうこと言わないで下さい。そういうのってシャレにならないですよ。
弥生  ‥‥確かに、シャレにならないよねぇ。それは言えてる。

    長い沈黙。

奈津子 ‥‥どうしましょう?
弥生  ‥‥え?
奈津子 これからどうしましょう?
弥生  え? ‥‥ああ、そうね。
奈津子 ‥‥クリスマスの準備でもしますか?
弥生  まだ、十月だよ。
奈津子 そうですね。‥‥じゃあ、ハロウィンパーティー?
弥生  ‥‥二人で?
奈津子 紙芝居ぐらいできるんじゃないですか?
弥生  ハロウィンに紙芝居ねぇ。‥‥全然盛り上がらないんじゃない?
奈津子 ‥‥それは、そうだけど。‥‥じゃあ、お化けの着ぐるみを借りて来るとか?
弥生  ああいうのは、男子がやらなくちゃねぇ‥‥。
奈津子 だって、いないじゃないですか。
弥生  そうなんだよねぇ。
奈津子 ‥‥‥。

    沈黙。

奈津子 ‥‥弥生さん。
弥生  え? 何?
奈津子 どうして、そんなネガティブなことばっか言うんですか?
弥生  え?
奈津子 もっと前向きに考えましょうよ。二人だって、何かできますよ。絶対。
弥生  ‥‥たとえば?
奈津子 え‥‥。
弥生  二人で何ができるの?
奈津子 ‥‥だからあ。‥‥だから、どうしてそんなこと言うんですか! 私、もう泣いちゃいますよ!
弥生  ‥‥ごめん。‥‥別にいじわるを言うつもりはないんだけどさ、でも、現実は、予想以上にシビアなわけよ。たぶん。
奈津子 ‥‥‥。
弥生  ‥‥‥。あーあ。いよいよ、覚悟決めなきゃなんないかなあ‥‥。
奈津子 え? 覚悟って? 何の覚悟ですか?
弥生  ‥‥だから‥‥その‥‥解散‥‥かな?
奈津子 え‥‥。
弥生  ‥‥‥。

    沈黙。

奈津子 ‥‥それだけは‥‥それだけはいやです。
弥生  ‥‥‥。
奈津子 まだ、あきらめるのは早いと思うんです。まだ、できることがあると思うんです。‥‥私、バカだから、すぐにアイデアは出て来ないけど‥‥とにかく、やれるだけがんばりましょうよ!
‥‥私、「ひまわりくらぶ」が大好きなんです。いや、「ひまわりくらぶ」があったから、ここまでやってこれたような気がするんです。‥‥「ひまわりくらぶ」がなくなっちゃったら、私、学校を続けられる自信がありません。
弥生  ‥‥‥。
奈津子 弥生さん。お願いです。私を助けて下さい。勝手なお願いだけど、私のために「ひまわりくらぶ」を続けてほしいんです。お願いします!
弥生  ‥‥‥。あんたの気持ちはよーくわかるよ。‥‥あたしだってね、何とかできるものならしてあげたいよ。‥‥あたしだってね、つらいんだよ。‥‥でも、肝心のアイデアがねぇ‥‥。

    しばしの間。
奈津子 ‥‥あの、新入部員を募集するっていうのはどうでしょう?
弥生  それは無理だよ。ふつー十月にサークルに入る人なんかいなっしょ?
奈津子 そんなの、やってみないとわかりませんよ! 私、ビラ配りでも何でもやります! サンドイッチマンでも、ちんどん屋でも。
弥生  サンドイッチマンにちんどん屋ねぇ‥‥。
奈津子 そうそう、路上ライブとかどうですか? 歌って、踊ってたら、楽しそうだなって思ってくれる人がいるかもしれませんよ。
弥生  路上ライブねぇ‥‥。
奈津子 とにかく、何でもやりましょうよ! やってみないとわかりませんよ!
弥生  ‥‥うーん。
奈津子 お願いします! 協力して下さい!
弥生  ‥‥うーん。
奈津子 弥生さん! あきらめたら、おしまいですよ!
弥生  ‥‥そうは言ってもねぇ。
峰山の声  まさしく、その通り!
弥生・奈津子 え?

    峰山が出てくる。

峰山  あきらめたら、そこで試合終了ですよ!
弥生・奈津子 え‥‥。
弥生  あなたは?
奈津子 誰ですか?
峰山  いや、名乗るほどの者ではありません。通りすがりの旅の者です。
弥生  通りすがりの旅の者って‥‥いったいどこから入ってきたんですか?
奈津子 弥生さん、警察呼びましょうか?

    奈津子、ケイタイを取り出す。

峰山  あいや、待たれい!
奈津子 ?
峰山  拙者は、決して怪しい者ではないのであってな‥‥。
弥生  え? ‥‥どう見ても怪しいわよ。
奈津子 やっぱり、警察呼びましょう!

    奈津子、ケイタイを取り出す。

峰山  あいや、待たれい!
弥生  いいから、電話して!
奈津子 あ、はい。
峰山  あいや、待たれよ! ‥‥って、おい、待ってくれって言ってるだろ?
弥生  ‥‥だったら、あなたは誰なのよ?
奈津子 そうよ、名前ぐらい名乗りなさいよ!
峰山  そ、そうか? では‥‥おほん。
あ、問われて名乗るもおこがましいが、知らざあ、言ってきかせやしょう! 聞いて驚け、見てわめけ、泣く子も黙る、寝た子も起きる、峰山の菊之介とは、オレのことだあ!
弥生・奈津子 ‥‥‥。
峰山  ど、どうだ、驚いたかあ?
奈津子 あなた、峰山の菊之介さんとおっしゃるんですか?
峰山  あ、はい。
奈津子 それで、その峰山さんが、何の御用でしょうか?
峰山  だ、だから、そのぅ‥‥。
奈津子 はっきり言ってもらわないと警察呼びますよ。

    奈津子、ケイタイに手を掛ける。

峰山  あっ、それは、ちょっ、ちょっと待ってよ。
弥生  ちょっと待って!
奈津子 え?
弥生  ミネヤマキクノスケ、ミネヤマキクノスケ‥‥。どっかで聞いたことがあるわよ。えーっとねぇ、えーっとねぇ‥‥あっ!
奈津子・峰山  え?
峰山  思い出した?
弥生  あなた、もしかして、毎回選挙に立候補して、変な演説ばっかりやってる人?
峰山  ‥‥ブー。はずれ。
弥生  そっか‥‥違うか‥‥。でも、いい線行ってると思うんだけどな‥‥。
峰山  行ってない。行ってない。
弥生  えーっと、ミネヤマキクノスケ、ミネヤマキクノスケ、ミネヤマキクノスケ‥‥。あっ!
峰山  !
弥生  あなた、ひょっとして、この「ひまわりくらぶ」の創設者の一人で、留年に次ぐ留年を繰り返し、そのうちどこかにふらっと旅に出て、行方不明で、生死も不明、もし、生きていたら、今年で九回生という、あの伝説の‥‥
峰山  いや、この春で十回生になった。
弥生  あ、あなたがそうでしたか! 人呼んで「ひまわりくらぶ」のレジェンド、峰山菊之介大先輩! おうわさはかねがねうかがっておりました。生きておられたのですね!
峰山  ま、まあ、何とかな。
奈津子 弥生さん、十回生って‥‥
弥生  頭が高ーい!

    弥生、土下座。それを見て、奈津子も土下座。
    しばしの間。
峰山  皆の者、大儀であった。
弥生・奈津子 ははー。
峰山  苦しゅうない。おもてを上げよ。
奈津子 ‥‥あのぅ、弥生さん、大学って、確か八回生までなんじゃ?
峰山  ほっほっほっ、その方の疑問、もっともじゃて。‥‥確かに表向きは在学八年が限度じゃが、ほれ、魚心あれば水心と言うてな、休学やら留学やら、いろいろと裏技があってのぅ‥‥。
奈津子 さ、さようでございましたか。
峰山  わかったかな?
奈津子 ははー。
弥生  して、レジェンド閣下。
峰山  レジェンドでよい。
弥生  それでは、レジェンド。長きにわたり姿を隠しておられたあなた様が、こうして再びこの地に降臨なされたのは、どうしてなのですか?
峰山  よくぞ申した。しかと聞くがよい。
今を去ること十年前、本大学に入学した三人の若人がいた。この三人は、昨今の若者の気風に似ず、青雲の志を抱き、雨にも負けず、風にも負けず、強きをくじき、弱きを助け、常に世界平和を祈念して、あまねく万民に幸あらしめんことを衷心よりこいねがう有為の人材であった。しかるに‥‥
弥生  あのぅ、レジェンド。
峰山  何じゃ?
弥生  もうちょっと、わかりやすく言っていただけませんか?
峰山  ‥‥‥。もう、これだから、イマドキの若いもんは。
弥生  すみません。
峰山  まあよい。‥‥つまり、この三人は、とっても立派な若者たちでした。しかし、大学に入学してみると、実際の大学生は堕落しきっていて、勉強などは全然しないで、バイトやナンパに明け暮れているではありませんか。これに絶望した三人は、一時は退学までも考えましたが、彼らは、ある日、図書館の読書会で、自分たちを運命づける言葉に出会いました。それは、マザー・テレサのいくつか言葉たちでした。
「あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。」
「私たちは、この世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。」
「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけなのです。」
これらの言葉に感動した三人は、これらの言葉をすぐに実行しようと思いました。しかし、もちろん、その行動を起こす場所はどこにもありません。でも、それでも彼らはあせったりしませんでした。ないのなら作ればよいのですから。そして三人は、大学のかたすみに小さな活動の場所を作りました。そして、やがて、誰が言い出すわけでもなく、その場所は「ひまわりくらぶ」と呼ばれるようになりました、とさ。めでたし。めでたし。おしまい。

    弥生、奈津子、拍手。

峰山  者ども、わかったかな。
弥生・奈津子 はーい。
峰山  うん、よろしい。
弥生  はい、先生!(手を挙げる)
峰山  ん? 何だね、‥‥えーと。
弥生  岡崎です。岡崎弥生です。
峰山  はい。それでは岡崎さん。
弥生  あのぅ、どうやって「ひまわりくらぶ」ができたのかはわかったんですけどぉ、どうしてレジェンドがやって来たのかは、全然わかりませーん。
峰山  え? ああ‥‥。いやあ、いいところに気がつきましたねぇ。‥‥先生はね、みんながそこに気がつくかな?って、わざと言いませんでした。
弥生  えー、マジっすか?
奈津子 マジ? 単にぼけてただけじゃねぇの?
峰山  いえいえ、子供はね、大人を疑ったりしてはいけませんよ。大人というのはね、いつも子供たちがすこやかに成長できるように、あたたかなまなざしで見守っているのですよ。
弥生  えー、マジっすか?
奈津子 マジかよ? 白々しい言い訳してんじゃねぇよ。
峰山  だからですね、子供というのは、大人のそういう期待を一身にになっているわけですからね、純真で素直な心を失ったりしちゃいけないんですよ。
弥生  えー、マジっすか?
奈津子 おっさん、もう、うぜーんだよ。何言ってっか、わかんねぇーよ。
峰山  だ、だからねぇ‥‥お、おまえら、なめとんのか! 人が下手に出たら調子に乗りやがって、ふざけるのもいいかげんにしろ!
弥生  えー、マジっすか?
奈津子 マジギレ? もう、めんどくせーな。‥‥おっさん、だから、あんた、何言ってっか、全然わかんねぇーつーの。
峰山  何を言っとる。何がわからない? だから、オレが言ってるのはだな‥‥あれ? あれ?
弥生  えー、マジっすか?
奈津子 アハハ、こいつ、焦っちまって、もう何の話をしてんだか自分でわかんなくなってるよ。アハハハハ‥‥。
峰山  ‥‥ち、ちきしょう。
弥生  ‥‥あのね、レジェンドさん、私たちはね、あなたがどうしてここにやって来たのかってお話をしていたんですよ。
峰山  あ‥‥あ‥‥おう、おう、そうであった。そうだった。‥‥で、あるからにして、我が輩がここにやって来たゆえんのモノはだな、つまり、すなわち、ひとえに、なかんずく、お前たちのソコツ体たらくの段を看過致しがたく、はるばるかくして降臨あそばされに相成りてござ候。
弥生・奈津子 は、はあ?
奈津子 ほんとにマジで何言ってるのかわかんないんですけど‥‥。
峰山  うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。‥‥だから、お前らに任せて、この伝統ある「ひまわりくらぶ」をつぶさせるわけにはいかんのだ!
弥生・奈津子 ‥‥は、はあ。
弥生  ‥‥で、どうするんですか?
峰山  ふっふっふっふっ。やっとそこに戻ってきたな。‥‥皆の者、よーく聞くがよい。実はオレは秘策を用意してきたのだ。
弥生・奈津子 ‥‥ひ、秘策?
峰山  諸君、新入生を紹介しよう。
弥生・奈津子 ‥‥し、新入生?
峰山  さあ、岩崎君。入りたまえ。

    学生服姿の岩崎が入ってくる。

岩崎  し、失礼します!
弥生・奈津子 え?
峰山  紹介しよう。新入部員の岩崎弥太郎君だ。
岩崎  岩崎弥太郎と申します。どうぞよろしく!
弥生・奈津子 え?
弥生  ‥‥し、新入部員って。
奈津子 お、おじいちゃん?
岩崎  自分は老耄の身ではありますが、恥ずかしながら一念発起し、今春入学した者であります!
弥生  え!
奈津子 一回生なの!
峰山  ほっほっほっ。だから、さっき新入生と言ったではないか。
岩崎  先輩の皆様、自分は一年生でありますから、老耄ではありますが、特別なご配慮などは無用に存じ上げます。
弥生・奈津子 ‥‥は、はあ。
弥生  ‥‥失礼ですが、おいくつなんですか?
岩崎  自分は、当年とって六十九に相成ります。
弥生・奈津子 六十九!
峰山  この岩崎君の力を借りて、「ひまわりくらぶ」を再建するのだ。わかったな?
奈津子 ‥‥あのぅ。
峰山  何だ?
奈津子 岩崎さんって、その道の専門家か何かなんですか?
峰山  ん。‥‥ま、まあ、そうとも言えなくもなくもない。
奈津子 ボランティアの指導者とかですか?
岩崎  自分は、老人ホームに行っておりました。
奈津子 ああ、介護の仕事をなさってたんですか?
岩崎  いや、行っておりました。
奈津子 え? ‥‥も、もしかして?
岩崎  はい。利用者でありました。
奈津子 え‥‥。
峰山  老人ホームの利用体験者。これほどユーザー側のニーズを熟知している人材はなかろう。
奈津子 は、はあ。‥‥まあ、それは、そうですけど‥‥。
弥生  ちょっと待って!
峰山・奈津子 え?
弥生  イワサキヤタロウ、イワサキヤタロウ‥‥。どっかで聞いたことがあるわよ。えーっとねぇ、えーっとねぇ‥‥あれ、思い出せないなあ。‥‥あっ!
峰山・奈津子・岩崎  !
弥生  思い出した! 岩崎弥太郎って、たしかなんとか財閥を作った人よね!
奈津子 ‥‥岩崎財閥?
峰山  三菱。
弥生  そうそう、三菱、三菱。‥‥へーっ、おじいちゃん、もしかしてすっごい人なんだ。
奈津子 え、そうなんですか?
峰山  んなわけないだろ!
岩崎  ‥‥いや、自分の父親は三菱で自動車を作っておりまして、まあ、たまたま名字が同じものですから‥‥ちょっとあやかろうとか思ったみたいです。
弥生  ‥‥へぇ、そうなんだ。
奈津子 何か、すごいですね。
岩崎  いや、それほどでも‥‥。
峰山  とにかく、この四人で「ひまわりくらぶ」の再建に向けて邁進あるのみだ!
弥生  この四人って‥‥。
奈津子 レジェンドも参加して下さるんですか?
峰山  もちろん。
弥生  あのぅ、卒業の方は大丈夫なんですか?
峰山  卒業? ‥‥フフ、呑舟の魚は枝流に泳がずだよ。
弥生  ど、どんしゅうのうお?
峰山  高遠な志を抱く者は、些末な事にはこだわらないということ。けだし、遙かなるボランティアの道に卒業などありはしないのだ!
弥生  ‥‥なんか、わかったような、わからないような。
奈津子 かっこいい!
弥生  え?
奈津子 レジェンド、何かかっこいいですよ! 見直しました。
峰山  見直した? 惚れ直したの間違いだろ?
奈津子 いや、それはありません。
峰山  ぎゃふん。

    間。

弥生  ‥‥そっかあ。なんか、不思議と何とかなりそうな気がしてきたなあ。
峰山  な、そうだろ?
弥生  はい。
峰山  それじゃ、「ひまわりくらぶ」再出発に向けて、一発歌うぞ! 「若者たち」だ。いち、に、さん、

全員  ♪君のゆくみちはー 果てしなく遠いー
    だのになぜ 歯をくいしばり
    君はゆくのか そんなにしてまで

    君のゆく道は 希望へと続く
    空にまた 陽が昇る時
    若者はまた 歩きはじめる

    肩を組む四人。古き良き青春。
    音楽。
    暗転。



    明かりがつく。
    神谷がギターを抱えて座っている。
    おもむろにギターを弾き始める。

神谷  ♪白い坂道が 空まで続いている
    ゆらゆらかげろうが あの子を包む
    誰も気づかず ただ一人
    あの子は 昇ってゆく
    何もおそれない そして舞い上がる
    空にあこがれて 空を駆けて行く
    あの子の命はひこうき雲

    弥生が入ってくる。

神谷・弥生  ♪高いあの窓で あの子は死ぬ前も
    空を見ていたの 今はわからない
    ほかの人にはわからない あまりにも若すぎたと
    ただ思うだけ けれどしあわせ
    空にあこがれて 空を駆けて行く
    あの子の命は ひこうき雲

    空にあこがれて 空を駆けて行く
    あの子の命は ひこうき雲

    弥生、神谷の隣に座る。

弥生  これって、飛び降り自殺の歌ですよね。
神谷  ‥‥うん。そうとも言えるね。
弥生  え、違うんですか?
神谷  ‥‥うん。そうとも言えるね。
弥生  えー。どっちなんですか?
神谷  ‥‥死ぬ歌でもあり、生きる歌でもある。
弥生  えー。どういうことですか?
神谷  まあ、歌詞としてはダメだね。
弥生  え?
神谷  「ほかの人にはわからない」ってあるだろ? 「わからない」なんて言っちゃったらダメだよ。聞き手との関係を遮断しちゃダメ。そこでゲームオーバーだ。
弥生  ‥‥‥。
神谷  でも、詩としてはいいとおもうよ。
弥生  え? ‥‥歌詞としてはダメで、詩としてはいいんですか?
神谷  若かったんだねー、ユーミンも。
弥生  へ? ‥‥どういうことですか?
神谷  ここに描かれてるのは、完全に個人の閉じた世界だよね。表現にはなろうとしているんだが、なりきれていない。外部に開かれることを拒んでいる。
弥生  はあ‥‥。
神谷  ♪ほかの人にはわからない
弥生  ‥‥‥。
神谷  だから、いいんだけどね。‥‥青春だねぇ。
弥生  ‥‥なんか、言ってることがよくわかんないんですけど。
神谷  わかってほしいと切実に思ってるんだよ。でも、わからせようとは思わない。わかる人だけわかればいい。‥‥それが青春だ。青春の想いだ。
弥生  はあ‥‥。
神谷  君も若いんだから、わかるだろ?
弥生  はあ‥‥何となく、わかったような、わからないような。
神谷  いいトシしたおじさんが、若者に青春について教えてるなんて‥‥まるでマンガだね。
弥生  ハハ、そうですね。
神谷  ま、それも青春だ。♪青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり
弥生  ‥‥でも、自殺の歌なんて、やっぱりまずいんじゃないですか?
神谷  ‥‥うん。そうとも言えるね。
弥生  とにかく死ぬ歌はまずいですよ。お年寄りが気を悪くしちゃいますよ。
神谷  ‥‥うん。そうとも言えるね。
弥生  でしょ?
神谷  ‥‥でも、あの子は決して落ちては行かないんだよね。‥‥空に昇って、空を駆けて行くんだ。天国への階段だね。
弥生  え‥‥。でも、それもまずいでしょ? 天国に昇って行くってのも。おじいちゃん、おばあちゃんにはきつくないですか?
神谷  ‥‥うん。そうとも言えるね。
弥生  先生。そればっかりですね。肝心なところになると逃げちゃうんだから。
神谷  ‥‥うん。そうとも言えるね。
弥生  そんなだから、いつまで経っても教授とかになれないんですよ。
神谷  ‥‥うん。そうとも言えるね。
弥生  もう! からかってるんですか?
神谷  ‥‥うん。そうとも言えるね。
弥生  もう! 怒りますよ! ‥‥アハハハ‥‥。
神谷  ハハハハ‥‥。

    奈津子が入ってくる。

奈津子 おはようございます。
神谷・弥生  おはよう。

    峰山が入ってくる。

峰山  オッス。
神谷  オッス。‥‥お前、まだ生きていたのか?
峰山  それは、こっちのセリフですよ。先生こそ、まだクビになってなかったんですか?
神谷  大学も、なかなか人手不足みたいでな。まあ、なんとかクビの皮一枚でつながってる。
奈津子 ‥‥あのぅ、神谷先生は、昔、過激派だったっていうのは本当ですか?
弥生  なっちゃん、いきなり何を言い出すのよ!
奈津子 それで、いつまで経っても准教授にもなれないって聞いたから。
弥生  なっちゃん、だから‥‥。
神谷  いや、別にかまわないよ。
峰山  そうそう、確か成田空港あたりに出入りしてたんですよね。
神谷  三里塚。
峰山  そうそう、三里塚。
神谷  まあ、出入りしてたとか、そんな大げさなもんでもないけどな。‥‥まあ、あれも青春だな。
奈津子 あれも青春って?
弥生  さっき、先生と、青春についてトークしてたのよ。
奈津子 へぇ。
神谷  まあ、「青春とは‥‥」とか言い出したら、もうトシだという証拠だけどな。
奈津子 え、そうなんですか?
神谷  うん。そういうもんだよ。♪青春時代が夢なんて 後からほのぼの思うもの
奈津子 何ですか? その歌?
神谷  森田公一とトップギャランの「青春時代」。ナツメロだよ。
奈津子 へぇ。
神谷  そう言えば、例の青春老人はどうしたの?
弥生  今、洗濯してます。
神谷  おいおい、お年寄りは大切に扱わなくちゃいけないぞ。
弥生  いや、自分でやると言ってきかないんですよ。
神谷  そうなの?
弥生  はい。
神谷  ちょっと挨拶したいから、呼んでくれないかな?
弥生  はい。‥‥なっちゃん呼んできて。
奈津子 はーい。

    奈津子、呼びに行く。

奈津子の声  ヤタロー。ヤタロー。
岩崎の声   はーい。何ですか?
奈津子の声  先生が挨拶したいんだって。
岩崎の声   はーい。今、行きまーす。
神谷  おいおい、ヤタローって。
弥生  岩崎弥太郎って言うんです。
神谷  マジ? すごい名前だな。
弥生  でしょ?
神谷  でも、お年寄りをヤタローって言うのは‥‥。
弥生  いや、そう呼んでくれって言われたから。
神谷  え、そうなの?
弥生  はい。

    奈津子・岩崎が入ってくる。

奈津子 呼んできました。
岩崎  どうもお待たせしました。
弥生  ヤタロー。こちらが神谷先生。
神谷  いやあ、お仕事中、お呼び立てしてすみません。
岩崎  初めまして。自分は、新入部員の岩崎弥太郎と申します。よろしくお願い申し上げます。
神谷  助教をしております神谷平蔵です。よろしく。
岩崎  じょきょう‥‥と言いますと?
神谷  いや、以前は助手と言ってたんですがね、法律が変わって、以前の助教授が准教授に、助手が助教と呼ばれるようになったんです。まあ、名前だけで、実質は変わりませんが。
岩崎  ああ、そうなんですか。
神谷  はい。‥‥ところで、岩崎さんは、以前は何のお仕事をなさっていたんですか?
岩崎  先生、ヤタローと呼んで下さい。
神谷  いや、そういうわけにも‥‥。
岩崎  それじゃ、岩崎でお願いします。
神谷  あ‥‥はあ。
岩崎  自分は、恥ずかしながら、警察に奉職致しておりました。
神谷  ああ、警察官ですか。
岩崎  はい。
峰山  おお、元警察官と元過激派のご対面か。これはおもしろいね。
岩崎  元過激派? ‥‥先生は過激派に所属しておられたのですか?
神谷  いや、所属ってほどのことはありません。まあ、学生時代にシンパみたいなことをやってた時期がありまして‥‥。まあ、若気の至りです。お恥ずかしい。ハハハ‥‥。
岩崎  そうなのでありますか。
神谷  あ‥‥はい。
岩崎  先生は、「ひまわりくらぶ」の顧問をしていらっしゃるとうかがいましたが。
神谷  いや、大学のサークルには、顧問というのはないんですけど‥‥。まあ、このサークルができた時に、こちらの峰山君に相談を受けまして、それ以来、アドバイザーみたいなことをやってます。かれこれ十年。完全に腐れ縁ですね。まあ、私も部員みたいなもんです。
岩崎  そうなのでありますか。
神谷  あ‥‥はい。
峰山  さて、ようやく全員がそろったところで、今後の方針を考えようか。
弥生  今後の方針?
峰山  そう、「ひまわりくらぶ」の再建計画を考えるのだ。
弥生  そうですねぇ。‥‥やっぱりハロウィンパーティーじゃないですか?
峰山  いや、それには時間がなさすぎる。それに、ハロウィンは、未だ日本の社会に根付いているとは言いがたい。
弥生  そうですかー? ディズニーランドとか、九月からキャンペーンやってるし、コンビニとかでもいっぱい売ってますよー。
峰山  いやいや、あれは、商業資本の戦略なのであって、文化的にあまねく定着しているとは言いがたい。
弥生  えー、そーですかー?
峰山  じゃあ、聞くが、そもそもハロウィンとは何だ?
弥生  何だって‥‥、ほら、カボチャのお化けとか‥‥。
奈津子 トリック・オア・トリート!
峰山  なんだ、それ?
奈津子 お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!って近所の家を回るんです。
峰山  ‥‥キミは、近所のふつーの家にふつーに行って、ふつーにそんなことをするのか? そうしてふつーにいたずらをするのか?
奈津子 ‥‥い、いえ。
峰山  そうだろう? それを日本ではピンポンダッシュと言うんだ。へタすりゃ犯罪だ。
岩崎  住居侵入罪および軽犯罪法違反ですな。
峰山  まあ、十歩譲って、カボチャとか、ピンポンダッシュは認めるとしよう。
岩崎  いや、認めてはいけません。小さな非行が犯罪の温床となるのです。
峰山  いいから、認めるの!
岩崎  は、はい。
峰山  ‥‥それで、そのカボチャやピンポンダッシュには、何の意味があるのだ?
弥生・奈津子 ‥‥い、意味?
峰山  そうだ。ハロウィンの意味とは、何だ? いったい何の行事なんだ?
弥生  ‥‥な、何って? なっちゃん知ってる?
奈津子 ‥‥さ、さあ?
神谷  ‥‥まあ、確かハロウィンってのは、元々ケルト人の祭りで、先祖や死者の霊が戻ってくる行事だと言われているよな。
峰山  それはお盆とは違うのですか?
神谷  え? さあ‥‥まあ、似てると言えなくもないかな?
峰山  だったら、お盆をやればいいじゃないですか? そうじゃないの?
弥生  ‥‥で、でも、お盆じゃ、みんなで楽しめませんよ。
峰山  だったら、地蔵盆があるじゃないか? それで十分じゃないのか?
弥生・奈津子 で、でも。
峰山  それとも何か? キミたちは、老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃんが、カボチャのお化けで喜ぶと思うのか?
弥生  それは‥‥。
奈津子 で、でも、子供たちは喜ぶと思いますよ。
峰山  ‥‥ふーん。カボチャのお化けで子供が喜ぶ‥‥か。
奈津子 そ、そうです!
峰山  だったら、日本にはなまはげがある!
奈津子 え?
峰山  悪い子はいねーかー!
弥生・奈津子 キャー!

    峰山が追い回し、弥生、奈津子が逃げ回る。

峰山  おほん。‥‥とにかく、ハロウィンは日本の文化に全く定着していないし、やる必要などないのだ!
弥生・奈津子 そんなー。
神谷  峰山君、キミは尊皇攘夷の志士かね?
峰山  いや、日本人として当然のことを言ったまでです。
神谷  だから、それを排外的ナショナリズムって言うの。
峰山  まあ、であるからして、我が「ひまわりくらぶ」の喫緊の課題は、来たるべきクリスマスをいかにするかだ。
神谷  おいおい、そんな無節操な。攘夷派の気概はどこに行ったの?
峰山  というのは冗談で、何をするかを考える前に、「ひまわりくらぶ」の何たるかを考えねばならないと思うのだ。
弥生  「ひまわりくらぶ」の何たるか?
峰山  まあ、簡単に言うと、そもそも論だな。そもそも「ひまわりくらぶ」とは何なのか? 何のために存在しているのか?
奈津子 ‥‥何のためなんですか?
峰山  だから、それを考えると言っとるんだろうが!
奈津子 はーい。
峰山  はい。では、岡崎君。「ひまわりくらぶ」は何のために存在しているのですか?
弥生  な、何のため‥‥ですか?
峰山  そう、何のため。
弥生  えーと。えーと。‥‥はい、わかりません!
峰山  ふっ。‥‥それじゃ、質問を変えよう。「ひまわりくらぶ」は、何をする組織、集団なのかな?
弥生  それは‥‥ボランティアじゃないんですか?
峰山  ボランティア、ね。‥‥よろしい。それでは、キミはどうしてボランティアをするのかね? したいのかね?
弥生  えーと、それは‥‥弱い立場の人を助けたいからです。
峰山  それじゃ、どうして弱い立場の人を助けたいのかな?
弥生  えーと、それは‥‥それは‥‥世のため人のために働きたいからです。
峰山  世のため人のため、か。なるほどねぇ。
弥生  ‥‥‥。
峰山  それじゃ、えーと、キミは深田君だっけ?
奈津子 はい。深田奈津子です。
峰山  キミにも同じ質問。キミはどうしてボランティアをするのかな?
奈津子 はい。‥‥やっぱり、私も世の中の役に立ちたいと思っています。それと‥‥。
峰山  それと?
奈津子 この活動をしてると楽しいんです。そして充実感を感じるんです。
峰山  ふむ。充実感ねぇ。‥‥それでは、ヤタロー、キミはどうかね?
岩崎  はい。自分も同じであります。世界の安寧秩序に貢献することに使命感を感じております。
峰山  世界の安寧秩序とは、大きく出たねぇ。
岩崎  はい。夢と希望は大きく持てと、親に言われました。
峰山  なるほど。‥‥諸君の意見を要約すると、弱きを助け、世のため人のために貢献するのがボランティアである、と。そういうことになるかな?
全員  ‥‥‥。
峰山  まあ、これは確かに由緒正しき奉仕精神であるように見えなくもない。‥‥見えなくもないが、しかし、いくつかの矛盾点を含んでいないだろうか?
全員  え?
峰山  一つ。弱い立場の人を助けると言ったが、それでは、キミたちは、強い立場なのではないか?
全員  え‥‥。
峰山  すなわち、弱い者に施しをさずけるという、上から目線の発想はありはしないか?
弥生  いや、別にそんな意味で言ったのでは‥‥。
峰山  もう一つ。世のため人のため、世界の安寧秩序と言うが、世の中で困っている人は、障害者施設や老人ホームにだけ存在するのか?
全員  ‥‥‥。
峰山  東北の被災者は弱い立場ではないのか? アフリカで飢えている人々は弱い立場ではないのか? 中東で戦乱の下に置かれている人々は弱い立場ではないのか?
弥生  いや、だから、先輩たちは震災ボランティアに出かけたと聞いてますし、募金活動をしたこともありますし‥‥。
岩崎  活動の範囲を広げすぎるのも、どうかと思います。
峰山  おや? 夢と希望は大きく持つんじゃなかったかな?
岩崎  そうですが‥‥ですが、活動を広げすぎると、対応しきれなくなるのでは、と。
峰山  その通り。我々の活動には限界がある。いや、ほとんど限界だらけと言ってもいい。
全員  ‥‥‥。
峰山  「ひまわりくらぶ」の、この十年間の活動の中で、どれだけの人々を救えたか? どれだけ社会に貢献できたか? それは、この全世界に発生している不幸の総量から考えると、ほとんど無に等しいと言えるだろう。‥‥すなわち、我々は、限りなく無力だ。我々は、限りなく小さい。そして、そこで我々の得てきた充実感は、限りなく自己満足、マスターベーションのそれにすぎない。
全員  ‥‥‥。
峰山  誠に悲観的に聞こえるかもしれないが、そうした自己認識からこそ、我々は再出発すべきではないか? ‥‥その認識の上で、我々は何をすべきなのか? 何ができるのか?
全員  ‥‥‥。
峰山  我々は何をすべきなのか?
全員  ‥‥‥。
峰山  我々には何ができるのか?
弥生  ‥‥レジェンド。
峰山  何だ?
弥生  そんなことを言ったら、何もできないんじゃありませんか? ボランティアに限らず、私たちは無力だし、小さい存在です。とってもとっても小さい存在です。
峰山  ‥‥そうだな。
弥生  じゃ、じゃあ、レジェンドは全てが無意味だとおっしゃるんですか? あきらめろと言うんですか?
峰山  そうは言ってない。
弥生  でも、だって‥‥。
奈津子 いや、あります。
弥生  え?
奈津子 私たちにできることはあります。
峰山  ‥‥それは‥‥何だ?
奈津子 魂の救済です。
全員  え‥‥。
奈津子 確かに、私たちには力もないし、お金もありません。ですが、力やお金で、本当に人々を救うことができるのでしょうか? 力やお金で、本当に人々は幸せになれるのでしょうか?
全員  ‥‥‥。
奈津子 私は、弱い人々を救ってあげようとは思いません。どうしてかと言うと、私自身も弱い人間だからです。お金がない人や、体が不自由な人だけが弱い人ではありません。世界のほとんどの人が、心に痛みを持った弱い人々なのです。そして、そうした人たちに今必要なのは、決して力やお金ではないのです。魂の救済こそが必要なのです。
峰山  深田君‥‥。
弥生  なっちゃん‥‥。
神谷  ‥‥深田君、キミ、ひょっとしてどこかの宗教団体に所属しているの?
奈津子 いいえ。これは宗教ではありません。
神谷  でも、それってキミが一人で考えたことではないんじゃないのかな?
奈津子 はい。話を聞かせてもらいました。でも、私も確かにそうだなあって思ったんです。
弥生  それ、どこで?
奈津子 ヨガのサークルに来てみないかって。ヨガって、単なるエクササイズじゃないんです。昔のインドの瞑想法や精神統一のやり方も教えてもらって、とっても奥が深いんです。日本の座禅なんかも、元々はヨガから出発しているんですよ。
峰山  まあ、それはいいけど、どうしてそれが魂の救済とかにつながるわけ?
奈津子 だから、ヨガっていうのは、単なる運動の技術なんかじゃなくって、生き方の哲学なんです。呼吸法とかにその人の魂のあり方そのものが問われているんです。
峰山  それって、やっぱり宗教じゃないの?
奈津子 いいえ、宗教ではありません。人間はいかに生きるべきか、人間はいかにあるべきかをみんなで話し合うんです。そうして、どうすれば、人々が心の平安を得られるかを考えるんです。言ってみれば、哲学のサークルみたいなもんです。
神谷  でも、ヨガっていうのが、ちょっとひっかかるなあ。
岩崎  はい、自分もそう思います。オウム真理教も、元々はヨガ教室を入り口にしてましたし‥‥。
奈津子 なんでそんなことを言うんですか? オウムとかとは全然違うんです。あんな人殺し集団と一緒にしないで下さい。‥‥確かにサークルの中でもオウムの話は出ました。そして、私たちは、オウムを乗り越えなければならないという話をしているんです。
峰山  乗り越えるってことは、共通性があるってことじゃないの?
奈津子 どうしてそんな風に揚げ足を取ろうとするんですか? ‥‥だいたい日本人は、宗教的なものとか霊的なものとかに対して偏見が強すぎるんです。ヨーロッパやアメリカじゃ、魂の救済なんて話は、ごくふつーに話されていますよ。神や霊魂の存在は誰でも信じていますよ。‥‥あなた方の方が、よっぽど世界の非常識なんです。
全員  ‥‥‥。
奈津子 世のため人のためとか言っている人が、どうして魂の問題を避けようとするんですか? その方が、よっぽど不自然だと思いませんか?
全員  ‥‥‥。

    しばしの間。

奈津子 ‥‥それじゃ、私はちょっと用事があるので失礼します。
弥生  用事って、まさか、そのヨガサークル?
奈津子 そうです。
弥生  ‥‥なっちゃん。
奈津子 何ですか? 何か問題あります?
弥生  ‥‥い、いや。
奈津子 そうですか。それでは、お先に失礼します。
全員  ‥‥‥。

    奈津子、去る。
    音楽。
     暗転。



    明かりがつく。
    峰山と岩崎がパペットを持って歌い出す。
    神谷はギターを弾いている。

神谷  ♪あなたからメリークリスマス
岩崎  私からメリークリスマス
三人  サンタが町にやって来る

  待ちきれないで お休みした子に
  きっとすばらしい プレゼント持って
  あなたからメリークリスマス
  私からメリークリスマス
  サンタが町にやって来る
  サンタクロース イズ カミング トゥ タウン

岩崎  メリークリスマス! さあ、みんな、いい子にしてたかな?(耳で聞くしぐさ) はいもう一回。みんないい子にしてたかな?(耳で聞くしぐさ) よーし、みんな元気だねぇ。いい子には、サンタのおじさんがプレゼントをあげるからね。はいはい、あわてない、あわてない。順番にあげるからね。並んで、並んで。
峰山  おらおら、悪い子はいねーがー? 泣ぐ子はいねーがー?悪い子はいねーがー?
神谷  峰山君、だから、それ違うから。
峰山  いや、たまにこういうのも入れたらおもしろいか、と。
神谷  ダメだよ。それダメ。‥‥それにしても、岩崎君は、絵に描いたような適役だねぇ。
峰山  そうですね。まるでサンタクロースになるために生まれて来たような感じだ。
岩崎  いやいや、自分は単に太ってるだけです。
神谷  その太ってるのがいいんだよ。やせっぽっちじゃサンタに見えない。
峰山  そうですね。
神谷  今年のクリスマスは、期待大だね。
峰山  そうですね。
神谷  頼んだよ、サンタさん。
岩崎  は、はい。
峰山  期待してるよ、サンタさん。
岩崎  は、はい。がんばります!
三人  アハハハハ‥‥。

    間。

神谷  ‥‥今日も、深田君はお休みなのかな?
峰山  ‥‥そうみたいですね。
神谷  岡崎君も来てないよね。‥‥どうしたのかな?
峰山  いや、何も聞いてませんけど。‥‥ヤタロー、何か聞いてる?
岩崎  いや、自分は、特に何も聞いておりません。
峰山  そっか。‥‥まあ、岡崎は、そのうち来るでしょう。
神谷  それより気がかりなのは、深田の方だよな。‥‥彼女が入ってるのは、「ひかりクラブ」だっけ?
峰山  そうです。
神谷  それって、ググってみた?
峰山  ググってみましたけど、出てこないんです。‥‥よっぽどマイナーなのか、最近できたんじゃないですか?
神谷  なんか、いやーな感じなんだよな。なんかカルトっぽい匂いがする。
峰山  深田は、宗教じゃないって言ってましたけど‥‥。
神谷  だいたい宗教は、みんな宗教じゃないって言うんだよ。特にカルト集団はね。
峰山  それは、だまして入れるということですか?
神谷  まあ、それもあるだろうけど、ほら、信仰者にとっては、教義は絶対的真理なわけだからさ、宗教として相対化することができないのよ。たとえば1+1は常に2であって、それを、3とか、4とか言ってるのと一緒にされたくないって感じ。
峰山  じゃあ、真理以外を言ってる宗教は、全部サタンの教えですか?
神谷  まあ、そういうことになるかな?
岩崎  まあ、だいたい、「ひかりクラブ」という名前がいけませんな。
峰山  え? それ、どういうこと?
岩崎  戦後すぐのどさくさの時代に「光クラブ事件」というのがあったんです。現役の東大生が貸金業をやって、ぼろもうけして、やがて資金繰りに行き詰まって、結局青酸カリを飲んで自殺したんです。昔、研修の時に聞きました。
峰山  ふーん。‥‥でも、それって偶然じゃないの?
岩崎  そうでしょうか?
峰山  うん。
神谷  岩崎君、元警察官の直感として、どう? これって怪しいと思う?
岩崎  はあ‥‥まだよくわからないので断定はできませんが、どうもいかがわしい感じはしますね。
神谷  やっぱりそうか。‥‥まあ、元々ボランティアのメンタリティと、宗教者のメンタリティには近しいものがあるから、ここがやっかいなんだよな。世のため人のためっていうボランティアの奉仕精神につけ込まれたらひとたまりもないよな。
峰山  そうですね。
神谷  キミが言ってたように、ボランティアって無力だし、常に矛盾と限界を抱えてるもんなあ。それに比べて、宗教は、「ここに答えがあります」「これが救いの道です」って、キッパリしてるもんなあ。真面目に悩んでる子だったらフラフラっと行っちゃうよ。
峰山  そうですね。
神谷  ‥‥どうしたらいいのかなあ?
峰山  難しいですね。
岩崎  困りましたね。

    弥生が入ってくる。

弥生  どうも、遅くなりましたー。
神谷  あ。
峰山  何してたの?
弥生  え? ああ‥‥「ひかりクラブ」の人と会ってました。
男三人  え!
弥生  前からなっちゃんに誘われてたし、どんなとこなのかなあ?って興味もあったんで。
峰山  そ、それで、どうだった?
弥生  いや、ヨガの基本を教えてもらって、それからファミレスで話をしただけです。
峰山  ‥‥そ、そうか。
弥生  はい。
峰山  ‥‥‥。
弥生  でも、あそこは宗教とかではありませんよ。
男三人  え。
弥生  みんな、すっごいフランクだし、いい人ばっかりだし、冗談とかもふつーに言えるし、何か行っちゃってるような変な感じはありませんでしたよ。
神谷  それはね‥‥初めはそういうもんなんだよ。
弥生  いやいや、全然平気って感じでしたよ。来たい時に来ればいいんですって。来たくなければ来なくてもいいって。
‥‥それにしても、ヨガっていいですねぇ。生きる基本って呼吸なんですよね。私はまだちゃんとできないけど、呼吸法を改めるだけで、何か空気の味が違うんですよね。正しい呼吸法を身につけたら、いろいろな悩みや迷いから解放されて、宇宙と一つになれるんです。知ってました? ヨガの呼吸のリズムは、胎内の赤ちゃんの呼吸と同じで、それは宇宙の波動と同じなんですよ。
男三人  ‥‥‥。
弥生  「ひまわりくらぶ」でもヨガやりませんか?
神谷  岡崎君。
弥生  はい?
神谷  申し訳ないけど、それは、やっぱり宗教だよ。
弥生  だから、そんなことないですってばー。
峰山  いや、オレもそう思う。
岩崎  自分もそう思います。
弥生  えー、そんなー。
神谷  いやね、宗教だからって頭から否定するつもりはないんだよ。日本には信教の自由もあるんだし。‥‥でもね、大学生をターゲットにして積極的に勧誘を行っている宗教団体には、カルト的な所が多いから、それがちょっと心配でね。
弥生  ‥‥カルトって何ですか?
神谷  まあ、定義はいろいろあるみたいだけど、教祖に対して絶対的服従を求めたり、マインドコントロールを行ったり、反社会的な教義を持ってたり、反社会的な活動を行っているところなんかがカルト教団って言われてるよね。
弥生  だったら、「ひかりクラブ」は、全然大丈夫ですよ。厳しい規則とか、縛りとかは全然ありませんから。
神谷  ところがそうでもないんだよ。新規の入信者に対しては、極めてゆるやかにフレンドリーに対応するっていうのもカルト教団の特徴なんだ。
岩崎  自分の経験から言ってもそうですね。門戸は非常に広くて入りやすい。そして、気がついたら、いつの間にか身動きができなくなっているんです。ちょうどアリ地獄みたいな感じです。
峰山  ♪行きはよいよい 帰りはこわいー
弥生  えー、そーなんですかー? おどさないで下さいよー。
神谷  いや、それが現実なんだよ。
弥生  えー。

    奈津子が入ってくる。

奈津子 こんにちは。
弥生  あ、なっちゃん。
神谷・峰山  深田君。
弥生  ねぇー聞いてよー。みんなして、いじめるんだよー。「ひかりクラブ」は怪しい宗教団体だって。
神谷  いや、そんなことは‥‥。
奈津子 ああ、そうなんですか。
弥生  え?
奈津子 神谷先生、レジェンド先輩、折り入ってお願いがあるんですが‥‥。
神谷・峰山  え?
神谷  お願いって?
奈津子 実は、二週間、ひょっとしたら三週間になるかもしれないんですけど、サークルを休ませて下さい。
神谷・峰山  え。
奈津子 クリスマス前の忙しい時に、ほんとに申し訳ないんですが‥‥。
神谷  ‥‥休んで‥‥どうするの?
奈津子 旅に出るんです。
神谷  旅?
峰山  旅って‥‥一人旅?
奈津子 いいえ。キャラバンに出かけるんです。
神谷  キャラバンって、「ひかりクラブ」の人と行くの?
奈津子 そうです。ワゴン車に分乗して、東北の被災地に行くんです。
峰山  それで、被災者の人に、壺とか多宝塔とかを売りつけるのか?
奈津子 フフフ‥‥。どうして、そういう短絡的な発想しか出てこないんですか?
峰山  だって、宗教集団のキャラバンって、そういうことだろう?
奈津子 レジェンド先輩、申し訳ないんですが、私はあなたを軽蔑しますよ。私たちのキャラバンの目的は、神の教えを説くことと純粋なボランティア活動です。
弥生  ‥‥神の教えって。やっぱり宗教だったの?
神谷  深田君、気の毒だが、僕はその旅行を認めることはできないな。教育に携わる者として。
奈津子 え、どうしてですか?
神谷  キミはその旅行に出かけたら、もう戻って来ないかもしれない。この「ひまわりくらぶ」にも、そして大学にも。
奈津子 そんなことはありません。必ず戻ってきます。
神谷  いや、カルト集団というのはそういうものなんだよ。僕はそういう例を何人も見てきた。
奈津子 どうしてカルト集団と決めつけるんですか? 「ひかりクラブ」は、きちんとした団体です。
神谷  いや、一度カルトに取り込まれてしまうとね、自分を客観的に判断することはできなくなる。
奈津子 先生までそんなことをおっしゃるとは思いませんでしたよ。‥‥わかりました。それでは、今日限り「ひまわりくらぶ」を辞めさせていただきます。
弥生  なっちゃん!
神谷・峰山  深田君。
岩崎  深田さん! 誠に僭越ではありますが、自分の話を聞いていただけませんか?
奈津子 え?
岩崎  ‥‥ちょっと話が長くなりますから、座っていただけませんか?
奈津子 え‥‥はい。

    奈津子、座る。

岩崎  ‥‥今から二十年ほど前のことです。自分は、ある新興宗教団体の事件に関わったことがありました。
奈津子 ‥‥‥。
岩崎  その宗教団体では、毎年夏に海辺で合宿をしていました。研修と慰安を兼ねたような合宿です。その合宿で、一人の信者が死んでしまったのです。
奈津子 ‥‥‥。
岩崎  調べによると、その団体の中の一人の信者が、不信心というか、脱落しかけていたのですね。そこで、みんなで海水浴をしていた時に、その信者を取り囲んで、他の信者たちが批判を始めたのです。そして、批判するたびに、その信者の頭をつかんで海に沈めました。それが何度も何度も続くうちに、とうとうその信者が死んでしまったのです。
奈津子 ‥‥‥。
神谷  それって、連合赤軍の「総括」とおんなじパターンだね。
岩崎  まあ、そのような感じです。
それで、自分が、その宗教団体の教祖の取り調べの担当になりました。殺人事件の容疑で取り調べをしたのですが、そいつはあまり教祖らしい威厳のある男ではなくて、どちらかというとひょうひょうとした感じの男でした。それで事件についてものらりくらりとかわしてなかなか口を割らないのですね。そこで、方針を変えて、その宗教自体についてアプローチすることにしました。その新興宗教は、仏教系の宗教でしたので、自分は、何冊も仏教関係の本を読んで勉強しました。そして、その教祖に対して宗教問答のようなことをしたのです。
奈津子 ‥‥‥。
岩崎  それで、ある時、「ムゲンジゴク」という言葉が話題になりまして、自分は「ムゲンジゴクとはどういう字を書くんだ?」と聞きました。そうすると、そいつは「有限」「無限」の「無限」って書いたんです。
峰山  「限界」の「限」ですよね。
岩崎  はい、そうです。
そこで、自分は、「ムゲンジゴクのゲンは、間という字だぞ」と言ってやりました。すると、教祖はきょとんとして「へぇー、そんな字を書くんですか?」と言ったんですよね。自分は、その時のそいつのまぬけヅラを見て、ひどく悲しい気持ちになりました。小さな教団とは言え、この教団のために何百万円、何千万円とつぎ込んできた信者がいるのです。貯金をはたき、家を売り、家族に縁を切られた信者がいるのです。その教団の教祖が、この程度の男だったとは‥‥。自分は、腹立ちを超えて、むしろ空しい気持ちになりました。
奈津子 ‥‥‥。
岩崎  自分の話は以上です。ご静聴ありがとうございました。
奈津子 ‥‥‥。

    しばしの間。

奈津子 ‥‥だから、だから何なんですか?
岩崎  え? ‥‥だから、新興宗教にはそんないいかげんないかがわしい集団があると。
奈津子 それじゃ、あなたは「ひかりクラブ」が、そんな集団だと言うのですか?
岩崎  い、いや、そうだと言ってるわけじゃないんですが‥‥。
奈津子 言ってるじゃないですか!
岩崎  い、いや、だから‥‥。
峰山  しかし、そうじゃないという保証もないだろう?
奈津子 ‥‥それは私が判断します。
峰山  いや、今のキミには、その判断はできない。
奈津子 どうしてですか?
峰山  今のキミはマインドコントロールの支配下にあるからだ。
奈津子 私はマインドコントロールなんかされていません!
峰山  いや、されている。
奈津子 されていません!

    間。

神谷  いいよ。行きなさい。
峰山・岩崎  せ、先生。
神谷  いいじゃないか。気のすむようにすれば。
奈津子 ‥‥先生。
神谷  その代わり、一つ約束してくれないか?
奈津子 ‥‥約束?
神谷  必ず戻ってくる、と。
奈津子 ‥‥‥。
神谷  何があっても、必ず戻ってくる、と。
奈津子 ‥‥‥。
神谷  ‥‥約束してくれるね?
奈津子 ‥‥はい。
神谷  よし、わかった。
奈津子 ‥‥‥。
神谷  約束だよ。
奈津子 はい。
神谷  それじゃ、行きたまえ。
奈津子 はい。

    奈津子、出て行く。
    長い沈黙。

    音楽。
    暗転。



    明かりがつく。
    峰山・弥生・岩崎がろうそくを持って歌う。

弥生  きよしこの夜 星はひかり
    救いの御子は み母の胸に
    眠りたもう 夢やすく

全員  きよしこの夜 御子の笑みに
  恵みのみよの あしたの光
  輝ける ほがらかに

弥生  ‥‥なっちゃんはどうしてるんでしょうねぇ?
峰山  そうだねぇ。‥‥もう、二週間になるかな?
岩崎  十三日です。
峰山  あ、そう。
岩崎  はい。
弥生  やっぱり、いろいろ売ったりしてるんでしょうか?
峰山  壺とか?
弥生  ええ、はい。
峰山  どうだろうねぇ?
弥生  そもそも、壺とかを売るのと、信仰と、どういう関係があるんですか?
岩崎  それはね、一般に霊感商法って言われているんです。売る物は色々です。壺とか多宝塔とか、はんことか数珠とか表札とか何でもいいんです。中にはただの石ころを売ってたケースもありました。
弥生  へえ。
岩崎  それを困っている人の所へ持って行って、例えば病気の人とか、借金で困ってる人とか、夫の浮気で悩んでいる人の所とかへ持って行って、「これは先祖の祟りです」とか「悪い霊がとりついています」とかもっともらしいことを言って、「これを買うと救われます」とか言うんですね。
弥生  そんなの信じるんですか?
岩崎  まあ、元々精神的に追い詰められている人ですからね、その人たちに、あらかじめセミナーとかやって、「私は霊能者です」とか言って信じ込ませてから売るんです。まあ、溺れる者は藁をもつかむってやつですよ。
弥生  へえ。だから、東北の被災者の所に行くんですか?
岩崎  まあ、そうかもしれませんね。
弥生  その壺とかっていくらぐらいするんですか?
岩崎  値段はあって、ないようなもんです。五十万とか百万とか、まあ、相手を見て決めるんでしょう。
弥生  えー、壺が百万もするんですか?
岩崎  もっともっと高額なケースもありますよ。
弥生  へえ。‥‥信じられないなあ。
峰山  でも、ひょっとしたら、キミだって買ってたのかもしれないよ。
弥生  「ひかりクラブ」は、そんな怪しい団体なんでしょうか?
峰山  いや、それはわからない。わからないけど、その可能性が全くないとも言い切れない。
弥生  へえ。そっかー。‥‥じゃあ、私も危なかったかもしれないんですね。
峰山  そうだね。‥‥それで、「ひかりクラブ」とは、完全に縁が切れたの?
弥生  実は、あの後も、二回ほど行きました。なっちゃんのこともあったので、その辺のことも聞いてみたかったんです。でも、もう一つ納得の行く答えがもらえなくて‥‥。ここは、なんか違うなーって思ったんです。
峰山  そっか。
弥生  はい。

    間。

弥生  ‥‥それでもね、ちょっと考えてみたんですよね。
峰山  うん。
弥生  私とか、なっちゃんみたいに宗教に引きつけられる人間は、やっぱり弱い人間なんでしょうか? この「ひまわりくらぶ」に入ったのにも、なんかそんな共通性があるような気もするんです。
峰山  うん、そうかもしれないね。
弥生  やっぱり、そうなんですか?
峰山  ‥‥でもね、弱くない人間なんかいるのかな?
弥生  え?
峰山  何の迷いもなく、何の悩みもなく、自信を持って一人で立ち続けている人間なんかいるのかな?
弥生  え、そうなんですか? ‥‥レジェンド先輩も?
峰山  ああ、オレなんか、迷いだらけ、隙だらけの弱い人間だよ。
弥生  マジですか? とてもそんな風に見えないけど‥‥。
峰山  それはね、ごまかし方に慣れてるっていうか、カッコつけてるだけ。それと、自分の弱さを飼い慣らせるようになったってことかな?
弥生  ‥‥弱さを飼い慣らす?
峰山  そう。自分の弱さを自覚しているからさ、その弱さを無理に否定したりしなくなった。弱い自分を素直に受け入れて付き合って行けるようになった。
弥生  ふーん。何だか、よくわからないけど。‥‥ヤタローとかもそうなの?
岩崎  自分は、そんなに器用ではありません。でも、警察官とかやっていると、普通の人以上に強くあることを求められることが多いんです。あの制服を着て、拳銃を身につけていると、それだけで「正義の味方」であることを要求されるんです。それに、人に助けを求められて、警官が逃げるわけにはいきませんからね。だから、若い頃なんか、けっこう悩みました。「自分は警察官に向いていないんじゃないか?」と思ったこともよくありました。
弥生  え? そうなの?
岩崎  そんな自分がイヤでイヤで、がむしゃらに剣道に打ち込んだり、酒を飲んだりもしました。でも、それは自分の弱さから逃げているだけなんですよね。そんな自分に弱さと向き合うことを教えてくれたのは、案外、取り調べをした犯人たちだったのかもしれません。
弥生  え? 犯人?
岩崎  そうです。‥‥取り調べの相手はいろいろです。みみっちいコソドロもいれば、凶悪な殺人犯もいます。目を合わせるのもはばかられるような暴力団員もいます。でも、どの犯人にも共通しているのは、やはり、彼等は人間なんです。当たり前に聞こえるでしょうが、人間だから、心があります。その心に入り込めるかどうかが、取り調べのカギなんです。
弥生  ‥‥‥。
岩崎  取り調べですから、当然、簡単に心を開いてはくれません。その心のカギを開くにはどうすればいいか、わかりますか?
弥生  え? ‥‥さあ、どうするの?
岩崎  それは、自分の心を開くんです。取調官と容疑者という関係以前に、人間と人間として対話するんです。自分の弱さとか汚さもさらけ出して、真剣に語り合うんです。そうすると、不思議なことに、こちらの思いが相手にも伝わるんですよね。‥‥まあ、百パーセントじゃありませんが。
弥生  へえ。そんなもんなの?
岩崎  はい。そんなもんなんです。
弥生  ふーん。そっか。

    間。
弥生  ‥‥みんな、弱い人間、か。
峰山  ‥‥そうだよ。
弥生  でも、私、レジェンド先輩やヤタローみたいに、そんな自分の弱さを抱えたままで生きて行けそうな気がしません。‥‥先輩たちは、やっぱり強い人なんですよ。
峰山  いや、そうじゃない。
弥生  いや、そうですよ!
峰山  ‥‥どうしても、そう思うか?
弥生  はい。
峰山  ‥‥それじゃ、神を信じなさい。
弥生  え?
峰山  人間は、幸か不幸か頭脳と心というものを持っている。これが人間に多くの幸と富をもたらした。しかし、その一方で、これが他の動物たちが持たない苦しみを与えていることも事実だ。
太古の昔、人間は獣に襲われる存在だった。そして、やがて人間同士の戦争があり、病があり、そして、死がある。人間の高度に発達した頭脳は「自らの死」すら想像する能力を持ってしまった。そして、その想像が人間を苦しめ、その「死の恐怖」から逃亡する手段として神を持った。人間は限りなく弱く、限りなく小さい。だから、人間は一人では生きて行けないのだ。何かに頼らずには生きて行けないのだ。
弥生  で、でも、レジェンドは、神を信じてはおられないのでしょう?
峰山  それはわからない。確かに仏やキリストを信仰しているわけではないが、だからといって、何にも頼らず、一人で生きているとは思わない。
弥生  そうなんですか?
峰山  ああ。昔から日本人は外国人に比べて信仰心が薄いと言われているが、オレはそうは思わないね。確かに、日本には一神教の伝統はないが、古代から続く自然信仰がある。山には山の神、田んぼには田んぼの神、トイレにはトイレの女神、その村落共同体的な八百万(やおよろず)の神々に我々は守られてきたと言えるだろう。それは系統だった神道でもなければ、仏教でもない。
岡崎君。キミが「神様、仏様。」ってお願いする時、その神様は天照大神(アマテラスオオミカミ)か? 仏様は阿弥陀如来か?
弥生  ‥‥そんなの‥‥考えたことありません。
岩崎  ああ、それは自分にもわかります。自分は自動車にいろいろな神社とかお寺のお札を貼っていますが、特にその神社とかお寺を信仰しているわけではありません。でも、そういうのを車に貼ったり、身につけていると、何となく心が落ち着くんですよね。‥‥まあ、よく考えてみると、ずいぶんいい加減な信仰です。でも、かと言って、ウソ偽りでもないんです。
峰山  老人ホームのお年寄りが、我々を歓迎してくれるのも、それと同じようなメンタリティがあるのかもしれない。
弥生  え? それじゃ、ボランティアは宗教なんですか?
峰山  いや、そうじゃない。ボランティアと宗教は違う。ボランティアは相手に寄り添い、共に悩み、共に泣き、共に笑う。宗教は、あくまでも教え導く。この点が決定的に違う。‥‥しかし、「孤独からの解放」という機能においては同じかもしれない。
弥生  ‥‥孤独からの解放‥‥。
峰山  そう。‥‥この「孤独」というのが、人間の抱くもう一つの恐怖だ。単に死んでいないということだけでは、本当の意味で生きていることにはならない。その意味でも、人間は一人では生きられない。
弥生  ‥‥人間は一人では生きられない。

    神谷が走り込んでくる。

神谷  見た?
全員  え?
神谷  誰か、ニュース見た?
全員  え?
神谷  おとといの集団自殺のニュースは知っているだろ?
峰山  ‥‥ええ。
岩崎  はい。
弥生  福島の事件ですよね。
神谷  それだよ、それ。福島の事件。‥‥あれがさ、「ひかりクラブ」だったんだよ!
全員  え!
神谷  ほら、ここに書いてある。(と新聞を広げる)
福島県見明山(みあかしやま)山中で発見された練炭による集団自殺事件の身元が一部判明した。福島県警の発表によれば、レンタカーの借り主である山根常夫さん(二六)は、宗教団体「ひかりクラブ」に所属しており、他の自殺者もこの団体のメンバーでである可能性が高いということ。
峰山  ちょ、ちょっと見せて下さい。

    峰山、弥生、岩崎、新聞を読む。

全員  うーん。
峰山  ‥‥男三人に、女四人か‥‥。
岩崎  福島ですからねぇ‥‥。
弥生  ‥‥まさか。

    間。

神谷  ‥‥誠に残念だが、そのまさかの線は濃いな。
弥生  で、でも‥‥まだ、名前はわかってないんだし。
神谷  そうだ。‥‥だから、まだ、そうと決まったわけではない。
峰山  ‥‥しかし。

    沈黙。

弥生  イヤー!

    長い沈黙。

神谷  ‥‥この線があるとは、思わなかったよな。
峰山  ‥‥そうですね。

    間。

弥生  ‥‥この線って?
神谷  世の中には「死」を教義とする宗教があるんだよ。
弥生  え‥‥。それって‥‥。
神谷  「死」を究極の救済と考える宗教が、昔からあるんだ。
弥生  ‥‥だって、だって、「ひかりクラブ」は、魂の救済を目的としているんじゃ?
神谷  魂と肉体を対立する概念として捉える宗教は多い。だから、多くの宗教は、肉体を鞭撻することにより、魂の光輝を手に入れようとする傾向がある。古代インドの宗教のほとんどはそうだし、仏教にも苦行や禁欲を修行として取り入れている宗派は多い。‥‥それが極端に肥大化したのが、「死の宗教」と言えるだろう。
弥生  でも、死んでしまっては、魂の救済も何もないじゃないですか!
神谷  ところが、そうでもないんだ。
そういう宗教は、魂を人間の本体として捉え、肉体を、その自由な活動を制限する障壁として捉える。食欲、性欲、快楽願望、それらの煩悩のほとんど全てが肉体に起因するし、苦痛や病気や死も肉体あってのことだからね。だから、この不自由な肉体を捨て去り、魂を本来の姿に解放することこそが、究極の救済と考えるんだよ。
峰山  アメリカの人民寺院事件が有名ですよね。
神谷  そう。彼等は、死を「別世界への旅立ち」と名付け、約千人の信者が集団自殺したんだ。
弥生  ‥‥別世界への旅立ち。‥‥そんなの、狂ってるわ。
神谷  何が狂っていて、何が狂っていないか‥‥宗教を語る上では、そんな定義はほとんど無意味だよ。宗教者にとっては、物欲にまみれ、殺し合う世界の方がよっぽど狂っているのかもしれないのだから。
弥生  ‥‥‥。

    間。

弥生  ‥‥そ、それじゃ、何が正しくて、何が正しくないかもわからないじゃないですか?
神谷  うん‥‥そうとも言えるね。
峰山  そうでないとも言える。
弥生  いったいどっちなんですか?
神谷  それは‥‥わからない。
峰山  問題は、キミがどの地平に立とうとするか、だよ。
弥生  ‥‥地平に立つ?
峰山  そう。キミがこちら側に立つか、あちら側に立つかで、見える世界は全く違ってくる。
神谷  そして、その地平も無限にあると言ってもいい。
弥生  言葉遊びはもういいんです! 私が知りたいのは、そんなことじゃないんです! ‥‥今、なっちゃんが幸せなのかどうか‥‥それだけでも教えて下さい。
神谷  それは‥‥わからない。
峰山  それは、誰にもわからない。
弥生  だから! もう!

    奈津子が立っている。

岩崎  あ。
全員  あ。

    間。

弥生  ‥‥なっちゃん。

    間。

奈津子 ‥‥ただいま。

    長い沈黙。

弥生  ‥‥なっちゃん。
奈津子 ‥‥私‥‥戻って来ちゃった。‥‥私、死ねなかったよ。私、旅立てなかった。
弥生  ‥‥それでいいのよ。‥‥それでいい。(奈津子を抱きしめる)

    間。

神谷  ‥‥おかえり。‥‥そして、ようこそ。
峰山  キミには帰る家があるんだよ。

    音楽。(「People get ready」ジェフベック・ロッドスチュアート)
    弥生にサス。

弥生  みんな準備はできたかい? もうすぐ汽車が来るよ。荷物なんか何もいらないさ。信じる心、それだけ持って来ればいい。さあ乗り込もうよ。ディーゼルエンジンがうなりをあげている。切符もいらないよ。神様が払っといてくれるからさ。

神様。もし、いるのなら神様。私はその汽車に乗る資格はないのかもしれません。それでも、もし聞いてもいいのなら、教えてもらえないでしょうか? その汽車はどこに行くのですか? 遠い遙かな約束の地ですか? そこに行けば幸せになれるのでしょうか? そこへ行けば答えは見つかるのでしょうか? そこへ行けば救われるのでしょうか?

神様。生きるということは難しいことですね。生きるということはつらいことですね。生きるということはさみしいことですね。私は、まだ若いです。幼い人間です。人生を語れるほど生きてはいません。そんな私も、短い人生なりに、生きるしがらみを背負っています。一歩ずつ足を進めるたびに、地面に沈み込む自らの重みを感じています。それでも私は歩くしかありません。歩くことしか知りません。曲がりくねった長い道を、一歩ずつ確かめながら歩いて行くのです。その旅がどこにたどり着くか、わからないまま歩いて行くのです。

青い空を行く鳥のように、全てを捨て去り身軽に自由に飛べたならと思わないわけでもありません。でも、私は、とぼとぼと歩き続けます。不器用にとぼとぼと歩き続けます。

神様。私は迷っています。迷い続けています。苦しみに出会うたび、悲しみに出会うたび、私は立ち止まります。仕事に迷い、お金に迷い、愛に迷い、憎しみに迷い、幸せに迷い、人生に迷い、そのたびに私は立ち尽くします。そして、ほーっと息を吐き出すのです。
たとえば999日、私は迷っています。悩んでいます。でも、1日、たったの1日ですが、生きていてよかったと思える日もあるのです。そんな時があるからこそ、私は生きて行けます。そして、また私は歩いて行くのです。

神様。この世は美しいものばかりではありません。いや、むしろ、醜いもの、汚いものに満ち満ちています。人間は憎み合い、裏切り、殺し合っています。でも、そんな醜いもの、汚いものも含めて、それが私の世界なのです。それらを全て受け入れ、愛せるほど私の心は広く大きくはありません。それほど私は強くもありません。時には目をそむけ、耳をふさぎ、それでも、この世界の中に生きていようと思います。生き続けようと思います。私のいるべき場所は、ここにしかないのですから。

神様。せっかくですが、私は汽車には乗りません。
私はとても小さく、とても臆病で、信心の薄い愚か者です。
だから、私は約束の地にも楽園にもたどり着くことはできないでしょう。救われることもないのかもしれません。
でも、こうしてこの世に生を受けた限りは、この命を生き続けようと思います。

ぼくらはみんな生きている。生きているから歌うんだ。
ぼくらはみんな生きている。生きているから悲しいんだ。

そして、また、私は歩き始めます。
とぼとぼと。とぼとぼと。
あてもなくさすらいながら歩き続けます。
とぼとぼと。とぼとぼと。
小さな足下に自分を感じながら。世界を感じながら。

この命尽きる日まで。


   暗転。


                              終わり

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