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結婚するって本当ですか

【これは、劇団「かんから館」が、2002年2月に上演した演劇の台本です】


  〈登場人物〉

   高木久恵
   田辺良樹(津島修次)
   安達良子
   二宮慶治

    夜。
    とあるマンションの一室。
    良子がテレビを見ながら、ポテトチップスを食べている。
    ドアのチャイムが鳴る。

良子 (腕時計を見て)こんな時間に、誰だろ?

    良子立ち上がり、ドアの方に消える。

良子の声 はーい。どなた。
女の声 宅急便でーす。
良子の声 宅急便?

    ドアを開ける音。

女の声 うっそだよーん。
良子の声 あ、あなた、もしかして‥‥。
女の声 そうでーす。その、もしかでーす。
良子の声 久恵!
女(久恵)の声 良子! おひさしぶりー!
良子の声 ほんとにおひさしぶり。どうしたのよ、突然。
久恵の声 へへ、ちょっとわけがあってね。
良子の声 わけ? ‥‥とにかく寒いから、入ってよ。
久恵の声 それじゃ。おじゃましまーす。

    二人、部屋に入って来て座る。
    久恵のコートを良子がハンガーにかける。

良子 寒かったでしょ? 夕方まで雪が降ってたのよ。なんかあったかいものでも飲む?
久恵 どうぞおかまいなく。
良子 何、遠慮してんのよ。何がいい?
久恵 それじゃ、コーヒー。
良子 インスタントしかないけど、いい?
久恵 うん。

    良子立ち上がって、コーヒーを取りに行く。
    久恵、部屋を眺めている。
    良子コーヒーを入れる。

良子 (コーヒーを入れながら)砂糖とミルクは?
久恵 いい。私、ブラックだから。
良子 そう。
久恵 けっこういいとこにすんでんじゃん。
良子 そうでもないよ。まあ、駅から近いのがメリットかな。
久恵 新築?
良子 それが結構古いのよ。私が入る前に全面リフォームしたらしいから、きれいに見えるけどね。
久恵 でも、ここだったらけっこう高いでしょ? 家賃いくら?
良子 公益費込みで十二万。
久恵 だったら、けっこうしんどいんじゃない?
良子 何が?
久恵 家計っていうかさ、生活費とか。
良子 そんなに楽じゃないけどさ、うちの会社、結構給料いいから。
久恵 どこに勤めてんの?
良子 アパレル関係。そこで、デザイナーの卵みたいなのやってるの。
久恵 デザイナーか。‥‥かっこいいじゃん。
良子 そうでもないよ。中に入ったらけっこう地味な仕事よ。‥‥ところで久恵は何してんの?
久恵 まあ、世間で言う家事手伝いってとこかな。ハパのコネで出版社に入ったんだけど、上司と合わなくてさ、三ヶ月でやめちゃった。
良子 ふーん。でも、いいじゃん。久恵のパパは大企業の社長さんだし。
久恵 でも、このごろは不況で苦労してるみたいよ。まあ、とりあえず食べる分には困ってないけどね。
良子 何年ぶりだっけ、私たち会うの。
久恵 短大卒業以来だから‥‥、もうすぐ四年かな。
良子 もう四年かぁ‥‥。他の子たちはどうしてんだろ?
久恵 典子は田舎に帰って、すぐに結婚したみたいよ。年賀状来てなかった?。
良子 ああ、そういえば来てたね。なんで呼んでくれなかったんだろ?
久恵 すっごいど田舎らしくてさ、旅館もないとこなんだって。それになんか古風な風習とかあって、それで見せたくなかったじゃない?
良子 そっか。他は?
久恵 わかんない。年賀状とか出すくらいでさ。みんな忙しくやってんじゃないの?
良子 いっぺんみんなで集まろうか? カナとか祐子とかサチとか呼んでさ。
久恵 友美もね。
良子 よし、やろうよ。やろう。‥‥いつがいいかな? 久恵、いつ頃なら空いてる?
久恵 そうねぇ‥‥。あ。
良子 何?
久恵 忘れてた。
良子 え?
久恵 わけ。
良子 何それ。
久恵 私、ここに入る前に、わけがある、って言ったでしょう?その「わけ」。
良子 ああ。どんなわけ?
久恵 それがね。
良子 何?
久恵 それがちょっと言いにくいんだけど‥‥。
良子 何もったいぶってんのよ。早く言いなさいよ。私とあなたの仲でしょ?
久恵 じゃあ、言っちゃおうかな。‥‥ここにね、泊めてほしいの。
良子 何だ、そんなこと。もちろんオッケーよ。
久恵 それがさ‥‥。
良子 何?
久恵 一泊だけじゃなくって、しばらくの間。
良子 しばらくって? どれぐらい?
久恵 一週間にはならないと思うけど‥‥。
良子 事情によっては考えるけどさ‥‥何かあったの?
久恵 出て来ちゃった。
良子 え?
久恵 私、家から出て来ちゃったのよ。
良子 家出?
久恵 ‥‥みたいなもんかな。
良子 どうして?
久恵 私、今つきあってる彼氏がいるのよね。で、その人と結婚しようって思ってて、でも、パパが絶対ダメだって反対するの。それでさ‥‥。
良子 どうして反対なの?
久恵 彼、フリーターなの。
良子 その人いくつ?
久恵 もうすぐ二十八。
良子 ふーん、二十八でフリーターか。ちょっときついかもね。‥‥でも、それこそパパのコネで何とかしてもらえばいいじゃない?
久恵 それがダメなのよ。頭っから決めつけちゃってさ、「そんな人間はろくな者にならん」ってさ。で、会ってもくれないの。
良子 ふーん、そうなの。
久恵 そう。
良子 そっかー。

    しばしの沈黙。

良子 ところでさ、その彼氏はどうしちゃったの?
久恵 それがね‥‥。
良子 どっかで落ち合うの?
久恵 それなんだけどね‥‥。
良子 何よ。はっきりしなさいよ。事と次第によっては、私、応援してあげるから。
久恵 ほんとう?
良子 苦しい時はお互い様よ。
久恵 ありがとう。(良子の手をにぎる)それを聞いて安心したわ。
良子 で、どうなのよ?
久恵 ‥‥いるのよ。
良子 え‥‥どこに?

    久恵、黙ってドアの方を指さす。

良子 え‥‥まさか。
久恵 そう、そのまさかなの。
良子 この寒空の下で?
久恵 そう。
良子 凍え死んじゃうわよ! 話の続きは後でいいから、とにかく呼んできなさいよ!
久恵 そうだね。
良子 早く!
久恵 うん。

    久恵出て行く。
    後を追って、良子も出て行く。
    しばらく舞台上には誰もいなくなる。

    ややあって、ドアを開ける音。

久恵の声 大丈夫?
男の声 う・ん。
久恵の声 本当に大丈夫?
男の声 も・う・へ・い・き・だ・よ。ひ・と・り・で・あ・る・け・る・よ。ほ・ら。

    男が凍り付いたロボットのように部屋に歩いて入っ てくる。

男 ほ・ら・ね。(とVサイン)

    Vサインをしたまま倒れる。

久恵 よっちゃん!
良子 私、毛布を持ってくるわ。あなたは、そうね、お湯を飲ませてあげて。
久恵 うん。

    良子走り去る。
    久恵、ポットから湯を注いで男に飲ませる。
    良子が毛布を抱えて戻ってくる。

久恵 お湯じゃダメみたい。
良子 手足をマッサージしましょ。

    二人で男の顔、手足をマッサージする。

良子 なかなか暖かくならないわね。
久恵 ねぇ、なんか強いお酒ない?
良子 強いお酒? ウイスキーならあるけど、どうすんの?
久恵 ほら、ドラマなんかでよく気付け薬でブランデーとか飲ますじゃない?
良子 ああ、そうね。
久恵 じょうごとかある?
良子 ストーブに石油を入れる醤油チュルチュルならあるけど。
久恵 あんた変な名前は知ってるのね。もう、それでもいいわ。ウイスキーと一緒に持って来て。

    良子、走ってウイスキーと醤油チュルチュルを持って来る。
    男の口にウイスキーが注がれる。

男  ブハッ!(ウイスキーを吹き出す)
久恵 気が付いた?

    男、突然立ち上がる。

男  ここはどこ? わたしは誰?

    男、再び倒れる。

久恵 よっちゃん、大丈夫? よっちゃん!

    男、再び立ち上がる。

男  熱い、いや寒い。いや、熱い、いや寒い。なんじゃこりゃー!
久恵 よっちゃん!
男  あ、ひーちゃん。
久恵 気が付いたのね。よかった。
男  ここはどこ?
久恵 私の友達のマンションよ。
男  ああ、そうだった。
久恵 これが、その友達。安達良子さん。
男  ああ、はじめまして。
良子 はじめまして。もう、大丈夫ですか?
男  はい。でも、のどが焼けるように熱いな。すみませんが、お水一杯もらえませんか?
良子 はい。

    良子、水をくんで戻ってくる。
    男、それを一気に飲み干す。

男  ふー。

    久恵、男に毛布をかけてやる。

男  どうもお世話になりました。おかげで生き返りました。
久恵 ほんとに死んじゃったのかと思ったわよ。
男  ひーちゃんが、あんまり待たせるからだよ。
久恵 そうよね。ごめんね、よっちゃん。
男  まあ、いいけど。
良子 ‥‥‥。
久恵 あ、まだ紹介してなかったわね。この人がさっき言ってた私のフィアンセの田辺良樹くん。
男(田辺) よろしく。お世話になります。
久恵 よっちゃん、その話はまだなのよ。
良子 ‥‥‥。
久恵 それで、この人が、私の短大のサークル仲間の安達良子さん。
良子 よろしく。
田辺 よろしく。

    しばしの沈黙。

良子 ‥‥でさ、さっきの話の続きなんだけど、これ、ひょっとしてさ、家出じゃなくって‥‥。
久恵 そのひょっとなの。私たち、駆け落ちしてきたのよ。ね。
田辺 うん。
良子 え‥‥それでまさか‥‥。
久恵・田辺 (手をついて)よろしくお願いしまーす。
良子 よ、よろしくって、ちょっと待ってよ。まさか二人でここに泊まるつもりなの?
久恵・田辺 (手をついて)よろしくお願いしまーす。
良子 そんなの急に言われても困るわよ。第一、お布団もないしさ。
久恵 大丈夫。寝袋持ってきてるから。ね。
田辺 うん。
良子 食器は?
久恵 マイデイッシュとマイグラスとマイオワン持ってきてるから。ね。
田辺 うん。
良子 それじゃあ、歯ブラシも‥‥。
久恵 もちろん持ってきてるわよ。トラベルセット。ね。
田辺 うん。
良子 ‥‥‥。
久恵・田辺 (手をついて)よろしくお願いしまーす。
良子 ホ、ホテルとか、ウイークリーマンションとかあるじゃない?
久恵 それも考えたんだけど、あんまりお金がないのよ。ね。
田辺 うん。
良子 用意がいいわりには、肝心の所がぬけてんのね。‥‥それじゃあ、一週間たってもどうにもなんないじゃない。
久恵 それが、今週中にはなんとかなるのよ。ね。
田辺 うん。
良子 どうしてなんとかなるのよ。
久恵 それは悪いけど、ちょっと言えない。秘密なのよ。ね。
田辺 うん。
久恵・田辺 (手をついて)よろしくお願いしまーす。
良子 ‥‥‥。わかったわ。一週間が限度だからね。それから、私は、普段の生活を普通に続けさせてもらいますからね。あなたたちは、このリビングで寝て。私はあっちの部屋で寝るから。わかった?
久恵・田辺 (手をついて)おありがとうございまーす。
良子 もう、勝手なんだから‥‥。あ、それから、非番の日には私の彼氏が来るから。あんまり邪魔しないでよ。
久恵 非番?
良子 彼、警察官なのよ。
久恵・田辺 (顔を見合わせて)警察官‥‥。
良子 え、警察官がどうかしたの?
久恵 い、いや、別に。ね。
田辺 うん。
良子 それじゃ、私、明日早いから、もう寝るよ。あんたたちは、好きにして。

    良子、去る。

田辺 警官かあ‥‥。
久恵 大丈夫よ。ばれやしないわよ。
田辺 でも、気をつけないとね。
久恵 そうね。‥‥さ、私たちも寝ましょ。
田辺 うん。
久恵 その前に、歯磨き、歯磨き。‥‥あれ、トラベルセット、よっちゃんのカバンだっけ。
田辺 そうかな。

    久恵、田辺、カバンをチェック。
    暗転。


    翌朝。
    良子のマンション。
    良子がバタバタと出勤の準備をしている。
    久恵と田辺がボーと見ている。

良子 ええっと、もう忘れ物はないかな? ‥‥よし。じゃあ出かけるから、お留守番よろしくね。
久恵・田辺 はーい。いってらっしゃーい。

    良子が出かけてゆく。
    二人、テレビを見ている。
    久恵が立ち上がり、テレビを消す

久恵 さてと、私たちも仕事仕事。
田辺 でも、まだ、ちょっと早いんじゃない?
久恵 (時計を見て)それもそうか。‥‥じゃ、練習しよっか。リハーサル。
田辺 リハーサル?
久恵 じゃあ、私がママで、よっちゃんが‥‥よっちゃんね。
田辺 え?
久恵 電話かけるのよ。電話。
田辺 ああ‥‥。(電話をかけるしぐさ)‥‥はい、かけたよ。
久恵 ピロパポンピンポン。
田辺 何、それ?
久恵 うちの電話、こういう音なの。‥‥ピロパンポンピンポン。カチャ。はい、高木でございます。
田辺 ‥‥‥。
久恵 何してんの? 話すのよ。
田辺 ああ‥‥あの、おはようございます。わたくし、田辺と申しますが‥‥。
久恵 名前言ってどうすんの!
田辺 あ、そうか。‥‥もしもし、わたくし、昨晩、お電話を差し上げた者ですが‥‥。
久恵 ‥‥いいけど、そんなに丁寧に言わなくていいんじゃない? セールスマンじゃないんだから。ほら、テレビとかでやってる感じで。
田辺 ああ、そっか。‥‥ジャッジャッジャーン。ジャッジャッジャーン。(火曜サスペンス劇場のテーマ)
久恵 何、それ?
田辺 BGM。
久恵 そんなのいらない。
田辺 でも、これがないとテレビの雰囲気になれないよ。
久恵 もう!‥‥じゃ、入れていいから‥‥続き。はい。
田辺 ジャッジャッジャーン。ジャッジャッジャーン。奥さんだね。昨日の電話のこと忘れちゃいないだろうね。
久恵 そう、その調子‥‥あ、あなたなの!
田辺 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。
久恵 それもBGM?
田辺 そう。
久恵 ‥‥‥。
田辺 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。例の物は用意できてるだろうな。
久恵 はい。‥‥それより、久恵は‥‥娘は元気なんでしょうね。
田辺 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。ああ、元気だよ。心配するな。
久恵 じゃあ、娘の声を聞かせて! 電話に出してちょうだい!
田辺 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。わかった。出してやるよ。ちょっと待ってな。

    久恵が、田辺の電話を取る。

久恵 ママ、助けて!‥‥久恵! 久恵! 元気なの? ‥‥うん、だからおじさんたちの言うこと聞いてあげて。
田辺 (同時に)ズンジャズンジャズンジャズンジャ。

    田辺が電話を受け取る。

田辺 わかったろう。あんたたちが妙なことさえしなければ、娘さんは無事に返してやるよ。
久恵 わかってます。だから、娘の命だけは‥‥。
田辺 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。娘が大事だったら、くれぐれも、警察なんかに連絡しないことだな。じゃ、受け渡しの方法は、後で連絡する。ガチャ。チャラララー。

    田辺、電話を切る。

田辺 フー、けっこう疲れるね。
久恵 こっちの方が疲れたわよ。その変なBGM、何とかならないの?
田辺 やっぱり、雰囲気がないと‥‥。
久恵 でも、本番でも、それ、やるの?
田辺 できたら‥‥。
久恵 ‥‥困ったわね。
田辺 ごめん。
久恵 ‥‥‥。
田辺 ‥‥‥。
久恵 ‥‥じゃあ、こうしよう。私がよっちゃんの耳元でBGMをやるから、それを聞いて電話してよ。いい?
田辺 それなら大丈夫だと思う。
久恵 じゃ、それで決まりね。‥‥念のために、もっかい練習しとこう。
田辺 うん。‥‥それじゃ、かけるよ。

    田辺、電話をかけるしぐさ。

田辺 かけたよ。
久恵 ピロパンポンピンポン。カチャ。はい、高木でございます。‥‥(田辺の耳元で)ジャジャジャーン。
田辺 うわ、くすぐったい。
久恵 何言ってんのよ。こっちは一人二役で、大変なんだから、贅沢言わないの!
田辺 ごめん。‥‥急に来るからくすぐったいんだよ。もう初めから全部、こっちの耳でやって。
久恵 もう、注文が多いんだから。こう?(田辺の耳元に手をやる)
田辺 ちょっとくすぐったいけど、なんとかできると思う。
久恵 じゃ、行くわよ。はい、かけた。‥‥ピロパンポンピンポン。カチャ。はい、高木でございます。ジャジャジャーン。
田辺 奥さんだね。昨日の電話忘れちゃいないだろうね。
久恵 よし、オッケー。(時計を見る)もう九時過ぎたから、そろそろ本番行こうか?
田辺 何で九時なの?
久恵 銀行があく時間でしょ。
田辺 ああ、そっか。‥‥でも、ドキドキするなあ。‥‥水一杯飲んできていい?
久恵 いいよ。

    田辺、台所へ去る。
    しばらくして、戻って来る。

久恵 もう、大丈夫?
田辺 なんだか、余計に緊張してきたみたい。
久恵 男でしょ? ドーンとかまえてよ。
田辺 ごめん。
久恵 ほら、また、そうやってごめんって言う。よっちゃん、ごめんばっかじゃない? そういうのがだめなのよ。はい、元気出して、ファイト、ファイト!
田辺 ‥‥‥。
久恵 じゃ、本番行きまーす。
田辺 よし!(ダイヤルしようとする)
久恵 (田辺の電話を取り上げて)それじゃないでしょ! こっちでしょ!(別の電話を渡す)
田辺 あ、そうだった。ごめ‥‥(手で口を押さえる)

    田辺、ダイヤルする。
    相手が出た様子。

久恵 ジャッジャッジャーン。ジャッジャッジャーン。
田辺 奥さんだね。昨日の電話忘れちゃいないだろうね。
久恵 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。
田辺 例の物は、用意できてるんだろうな。
久恵 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。
田辺 今から? えらくのんびりしてるんだな。
久恵 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。
田辺 何? 音? そ、そんなもの聞こえないぜ。(少し動揺する)
久恵 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。
田辺 な、何か混線してるんじゃないか?
久恵 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。
田辺 ああ‥‥そりゃ、きっとテレビの音だ。切ればいいんだろう。

    田辺、テレビのリモコンを切るしぐさ。
    久恵、BGMをやめる。

田辺 ほら、聞こえなくなっただろ、奥さん。‥‥それでだな、えーと、何だっけ?‥‥‥そうそう、それです。いや、それだよ。身代金だ。そうそう身代金。それなんだが、えーっと‥‥‥準備はできてるんですよね‥‥だな。‥‥‥あ、そうか、これから‥‥‥はい、はい、そうでした。そうだったな。ちょっとうっかりしてて‥‥‥

    久恵、あわてて周りをさがす。
    筒状の紙を見つける。
    その筒を田辺の耳にあてる。

久恵 ズンジャズンジャズンジャズンジャ。
田辺 そうだよ。忘れてもらっちゃ困るぜ。‥‥‥あ、そうか、俺の方か。いや、すまないね。奥さん。‥‥‥え? しゃべり方が変? ‥‥‥そ、そうか? いや、ちょっとこっちにも事情があってね。‥‥‥何がって、そんなことはあんたには関係ないだろう?‥‥‥娘? 安心しな。元気にしてるぜ。‥‥‥声? よし聞かせてやろう。おい、ママがお前の声を聞きたいってよ。
久恵 ママ!‥‥‥うん、元気‥‥‥うん、ちゃんと食べてる。‥‥‥うん、うん‥‥‥わかった。
田辺 もういいだろう。わかったか。(久恵にBGMの合図)あんたが俺たちの言うことをちゃんと聞いてくれたら娘には手を出さねえよ。‥‥‥だから、五千万、すぐに銀行に行って用意しな。新札はダメだぜ。使い古しの一万円札で五千枚だ。‥‥‥え、何? 分割払い? うーん‥‥ちょっと待ってな。(久恵に)身代金、分割払いじゃだめかって言ってるんだけど‥‥。
久恵 何考えてんのよ、あの人は。‥‥ふざけんなって言って。
田辺 待たせたな。ふざけんなってよ。‥‥‥誰がって? えーっと、そう、兄貴だ。兄貴がそう言ってんだよ。わかったか。‥‥‥え、ない? そいつは困ったな。ちょっと待ってろ。(久恵に)五千万円も用意できないって言ってるんだけど‥‥。
久恵 いけしゃーしゃーと。さすが、私の母親ね。‥‥もういいわ、電話貸して。

    田辺、久恵に電話を渡す。

久恵 (ドスをきかせて)おい、あんた、さっきから黙って聞いてりゃ、ふざけたことばっかりぬかしやがって。‥‥‥誰?誰でもいいだろ。‥‥‥そうだよ、仲間だよ。誘拐屋さんの仲間だよ。身代金の分割払い? 五千万円ない? よく言ってくれるじゃねえか。‥‥‥ハハハハ、人が知らないと思って、いいかげんなことを言うんじゃないぜ。奥の八畳間の耐火金庫。五千万ぐらい、あそこに入ってるだろ?‥‥‥やけに詳しい? 人をトーシロー扱いするんじゃねえよ。こちとらプロだぜ。プロの仕事ってのは、そのくらいあらかじめ調べてやるんだよ。覚えとけ。それでも分割払いなんて言うのかい? ‥‥‥おい、何黙ってんだよ。じゃあ、返事させてやろうじゃねえか。(田辺に)ズボンのベルトはずして。
田辺 ベルト?
久恵 とにかくはずして。それで、床をたたいて。
田辺 う、うん。

    田辺、ベルトをはずして、丸めたまま床をたたく。
    「ゴン」と鈍い音。

久恵 違う! ムチみたいにたたいて!

    ピシッ!

久恵 キャー! ‥‥‥奥さん、聞こえたかい? もう一回、聞かせてやろう。やれ!

    ピシッ!

久恵 キャー! 痛いよー! ‥‥‥やれ!

    ピシッ!

久恵 ママー、助けてー!

久恵 聞こえただろ? これでもないって言うのかい? 分割払いなんて言うのかい? ‥‥‥いや、待てよ。分割払いってのも案外おもしろいかもしれねえな。そうだ! いいよ。分割払いOKだよ。その代わり、こっちも分割払いだぜ。あんたが頭金を払う。そしたら、こっちは右の耳を送る。二回目は左耳、三回目は右腕だ。それから四回目は左腕、五回目は右足、六回目は左足、七回目は胴体だ。そして、八回目で頭を送って、支払い完了。どうだ、いいアイデアだろ?‥‥ママー! そんなのイヤよー! おじさんたちのいうことをきいて!‥‥お嬢ちゃんはああ言ってるけど、俺たちはどっちでもいいんだぜ。さあ、どうする? 一括か、分割か、どっちがいい? ‥‥‥ママー!‥‥さあ、どうする? ‥‥ママー!‥‥どうする?‥‥ママー! ‥‥どうする?

    男が玄関の方から顔を出す。

男 あのう。
久恵・田辺 !

    久恵、電話を切る。

田辺 あのう、どちらさまでしょうか?
男 あのう、ここは安達良子さんの部屋ですよね。
久恵 は、はい。
男 あなた方は、どなたです?
久恵 あ、ああ、私が安達さんの友人で、こっちが私の彼氏です。
田辺 はい、彼氏です。
男 はあ、そうですか。
久恵 そういうあなたは、どなたですか?
男 あ、申し遅れました。(直立、敬礼をして)本官は、警視庁某市交通課所属、二宮慶治巡査であります!
久恵・田辺 巡査!

    一瞬の間。

二宮 ‥‥あ、すみません。驚かしちゃって‥‥。これ、癖になっちゃってるんですよね。‥‥彼女にもいつも怒られるんですが‥‥。
久恵 あ‥‥わかった! あなた、良子の彼氏でしょ!
二宮 はあ、まあ、一応そういうことになります。
田辺 なんだ、そっか。はー、よかった。
二宮 何がよかったんですか?
久恵 いえ、こっちの話で。気にしないでください。 
二宮 はあ。
久恵 あの、今、良子は会社ですけど‥‥。
二宮 わかってます。自分は、徹夜明けで非番になったものですから、帰ってくるまで、ここで昼寝をさせてもらおうかと思って下までやって来たら、キャーとか、助けてー、とかいう声が聞こえたものですから。あれ、ここの部屋ですよね。
久恵 はあ、そうですが‥‥。
二宮 何やってたんですか?
久恵 え? それは‥‥その‥‥、ああ、演劇の練習ですよ。演劇。演劇、お芝居、わかりますよね?
二宮 はあ、まあ。
久恵 彼と私は同じ劇団に入ってて、その練習をしてたんです。そうよね?
田辺 へ?
久恵 (強く)そうよね。
田辺 ‥‥ああ、そうなんです。お芝居です。お芝居。
久恵 ほら、お芝居って、いろんな声を出して練習するでしょ?
二宮 はあ。
久恵 たとえば‥‥あめんぼあかいなあいうえお、はい。
田辺 ?
久恵 あなたもやるの! はい!
田辺 あめんぼあかいなあかとんぼ。
久恵 なまむぎなまごめなまたまご、はい。
田辺 なまむみなまもめなまなめこ。
久恵 キャー! およしになって!、はい。
田辺 へへへ、よいではないか、よいではないか。
久恵 あーれー! ‥‥ね?
二宮 はあ‥‥。
久恵 まあ、私としたことが、そんなところに立たせっぱなしにしちゃって。気がききませんですみませんねぇ。どうぞどうぞ、中に入っておすわり下さい。
二宮 そうですか。それじゃおじゃまします。

    二宮、室内に入ってくる。

久恵 よっちゃん、お茶を入れてさし上げて。
田辺 え? ああ。

    田辺、台所にはいる。

田辺の声 急須どこにあるの?
久恵 さっき使ったから流し台じゃない?
田辺の声 ああ、あった。
久恵 まあ、足でもくずしてゆっくりして下さい。
二宮 はあ。
田辺の声 お茶っ葉は?
久恵 缶に入ってたでしょう?
田辺の声 缶、缶、あ、あった。‥‥ポットは?
久恵 こっち。

    田辺、茶用品を持って室内に入ってくる。
    久恵が茶を入れる。
    知らない者同士の落ち着かない沈黙。

久恵 どうぞ。(二宮に茶を出す)
二宮 あ、どうも。
久恵 はい。(田辺に茶を出す)
田辺 ありがと。

    久恵、自分の茶を入れる。
    ぎこちない沈黙。

久恵 警察官なんですってね。
二宮 はあ、まあ。
久恵 大変でしょう?
二宮 はあ、まあ。

    ぎこちない沈黙。
    沈黙をやぶって、バタバタと騒々しい音。

良子の声 ワー! 大変だー!

    良子が部屋に飛び込んでくる。
    三人のすわっている姿を見て、一瞬静止。

良子 あれ、何でけいちゃんがいるの? 今日は非番、夜じゃなかったっけ?
二宮 そうだったんだけど、急に予定が変更になって、朝帰りだったんだよ。
久恵 何が大変なの?

    二宮のセリフと久恵のセリフがごちゃまぜ。
    それを聞きながら、何かを探している。

良子 ああ、そう。忘れ物しちゃったのよ。徹夜で描いたデザインのスケッチ。‥‥あのさ、丸めた紙の筒みたいなの見なかった?
久恵 丸めた紙の筒‥‥。
田辺 ひょっとして、これですか?

    さっき、電話で使った筒である。

良子 あ、それそれ!‥‥あれ、なんでこんなによれよれになってんの?
久恵・田辺 ‥‥‥。
良子 ま、いいや。じゃ、下にタクシー待たせてるから。あとで。

    良子、部屋を出ようとする。

良子 ほら、けいちゃんも行くのよ! 事情は後で話すから。
二宮 え、ああ。

    良子に引きずられるようにして二宮が出てゆく。

久恵 あ、いけない!

    久恵、戸口で叫ぶ!

久恵 良子! ちょっと、ちょっと!
良子 (戻って来て)なによ? 急いでるんだから。
久恵 私のこと、彼氏には名前教えないで。ひょっとしたら、もう家出人のリストに入ってるかもしれないから。‥‥いや、それも不自然ね。
良子 早くしてよ!
久恵 そうだ、高橋。高木じゃなくて高橋ってことにしといて。
良子 わかった。高橋ね。それだけ?
久恵 うん。
良子 じゃ、行くわよ。

    バタバタと出て行く良子。
    再び訪れる静寂。

田辺 台風みたいな子だね。
久恵 そうね。ちーっともかわんないわね。‥‥あんなんだから、バタ子って呼ばれてたのよ。
田辺 バタ子?
久恵 アンパンマンの‥‥♪バタバタバタ走るよ、バタ子さん。
田辺 ああ、なるほど。
久恵 せっかく入れたんだから、お茶でも飲もうよ。
田辺 おまわりさんの分は?
久恵 ほしかったら、あなた飲みなさいよ。
田辺 そんなに飲めないよ。

    茶を飲む二人。

田辺 それにしても、ひーちゃん、案外あれだね。
久恵 あれって?
田辺 エス。
久恵 エス?
田辺 サディスト。‥‥ほら、電話の時、ムチとか分割払いの話でずいぶん盛り上がってたじゃない?
久恵 別に盛り上がってないわよ。
田辺 盛り上がってたよ。やけに楽しそうにやってたじゃん。
久恵 ‥‥‥。

    久恵、落ちているベルトをひろう。
    黙ったままで、ピシッっと一打ち。

久恵 (やさしく)誰がサディストですって?
田辺 ひー、ごめんなさい。女王様。

    暗転。


    その日の夜。
    良子の部屋。
    良子、久恵、田辺が、テーブルを囲んでいる。
    テーブルの上には、ナベとビールとコップ。
    三人ともかなりできあがってる。

久恵 それにしても、あんたの彼氏遅いわねぇ。
良子 寝坊したって言ってたから、もうすぐ来るわよ。
久恵 寝坊なんて、警官らしくないわね。警察って、時間とかに厳しいんじゃないの?
良子 あの人、いろんな所で警官らしくないのよ。
久恵 いろんな所って?
良子 ‥‥言っちゃおうかな?
久恵 何?
良子 やっぱりやめとこうかな?
久恵 言いかけてもったいぶるのやめてよ。何?
良子 あのね‥‥ここだけの話よ。いい?
久恵 うん。私口堅いから大丈夫よ。よっちゃんも大丈夫よね?
田辺 うん。
良子 じゃあ、言うね。あの人、署内で密かに呼ばれているあだ名があるのよ。何だと思う?
久恵 さあ? そんなのわかんないよ。ヒント。
良子 昔のテレビ番組のヒーロー。
久恵 仮面ライダー。
良子 ブー。
田辺 ウルトラマン。
良子 ブー。
久恵 えーっと、水戸黄門。
良子 ブー。そんなのヒーローじゃないでしょ。
田辺 銭形平次。
良子 ブー。
久恵 遠山の金さん。
良子 ブー。‥‥時代劇じゃないのよ。スポーツ物ね。
田辺 じゃあ、星飛馬。
良子 近い!
久恵 そんなのわかんないよ。
田辺 明日のジョー。
良子 ピンポン!
田辺 明日のジョーってかっこいいじゃないですか。
良子 それが全然かっこよくないのよ。
田辺・久恵 ?
良子 あの人交通課所属って言ってたでしょ?
田辺 はい。
良子 実は、初めはね、暴力団対策課に配属されたの。
田辺 はい。
良子 それでね、初めての‥‥ええっと何て言うんだっけ、組事務所を捜査するやつ‥‥。
田辺 ガサ入れ?
良子 そうそう、そのガサ入れに行った時にね、組事務所の表を見張る役だったんだけど、テレビでもよくあるじゃない?そこらにいたチンピラに胸ぐらつかまれてさ。あの人、警官のくせに、こわがりで弱虫でさ‥‥びびっちゃって、思わずもらしちゃったのよね。ジョーって。
久恵 ああ、それで、明日のジョーなんだ。
田辺 こ、公務執行妨害で、た逮捕するジョー。
三人 アハハハハ。
良子 それで、役に立たないってことで、交通課に配属になったわけ。
久恵 ふーん。
良子 今でもね、駐車禁止の取り締まりをする時なんかに、相手にすごまれると、反則キップを切れないことがあるみたいよ。
久恵 その時も、もらしちゃうわけ?
良子 さあ、知らないけど‥‥でも、老人用の尿漏れ防止パンツとかあるでしょ? あれを買おうかどうか、けっこう本気で考えてるとか‥‥。
久恵 マジ?
良子 さあ?‥‥そうそう、それからもう一つあだ名があるの。
久恵 何?
良子 平野慶治っていうの。
久恵 ヒラノケイジ?
良子 あの人、二宮慶治っ名前なの。でもヒラの巡査でしょ? だから、ヒラの刑事。
久恵 なるほどね。
良子 これはあんまりおもしろくなかったね。

    ドアのチャイム

三人 来た!
久恵 やっぱり悪口言うと来るね。

    良子が玄関に迎えに行く。
    二人が入ってくる。

田辺・久恵 こんばんわ、明日のジョー!
二宮 ! ‥‥良子ちゃん、しゃべったの?
良子 まあ、ちょっと退屈しのぎに‥‥。
二宮 どこまでしゃべったの?
良子 まあ、ガサ入れのことと、反則キップのことと、尿漏れ防止パンツぐらいかな。
二宮 それじゃ全部じゃない! あれは言わない約束でしょ!
良子 あんたが寝坊なんかするからよ。身から出たサビよ。罰よ。
二宮 ひどい‥‥。

    二人、すわる。

久恵 それじゃ全員がそろったところで、もう一回乾杯しましょうか?
田辺 しよ、しよ。
良子 けいちゃんは、ウーロン茶よね。
久恵 え、彼、飲めないの?
良子 飲めないってわけじゃないけど‥‥ちょっと訳があってね。
久恵 訳って? 車で来てんの?
良子 じゃないけど‥‥。
田辺 乾杯だけでもいいから、飲もうよ。
良子 でもね‥‥。
二宮 いいよ、飲みましょう! さ、乾杯、乾杯!
良子 ほんとにいいの?
二宮 乾杯ぐらいなら平気だよ。

    ビールがグラスに注がれて、乾杯の準備。

田辺 さあ、みんなの出会いを祝して、乾杯!
全員 乾杯!
田辺 えーと、彼、何て言うお名前でしたっけ?
良子 二宮、二宮慶治。
田辺 ああ、そうだった。‥‥ねえ、二宮さん。明日のジョーって、そんなに気にすることないっすよ。俺、小さい頃、明日のジョーにあこがれてたんすよ。それで、ボクシングのまねごとやったりして‥‥。理由を知らなかったら、誰も笑ったりしませんよ。ねえ。
久恵 そうですよ。失敗なんて誰でもあることだから、気にしない。気にしない。

    二宮、突然無言で立ち上がる。

二宮 何よ。みんなわかったようなこと言わないでよ。他人事だからそんなことが言えるのよ。誰だって、出る物は出るでしょ? え、あんた、うんこしないの? え、あんた、おしっこしないの? ねえ、どうなのよ? 答えなさいよ。
田辺 ‥‥します。
二宮 ほら、するんじゃない。あたしの場合、ちょっと時と場所が悪かっただけなのよ。それもよ、もう、何年も前の話なのよ。それをいつまでもいつまでも、ひそひそと語り継いで、明日のジョーだとか、ジョーが来た、とか。あんたたちね、みんな卑怯者よ。言いたいことがあるなら、堂々とあたしの前でいいなさいよ。ねぇ、はっきり言いなさいよ。あんた男でしょ。ほら、黙ってないで、さっさと言いなさいよ。
田辺 ‥‥あしたの、ジョー。
二宮 キー! よくも言ったわね! 殺してやるー!(田辺につかみかかろうとする)
良子 すわれ、すわれ、すわるんだ! ジョー! ほら、みんなも一緒に!
三人 すわれ、すわれ、すわるんだ! ジョー! 

    二宮、力が抜けたようにすわる。
    しばしの沈黙。

二宮 あれ、みんなどうしたの? 僕、またなんかやった?
良子 やるにはやったけど、そんなにたいしたことじゃないわ。
久恵 なるほど、そういうことか。
田辺 あー、びっくりした。‥‥でも、あれだけの酒で、こんなに変わる人も珍しいよ。おもしろいね。さ、もう一杯いきましょう。
良子 やめてくださいよ。また、何するかわかんないから。ね、けいちゃん、もうだめよ。
二宮 うん。
田辺 なーんだ。つまんないの。
良子 じゃ、ウーロン茶取ってくる。

    良子、台所へ行く。

田辺 えーと、二宮さんだっけ。
二宮 はい。
田辺 昔からそうだったの? お酒を飲むと。
二宮 あんまり飲んだことがありませんから、よく分かりません。
田辺 高校の時とか飲まなかったの?
二宮 二十歳になるまでは飲みませんでしたから。
久恵 さすが警察官ね。ご立派だわ。

    良子が戻ってくる。

良子 ウーロン茶切らしてたわ。ちょっとそこのコンビニに行って買ってくる。他に何かいらない?
久恵 チョコポッキー。
田辺 ビールも足らないんじゃないですか? 
良子 けいちゃんは?
二宮 ハーゲンダッツのバニラのアイスクリーム。
久恵 え、こんなに寒いのに?
二宮 寒いからいいんですよ。じっくり味わえるじゃないですか? 暑い時の溶けたアイスクリームなんて、どこのメーカーのも同じで、あんなのアイスクリームじゃない。
久恵 マックシェイクとかは?
二宮 あんなの最低です。アイスクリームへの冒とくです。
田辺 変なところにポリシー持ってるね。
良子 それだけね。じゃ、行って来るわ。

    良子、出て行く。

田辺 さあ、彼女も行ったし、もう一杯いこうよ。
二宮 でも‥‥。
田辺 別にたいしたことしたわけでもないしさ。ねぇ。
久恵 あんまりそそのかすと、良子に怒られるわよ。
田辺 彼のために言ってるの。ちょっとした失敗ぐらい、誰でもあるもんだよ。そんなことをいちいち気にしてたら、一生お酒飲めなくなるよ。お酒はねぇ、練習だよ、練習。
二宮 はあ。でも。
田辺 警察署でも宴会とかするんでしょ?
二宮 はい。
田辺 そんな時でも、いつもウーロン茶なの?
二宮 はい。
田辺 わかった! そんなことしてるからみんなからなめられて、明日のジョーなんて言われるんだよ。あのねぇ、社会人にとってはさ、時として、仕事以上につきあいってのが大切なんだよ。
久恵 なによ、社会人でもないくせに。
田辺 うるさいなあ。‥‥いつも、ウーロン茶で情けなく思わない?
二宮 思います。
田辺 じゃ、やっぱ、練習だ。はい、グラスあけて。

    田辺、二宮のグラスにビールを注ぐ。

田辺 ささ、グイーっと。

    二宮、グラスを飲み干す。
    田辺・久恵、拍手。

田辺 なんだ、けっこういけるじゃない。
久恵 そうよねぇ。
田辺 なんか、男になれた気がしない?
二宮 します。
田辺 その調子、その調子。

    田辺・久恵、黙ったまま二宮の様子を見る。
    しばしの間。

二宮 あのう、僕の顔になんかついてます?
田辺 いや、なんにも付いてないよ‥‥変だな。
久恵 そうね。なんにも変わらないね。
田辺 うーん。

    良子が帰って来る。

良子 お待たせー。
三人 お帰りー。
良子 はい、けいちゃん、ハーゲンダッツ。とけないうちに食べて。
二宮 ありがと。
良子 それから、はい、チョコポッキー。
久恵 サンキュ。みんなで食べよ。
良子 ビールはどうしよう?
田辺 そのへんに置いといたら?
良子 そうね。

    良子、ビールを袋のまま置く。

良子 あのさ、コンビニに行く時に気づいたんだけど、お互い、まだ自己紹介してないじゃない? 三人は昨日したけど、二宮君は初めてだしさ、酔っぱらっちゃわないうちに、もう一回しない?
久恵 賛成。
良子 じゃ、久恵からね。

    久恵、立ち上がる。

久恵 えーっと、高橋久恵、二十四歳、
良子 え、トシも言うの?
久恵 いいじゃない。言っちゃっおうよ。えーっと、横浜市出身。横浜聖女子短大服飾科卒。ちなみに、この安達良子さんとは、学科もサークルも一緒でした。
良子 サークルはテニスサークルで、サークル内では彼女は「おひーさま」って呼ばれてました。
田辺 はい、質問。なんでおひーさまなんですか?
良子 名前が久恵だし、彼女のパパは、大企業の社長でお金持ちだったからです。
久恵 ちなみに、今は家事手伝いをしてます。
良子 何か質問はありませんか?

    その時、突然、二宮が立ち上がる。

二宮 自分は、九州の小さな村に生まれました。自分は、今でこそ明日のジョーと呼ばれていますが、小学校三年生の時、授業中に脱糞したことがあります。その日は、朝から腹の調子が悪かったのですが、何とか治るだろうとがまんして、学校へ行ったのであります。あれは忘れもしない天野明美先生の歴史の授業中でした。なんとかがまんしよう、がまんしようと思い、授業も耳に入らず、がんばっていたのですが、ついに耐えきれず、脱糞したのであります。それから間もなく、強い臭気が教室中に広がり、授業が中止になって、みんなで犯人探しを始めました。自分はドキドキしながら、教壇の天野先生に救いの目を向けたのですが、先生は、まるで犯人探しを楽しむように笑っていました。実は、自分は、密かに天野先生をお慕い申し上げておりましたから、二重にショックでありました。そして、ついに犯人であることがばれてしまったのであります。その時、先生は、家に帰ってパンツをはきかえて来るように、優しく言いました。美しい女性の残酷さ、というものを初めて知ったのがこの時であります。自分は泣きながら、家まで走りました。でも、糞のついたパンツを母親に見せるのもイヤだったので、途中で脱いで、小川に捨てました。糞まみれのパンツは、波にもまれて、やがて消えていきました。そして、パンツをはきかえて学校に戻った自分に、更にショッキングな出来事が起こっていました。それは、自分のイスにとぐろを巻いた糞の絵がマジックインキで大きく描かれていたのであります。それ以来、自分は「くそ太郎」とか「ババたれ」という名前で呼ばれるようになりました。それだけではありません。その日以来、みんなが自分の机から一メートル以上離れてすわるようになったのです。そして、何かのゲームをする時は、自分のイスに座らせるのが罰ゲームとなったのであります。そして、このような苦行の生活は、中学三年まで続きました。田舎の学校ですから、小学校のほとんど全員が同じ中学に進級するのです。この六年間の苦しみは、いくら言っても言い切れるものではありません。ですから、高校は、わざと離れた町の学校を受けました。そこで、ようやく自分は「くそ太郎」「ばばたれ」の呪いから解放されたのであります。自分が警察官を選んだのも、そんな経験から、もっとよりよい、住みやすい世の中にしなくてはならないと思ったからであります。だから「明日のジョー」なんてあだ名は、「くそ太郎」「ばばたれ」に比べたら、どうってことはありません。しかし、許せないのは、正義を守るべき警察官までが、このようなことを平気でするという事実なのです。警官までが、人を傷つけていて、誰が日本を守るのですか? どこに正義があるのですか? 自分の言いたかったのはこれだけであります。どうもご静聴ありがとうございました。

    全員拍手。
    二宮、ふらふらと座り込む。

良子 田辺さん! また飲ませたでしょう?
田辺 いや、僕じゃないっすよ。自分で飲んだんですよ。ね。
二宮 そうだよ。僕が自分で飲んだんだ。
良子 けいちゃん、どうしてそんな無茶なことするの?
二宮 僕は、今日から男になるんだ。陰口をたたかれ、馬鹿にされる生活なんて、もうイヤだ。良子さんだって、そうなんだろう? 心の底では、なさけない男だと思ってるんだろう?
良子 そんなことないわよ。
二宮 いや、そうなんだ。(近くにあったグラスを飲み干す。)
三人 あー!
久恵 また、飲んじゃった。
田辺 ‥‥今度はどんな風になるんですかね?
良子 私の彼をおもちゃにしないでよ。

    三人、二宮をじーっと見ている。
    何も起こらない。
    そのうち、二宮が横になる。

田辺 寝ちゃいましたね。
久恵 そうみたいね。
田辺 続き、やりましょうか?
久恵 何の?
田辺 自己紹介の。
良子 肝心の本人が寝ちゃったから、意味ないわよ。
田辺 それも、そうですね。
久恵 寝ちゃった人はほっといて飲みましょ、飲みましょ。

    三人、グラスにビールを注ぐ。

良子 田辺さんていくつだったったけ?
田辺 二十八です。
良子 私も久恵と同じ二十四だから、田辺さんが一番年上ね。
久恵 (二宮を見て)彼はいくつなの?
良子 二十三。高卒ですぐに警官になったから、案外若いのよ。
久恵 ふーん、そうなの。もっとトシ食ってるのかと思った。
良子 いくつぐらいだと思った?
久恵 まあ、三十はいってないだろうけど、二十代後半くらいかなと。
良子 それはかわいそうよ。
二宮 ママー、ママー!

    良子が二宮の所にかけよる。

良子 はい、はい、ママでちゅよー。どうちたの?
二宮 ママー、たちゅけて!
良子 はい、はい、どうちたの?
二宮 みんながけーくんを追いかけてくるの。「くそ太郎」とか「ばばたれ」とか言って追いかけてくるの。平野先生も笑いながら追いかけてくるの。そしたら、悪い人が出てきて、ピットルでけーくんをバーンって撃ったの。
良子 それで、けーくんはどうちたのかな?
二宮 よくわかんない。
良子 そう、こわかったのね。もう、悪い人はいないから、大丈夫よ。
二宮 それからね、それからね。
良子 どうちたの。
二宮 おちっこ。
良子 しちゃったの?
二宮 ううん、けーくんがんばってがまんちたの。こわかったけどいっしょうけんめいがまんちたの。
良子 それはえらかったわねぇ。じゃあ、けーくん、ママと一緒におちっこにいきましょう。
二宮 うん。

    良子が二宮を抱きかかえるようにして去る。
    久恵、田辺、しばし、呆然としている。

田辺 まいったなあ‥‥今度は赤ん坊かよ。
久恵 ほんとね。
田辺 まさかトイレで、「はい、シーシーして」ってやってるんじゃないだろうな。
久恵 まさか。
田辺 いや、わかんないよ。あの様子じゃ。

    良子戻ってくる。

良子 だからやっぱりダメなのよ。お酒は。
田辺 おしっこは?
良子 してるわよ。
田辺 一人で?
良子 あたりまえでしょう。いくらママって言われたって、あんなに重いの抱き上げられないわよ。
久恵 あれって、病気じゃないの?
良子 病気?
久恵 ほら、多重人格とかあるじゃない? 一人の人間の中に、何人もの人格が隠れているってやつ。あれは酒乱の域を超えてるわ。
良子 そんなオーバーな。お酒を飲まないと何にもないんだから。
久恵 悪いこと言わないから、いっぺんお医者さんに診てもらった方がいいわよ。
良子 そんな‥‥。

    二宮が戻ってくる。

二宮 いや、先ほどは失礼をいたしましたようで。恐縮至極であります。
久恵・田辺 いえいえ。
二宮 でも、だんだん飲めるようになった気がしてきました。
久恵 あの、全然覚えてないの?
二宮 は? 何をですか?
田辺 あのね、二宮さん、あんた、やっぱりウーロン茶にした方がいいよ。
二宮 え、何でですか?
久恵 何でって‥‥。
二宮 さ、飲みなおしましょう。
良子 でも、あなたはウーロン茶よ。
二宮 イヤだよ。せっかく飲めるようになってきたのに。
三人 なってない!

    暗転。


    その日の夜中。
    居間に二つの寝袋。
    電気はついていない。
    ごそごそと良子が出てきて、寝袋に呼びかける。

良子 久恵。
久恵 うん?
良子 起きてる?
久恵 うん。‥‥どうしたの?
良子 なかなか寝らんないのよ。‥‥ちょっと、飲み直さない?
久恵 いいけど‥‥今何時?
良子 二時ちょっと前。‥‥あれ、田辺さんは?
久恵 あれ、いないね。トイレでも行ったんじゃない?
良子 トイレの電気、消えてたわよ。
久恵 コンビニでも行ったのかな? あの人、時々そういうことするから。
良子 何しに行くの?
久恵 お菓子とか、ジュースとか買ってくるのよ。
良子 買ってきてどうすんの?
久恵 食べるのよ。一人で。
良子 へえ。
久恵 甘い物好きなのよ。あの人。
良子 ふーん。‥‥じゃ、ウイスキーでいいよね。
久恵 うん。
良子 あ、氷、さっき全部使っちゃった。まだ凍ってないよ、たぶん。
久恵 ストレートでいいよ。
良子 じゃ、持ってくる。

    久恵、寝袋から出る。
    良子、ウイスキーとグラスを持ってくる。

良子 どのくらい?
久恵 自分で入れる。(ウイスキーをグラスに注ぐ)
良子 そんなに飲むの? 強いのね。
久恵 毎晩飲んでるから。はい。(ウイスキーを渡す)
良子 私はこのぐらいでいいや。(ウイスキーをグラスに注ぐ)
二人 かんぱーい。
良子 ところでさ、言ってたお金、いつ手に入るの?
久恵 ‥‥あした‥‥かな?
良子 いくらぐらい?
久恵 五千万円。
良子 ご、五千万円!
久恵 シー。声が大きい。
良子 そんな大金、どうやって手に入れるの?
久恵 まあ、いろいろあってね。
良子 まさか、銀行強盗とか‥‥。
久恵 まさか。
良子 ねえ、ねえ、教えてよ。
久恵 ごめん。これだけは秘密なの。
良子 ちぇっ。‥‥でも、あるとこにはあるのねぇ。
久恵 そうね。‥‥この話、誰にも内緒よ。
良子 うん。
久恵 彼氏にもね。
良子 うん。‥‥それで、どうすんの? 五千万円も持って。
久恵 まだはっきりと決めた訳じゃないけど、カナダかオーストラリアに行くの。
良子 なんでカナダかオーストラリアなの?
久恵 日本人が多いしさ、なんだか感じよさそうじゃん。
良子 久恵、英語できたっけ?
久恵 ちょっとはね。
良子 田辺さんは?
久恵 さあ、反対しなかったから少しはできるんじゃない?
良子 そこで永住するの?
久恵 わかんない。気に入ったらするし、気に入らなかったら引っ越す。
良子 そっか。なんかかっこいいね。うらやましいわあ。
久恵 落ち着いたら連絡するから、遊びにおいでよ。
良子 うん、行く、行く。
久恵 それより、良子の方はどうなのさ? 彼と結婚するの?
良子 そのつもりだったんだけど‥‥。
久恵 だけどって?
良子 警察官って仕事堅いし、公務員だから安定してるでしょ。
久恵 うん。
良子 でも、勤務時間が不規則だし、私、男の人には包容力っていうか、守ってほしいのよね。
久恵 うーん、どっちかっていうと、彼は守ってくれるっていうより、守ってあげるってかんじよねぇ。‥‥それに酒癖も悪いし‥‥。
良子 晩酌のたびにあばれられたんじゃ、子供の教育にもよくないでしょう?
久恵 へぇ、そんな将来のことまで考えてんだ。
良子 将来って言ったって、もう四、五年先のことよ。
久恵 そっか、良子はアットホームなのがいいのね。
良子 だって、あたたかい家庭ってあこがれるじゃない?
久恵 あたたかい家庭ねぇ‥‥。

    暗転。

    サス明かりの中に田辺がいる。
    電話をかけている。

田辺 もしもし、あ、兄貴ですか? あっしです。修次です。連絡が遅くなっちまってすんません。なにせ、転がり込んだ女の相手がサツなんすよ。それも酒癖のえらく悪いポリ公で‥‥そんなことはどうでいい? ああ、そうっすよね。‥‥‥もちろんばれちゃいませんぜ。そこんところはぬかりはありやせん。‥‥‥へい、‥‥‥へい、‥‥‥取引の方はばっちりうまくいってます。‥‥‥そんなことはありやせんぜ‥‥‥へい、‥‥‥へい‥‥‥まあ、少し手伝わせましたが‥‥‥さすが、兄貴、何でもお見通しっすね。‥‥‥へい、予定通り明日やります。‥‥‥へい、‥‥‥一人で大丈夫っすよ。あっしももう一人前の極道ですよ。‥‥‥へい、‥‥‥へい‥‥‥わかりやした。それで、ブツが手に入ったら、女の方はどうしやしょう?‥‥‥え、売り飛ばすんすか? それはちょっとかわいそうじゃありやせんか? ‥‥‥へい、‥‥‥そうすね。そんな甘いところが、あっしは、まだまだなんすよね。どうもすんません。‥‥‥へい、‥‥‥わかりやした。ブツが手に入り次第連絡しやす。それじゃ、どうも。失礼しやす。

    田辺、電話を切る。
    サス消える。
    夜中の室内。

良子 そうねぇ、子供は三人はほしいわね。一人っ子はかわいそうだし、とにかくにぎやかで明るい家庭がいいわよ。
久恵 私は子供はいらないわ。なんか家庭に縛り付けられてるみたいで。女としてより、自分の人間としての力を見てみたいの。
良子 でも、結婚はするんでしょ?
久恵 それもわかんない。
良子 じゃ、田辺君は?
久恵 そりゃ、たぶん一緒に暮らすと思うけど、別に結婚って形式にこだわらなくてもいいんじゃない?
良子 同棲ってこと?
久恵 まあ、そんなところかな? お互いにやりたいことを見つけて、その方向が決定的に違ってたら、別に別れてもいいと思う。
良子 それはあなたが、自信があるから言えるのよ。私、そんなに自分に自信もてないわ。
久恵 だから外国に行くのよ。日本じゃ、いまだに良妻賢母とか、女は家庭でって、古くさい考え方が残ってるけど、外国じゃ、女性はバンバン活躍してるわよ。
良子 でも、そういう女の人にも子供はいるわよ。
久恵 まあ、とにかく行ってみて、それから考えるわ。
良子 あなた、お嬢さん育ちにしては、ずいぶんしっかりしてるわね。
久恵 そのお嬢さんの暮らしがずーっとイヤだったのよ。みんなちやほやして、いい服やおもちゃを買ってもらって、ベンツで送り迎えしてもらって‥‥でも、その中の何一つだって、自分で手に入れた物はないわ。‥‥だから、今回の駆け落ちが、私の自立の初めの一歩なのよ。
良子 私、あなたのこと、ずうっとうらやましく思ってたけど、お嬢さんもお嬢さんなりの悩みがあるのねぇ。

    田辺が入ってくる。

田辺 あれ、二人とも起きてんだ。
久恵 どこ行ってたの?
田辺 コンビニ。お菓子とジュースを買ってきた。
久恵 ほらね。
良子 ほんとだ。
田辺 何がほんとなんだよ。
久恵 よっちゃんの夜這いの癖。
田辺 何が夜這いだよ。人聞きが悪いじゃない。‥‥あ、ウイスキー飲んでんだ。つまみがたくさんあるから、俺も飲んでいいかな?
久恵 つまみって、あまーいお菓子ばっかでしょ?
田辺 そうだけど、お菓子とウイスキーってけっこう合うんだぜ。‥‥じゃあ、俺、グラス持ってくる。

    田辺、台所に去る。

久恵 でも、もうちょっとしたら寝るわよ。それに、あなたも明日早いでしょ?
田辺の声 わかってるって。
良子 そうなの?
久恵 早いって言っても、あんたたちよりは遅いわよ。

    田辺、戻ってくる。

田辺 さあ、いただきましょう。(グラスに注ぐ)‥‥ねえ、乾杯しようか?
久恵 何に?
良子 久恵の自立にかんぱーい。
田辺 何、それ?
久恵 ひみつ。
田辺 まあ、いいや、かんぱーい。

    乾杯。
    田辺、コンビニの袋をごそごそ探す。

田辺 ウイスキーにはホワイトロリータがよく合うんだぜ。
久恵 何それ、変態のお菓子?
田辺 何で?
久恵 ロリータって、そういうことでしょ?
良子 白いロリコン?
田辺 あれ、ないぞ。‥‥しまった! 買い忘れた!
良子 シー。夜中だから。
久恵 ばっかみたい。

    暗転。


    翌朝の室内。
    久恵・田辺は、ボーっとテレビを見ている。
    良子があわてて飛び出してくる。

良子 うわー、寝過ごした。遅刻だー!
久恵・田辺 おはよう。
良子 おはよ。あれ、けいちゃんは?
田辺 もう、とっくに出てったよ。早番なんだって。
良子 もう、起こしてくれたらいいのに。
久恵 起こしてたみたいよ。あんたが起きなかったのよ。
良子 とにかく、急がなくっちゃ。

    バタバタと用意する良子。

良子 じゃ、行ってきまーす。
久恵 朝ご飯は?
良子 コンビニでパンでも買う。
久恵 忘れ物ない?
良子 ええっと(確かめて)ない‥‥と思う。じゃね。
田辺・久恵 いってらっしゃーい。

    良子出て行く。

久恵 やっぱりバタ子さんね。
田辺 そうだね。
久恵 さてと‥‥。(テレビを消す)お仕事お仕事。
田辺 そうだね。
久恵 いよいよ今日が勝負だからね。とちんないでよ。
田辺 わかってる。

    田辺、携帯電話を取り出す。

久恵 BGMはいらない?
田辺 大丈夫だと思う。メモ作っといたから。
久恵 どんなの?

    田辺、メモを取りだして、久恵に渡す。
    久恵、メモを読む。

田辺 どう? ばっちりだろ?
久恵 まあまあね。
田辺 なんだ、まあまあかよ。‥‥じゃ、かけるよ。
久恵 うん。

    田辺、電話をかける。

田辺 ‥‥あ、もしもし、高木さんの奥さんだね。いよいよ‥‥え? 違うんですか? ‥‥‥はあ、そうですか。分かりました。‥‥‥え、あ、それじゃ、お願いします。‥‥‥はい、わたくし田辺と申します。それではごめん下さい。

    田辺、電話を切る。

久恵 名前言って、どうすんのよ!
田辺 あ、しまった! ‥‥だって、女中さんが出るんだもん。あせっちゃって。
久恵 佳奈さんね。‥‥声でわかんない?
田辺 おまえんちすげえな。女中までいるのかよ。
久恵 そんなの感心してる場合じゃないでしょ!
田辺 はい、そうでした。
久恵 で、ママはどうだったの?
田辺 トイレだって。 
久恵 じゃ、もうちょっと待ってかけなおしね。
田辺 そうだな。

    約一分間の沈黙。

田辺 もう、いいかな?
久恵 いいと思うけど、ちゃんと相手の声を確認してよ。
田辺 はーい。

    田辺、電話をかける。

田辺 ‥‥‥‥(電話をきる)
久恵 どうしたの?
田辺 話し中。
久恵 きっと、知り合いの田辺さんに、片っ端からかけてんのよ。
田辺 田辺って、そんなにいないだろ?
久恵 仕事関係も入れたら、けっこういるんじゃない?
田辺 ちくしょう。しくじったな。
久恵 誰のせい?
田辺 はい、私です。
久恵 仕方がないから、かかるまで何遍もかけましょ。
田辺 うん、そうするよ。

    田辺、電話をかける。そして切る。

田辺 だめだ。
久恵 もう一遍。

    田辺、電話をかける。そして切る。

田辺 また、だめだ。
久恵 なんか、コンサートのチケット取ってるみたいね。はい、もう一遍。

    田辺、電話をかける。

田辺 あ、かかった。‥‥もしもし、高木さんのお宅ですか? 奥様でいらっしゃいますか? ああ、そうですか。奥さん。俺だよ、俺。いよいよ‥‥え、田辺? な、何のことですか? ‥‥知りませんよ‥‥かけてませんよ。本当です。人違いですよ。‥‥そんなことはどうでもいいんですけどね、(深呼吸)いよいよ、今日だよ。わかってるね。‥‥じゃあ、取り引きの段取りを今から言うから、しっかり覚えてくれよ。一回しか言わないからな。まず‥‥え? メモ用紙とペン? いいっすよ。どうぞ取ってきて下さい。‥‥‥‥はい、それじゃ言いますよ。まず、新宿駅に行ってもらう。‥‥‥え、何時? そうですね、早めがいいですね。お昼ご飯が食べられるくらい余裕を持っていらしてください。
久恵 (小さな声で)バカ。
田辺 それでですね。京王線の一時三十分発の各停の一番後ろの車両に乗って下さい。そして、進行方向右側の窓の外を見ていて下さい。‥‥‥はい‥‥‥はい、そうです。そうするとですね。白い旗を振りますから、それが見えたら、窓からボストンバッグを投げて下さい。‥‥‥はい、けっこう大きい旗ですから、すぐにわかると思います。‥‥‥そうですね、破れるといけませんから、丈夫なバッグでお願いします。‥‥‥え、場所ですか? それは現場が近づいたら、携帯で連絡します。ですから、携帯電話をお忘れなく。‥‥‥あと、何かご質問はありませんか? あ、お嬢さんですか? 元気ですよ。ご心配なく。‥‥‥え、声?‥‥‥ママが声を聞かせろだって。
久恵 ママー。‥‥‥うん、元気。‥‥‥うん、ちゃんと食べてる。‥‥‥お願いだから、おじさんたちの言うとおりにしてね。
田辺 はい、お嬢さんの声でした。‥‥‥あとは‥‥‥そうだ、くれぐれも警察なんかに連絡をするなよ。その時は、娘の命はないと思え。わかったな。‥‥‥ということで、それでは、のちほどよろしく。失礼しました。

    田辺、電話を切る。

田辺 フー。‥‥これにて一件落着。
久恵 変な脅迫電話。
田辺 派遣で、二年間セールスマンやってたから、癖が抜けないんだよ。
久恵 別にいいけど。‥‥ほんとに警察に連絡してないかしら?
田辺 たぶん、してるよ。‥‥テレビドラマだって、実際の事件だって、だいたいそうじゃん。
久恵 じゃ、用心して行動しないとね。
田辺 そうだね。
久恵 あなたのことよ。‥‥私はあくまで被害者なんだから。
田辺 わかってるよ。
久恵 レンタカーで行くの?
田辺 そんなことしたら、足がついちゃうだろ?
久恵 じゃ、どうすんの?
田辺 ツレの車で行く。もう、約束がついてるんだ。
久恵 ナンバープレートで足がつかない?
田辺 それも、もう変えてある。
久恵 へぇ、そういうところはしっかりしてるんだ。
田辺 なあ、俺って、そんなに頼りないか?
久恵 まあ、普通よりちょっとかな。
田辺 まあ、今日の仕事っぷりを見たら、見直すよ。 
久恵 ねぇ、私も車に乗って行っていい?
田辺 え?
久恵 映画みたいでかっこいいじゃん。
田辺 だめだよ。遊びじゃないんだから。
久恵 でも、着いてかないと、あなたの仕事っぷりなんか見られないじゃない。
田辺 でも、車ごと二人が捕まったら、全部おじゃんじゃない。
久恵 仕事には自信があるんでしょ?
田辺 それとこれとは違うよ。
久恵 どこが違うのよー。
田辺 だから‥‥。
久恵 いじわるー。(泣く)

    しばしの間。

田辺 ‥‥わかったよ。連れてくよ。
久恵 ほんと!
田辺 その代わり、車は俺が一人で取ってくるから、この部屋で待ってろよ。
久恵 わかった。
田辺 じゃあ、一時間半ぐらいしたら戻って来るから、それまで待ってて。
久恵 はーい。

    田辺、出て行く。

久恵 行ってらっしゃーい。(と手を振る)

    暗転。


    その日の夕方。
    部屋に久恵がボストンバッグを持っている。

久恵 うれしいな、五千万円。楽しいな、五千万円。素敵だな五千万円。(五千万円の歌)

    五千万円の歌を歌いながら、ボストンバッグを振り 回して、自分も部屋の中をグ
    ルグル回っている。
    やがて、バッグを置き、中を開いて見る。

久恵 いい子にちてまちたか? ほんとにあんたたち、かわいいわねえ。(なでなで)

    再び五千万円の歌を歌いながら、部屋中をグルグル 回り続ける。
    ドアチャイムの音。

久恵 帰ってきた! ハーイ、マイダーリン!

    久恵、バッグを持ったまま、玄関先に行く。
    すると、やって来たのは二宮である。

久恵 なーんだ。
二宮 どうもすみませんねえ、期待してた人と違って。
久恵 いえいえ、どうも失礼いたしました。‥‥まあ、お上がりになって。
二宮 高橋さん、なんかいいことでもあったんですか 歌も歌ってたみたいだし。
久恵 あーら、恥ずかしい。聞いてらしたの?
二宮 あれ、そのボストンバッグはどうしたんですか?
久恵 あ、これ、これはねぇ、旅行用に買ったの。
二宮 え、どこかに旅行に行くんですか?
久恵 明日から。
二宮 どこへ?
久恵 カナダかオーストラリア。
二宮 へえ、豪勢だな。
久恵 だから、私たち、もういなくなるから安心して。二人の愛の巣に、すっかりお邪魔しちゃって、ごめんなさいね。
二宮 愛の巣‥‥。
久恵 さあ、どうぞ、どうぞ。

    久恵、二宮を奥に迎え入れる。

二宮 ‥‥それにしても、そのバッグ、やけに古びてませんか?
久恵 え? ‥‥ああ、古道具屋で買ったんです。‥‥二宮さん、ご存じないかしら? 今、こういうのが流行なんですよ。‥‥いい味出てるでしょ?
二宮 へえ、そんなもんですか。ちょっと見せてもらっていいですか?

    二宮、バッグに手をのばそうとする。

久恵 ダメ!
二宮 え?
久恵 いえ、こういうのは、こうやって遠くから風合いを味わうもんなんですよ。
二宮 へえ、そうなんですか。
久恵 そうなんです。もう少し下がって。

    二人、黙ったまま、バッグをじっと見つめる。
    しばしの間。

久恵 ね。
二宮 うーん、僕にはよくわかりませんねぇ。‥‥まあ、だいたい、小学校の頃から、美術とか音楽は全然だめでしたからねぇ。 

    田辺が入ってくる。

田辺 ただいまー。ボストンバッグちゃんは元気ですか? ‥‥あ、二宮さん、来てたんだ。こんばんわ。
二宮 こんばんわ。‥‥お二人とも、よっぽどこのバッグがお気に入りなんですね。
田辺 え、ええ、まあ。

    田辺、すわる。

田辺 ああ、そうだ! 今晩、お別れ会をしましょうよ! 僕たち、明日の朝出発するから。
二宮 それ、さっき聞きました。カナダとかオーストラリアとか、お二人とも、お金持ちなんですねぇ。
田辺 いや、ちょっとまとまった金が入ったもので。‥‥さあ、お別れ会、どこでやりましょうかねぇ。ナベがいいかな?それともおすし? バーンと全部おごりますよ。これまでのご恩返しに。
二宮 それが‥‥申し訳ないんですが、僕、これからまた出動なんです。ですから、お別れ会は、三人でやって下さい。
田辺 今からって、何か大事件があったんですか?
二宮 まだ、マスコミは自主規制してますが、実は、誘拐事件なんです。ほら、高木産業ってあるでしょう? あそこの社長のお嬢さんが誘拐されて、五千万円の身代金を払ったんだけれども、まだ解放されてないんですよ。‥‥ひょっとしたら、もう殺されてるかもしれないんですがね。‥‥あ、今、言ったこと、オフレコにしといてくださいよ。
田辺 誘拐事件。‥‥そりゃ大変だ。
久恵 物騒な世の中になったもんですね。

    良子が入ってくる。

良子 ただいま。‥‥あら、みんなそろってるのね、
二宮 田辺さんたちが明日出発するから、外でお別れ会をしようって言って下さってるんだけど、僕、これから、また出動なんだ。
良子 これからって何?
二宮 誘拐事件でね、それがどうも犯人が東京方面へ逃亡してるみたいないんで、総動員体制で検問するんだよ。
田辺・久恵 ‥‥‥。
良子 それ、なんとかならないの?
二宮 総動員だからね。
良子 電話で連絡してくれればよかったのに。
二宮 ごめん、気が回らなくて。
良子 いいわよ。あなたはいつものことだから。‥‥行きましょ。行きましょ。元々今日は、外食するつもりで、何も用意してなかったから。
田辺 残念だなあ。‥‥今日は全部おごりますよ。
良子 え、お金入ったの?

    久恵がOKサイン。

良子 それじゃあ、奮発して、フランス料理でも食べようかな。
久恵 いいわよ、ね。
田辺 うん。
良子 確かね、わりと近いところにおいしい店があるはずなんだ‥‥以前、先輩に聞いたんだけど‥‥何て店だったかな?‥‥そうそう、エピキュリアンだ。久恵、その辺にタウンページない?
久恵 えーっと、あった。‥‥はい。
良子 フランス料理、フランス料理っと、えーと七百二十三ページ。‥‥あった、あった。‥‥もう、直接電話する方が早いわね。

    良子が電話をかける。
    二宮の携帯電話が鳴る。

二宮 はい、二宮ですが、あっ課長殿でありますか。‥‥今ですか? 今は、知人宅におります。‥‥‥はい、そうであります。どうしてお分かりになったのでありますか? ‥‥‥安達ですか? 安達は、ちょっと電話中でありまして‥‥‥はい、現在、自分を入れて四名であります。名前でありますか? 安達良子、高橋久恵、田辺良樹、それに自分であります。‥‥‥え、偽名? どういうことでありますか? ‥‥‥はい‥‥‥はい‥‥‥はい‥‥‥え‥‥‥ということは‥‥‥はい‥‥‥わかりました。確認を致します。
良子 (二宮の電話と同時にしゃべる)あ、もしもし、フランス料理のエピキュリアンさんですか? 私、安達と申しますが、これから三十分後に三人いけますでしょうか? ‥‥‥はい‥‥‥どんなコースがあるんでしょう? ‥‥‥はい‥‥‥はい、六千円と八千円と一万円のコースがあるらしいんだけど、どれにする?
久恵 ‥‥‥一万円!(二宮の電話に気を取られている)
良子 じゃ、一万円のコース三つということで。よろしくおねがいします。

    良子、電話を切る。

良子 さあ、こんな人は置いといて、さっさとでかけましょ。

    三人、出かけようと、立ち上がる。

二宮 ちょっと待った!
良子 大きな声出さないでよ。今度は何よ?
二宮 高橋久恵さん。‥‥あなた、ほんとは高木さんじゃありませんか?
良子 ど、どうしてわかったの?
二宮 今回、誘拐されたのは、高木産業の娘、高木久恵さんなんだ。あまりにも似てるじゃありませんか? それからもう一つ。昨日の夜、おひーさまの話をしたよね。確か、大企業の社長のお嬢様だとか。‥‥偶然にしては、あまりにつじつまが合いすぎる。
久恵 ‥‥‥。
二宮 それから、田辺良樹さん。あなた、ほんとは津島修次っていうんじゃありませんか? 暴力団関東会系田島組、津島修次だろ?
津島(田辺) ど、どうしてそれを?
二宮 あんたの仲間が捕まって、全部吐いたってよ。
津島 ‥‥‥。
二宮 それに、今朝の電話が致命傷だったよ。あんた、自分で田辺って言ったんだってな。
津島 くそう‥‥。
久恵 え? よっちゃん、そうなの? 私に嘘ついてたの?
津島 今さら違うって言ってもしょうがねぇよな。ババたれ巡査にしては、上出来だぜ。
久恵 あなた、だましたのね。

    音楽「火曜サスペンスのテーマ」
    津島、ピストルを取り出す。

津島 ばれてしまっちゃあ、しかたがねぇ。

    津島、久恵を捕まえ、ピストルをつきつける。

久恵 キャー!
津島 この女の命が惜しかったら、おとなしくしてるんだな。
良子 あ、あんた、卑怯よ!
津島 ああ、卑怯で結構だよ。俺はな、この仕事に命をかけてるんだ。男になれるかなれねぇかの、大勝負なんだ。
良子 けいちゃん、何とかして!
二宮 う、うん。

    二宮、津島の前に立ちはだかる。
    良子がその後ろに隠れる。

津島 いいのかい? そんなにかっこつけて。小便ちびってるんじゃねぇか?
二宮 す、少しだけな‥‥。
津島 ハハハハ。まあ、無理は体に毒だぜ。
良子 あ、そうだ!

    良子、台所へ行って、日本酒を持ってくる。

良子 ウイスキー切らしちゃって‥‥これでもいい?
二宮 ああ、何でもいいよ。

    良子、二宮に日本酒を飲ませる。
    変化はない。

津島 酒の力を借りるしかねえとは、情けない野郎だぜ。
久恵 あなた、私をどうするつもりだったの?
津島 そうか、知りてえか。‥‥冥土のみやげに教えてやろう。お前は、台湾かフィリピンのマフィアに売られるんだよ。
久恵 そんな‥‥。
二宮 小次郎敗れたり!
津島 何言ってんだ、この小便ポリ公が。
二宮 昔から「冥土のみやげに教えてやろう」と言ったやつが、勝ったためしはないのよ!
津島 うるせえ! まず、おまえからだ。

    津島、二宮に銃口を向ける。

二宮 あんた、拳銃撃ったことないでしょ? そんなに銃口がふるえてたら当たんないわよ。
津島 うるせえ!

    ドキューン!
    弾が二宮の肩に当たり、二宮が倒れる。

良子 けいちゃん!
津島 へへ、ざまあみろ。
二宮 りょうちゃん、お酒。
良子 はい。

    二宮、酒を飲む。

良子 立て、立て、立つんだ、ジョー!

    二宮、フラフラと立ち上がる。
    ノーガード戦法のポーズ。

二宮 へへ。

    音楽「明日のジョーのテーマ」

津島 なぜだ?
良子 久恵、今よ!

    久恵、津島の手を振りきって、良子の所へ逃げる。

二宮 そんなへなちょこだまなんかにやられないわよ。拳銃っていうのはね、こうやって撃つのよ。

    二宮、腰に手をやるが、ピストルがない。

二宮 しまった! 非番中だから、拳銃は金庫の中だわ。
津島 フフフ、やっぱり、まぬけな野郎だぜ。今度は、心臓におみまいするぜ!

    ドキューン!
    二宮、ふらつくが、倒れない。
    ノーガード戦法のポーズ。

二宮 へへ。

    音楽「明日のジョーのテーマ」

津島 な、なぜだ?
二宮 あたしはね、不死身なのよ。‥‥嘘だと思ったらもっと撃ってごらんなさいよ。それとも降参する?

    二宮がゆっくり津島に近づいてゆく。

津島 く、来るな! ちくしょう!

    ドキューン!
    ドキューン!
    ドキューン!
    二宮は倒れない。
    ノーガード戦法のポーズ。

二宮 へへ。

    音楽「明日のジョーのテーマ」

津島 お前は、化け物か!
久恵 ど、どうして?
良子 けいちゃんはね、こわがりだから、防弾チョッキを直輸入で買って、二十四時間つけてるのよ。
久恵 寝る時も?
良子 うん。
津島 なるほどな。そういう訳か。それじゃあ、顔に一発おみまいしてやろう。
二宮 顔だけはやめて! 顔は女優の命だから。
津島 何、わけのわかんねえこと言ってるんだ。死ね、おかま野郎!

    津島、引き金を引くが、弾が出ない。

津島 くそ! 弾切れか。

    パトカーのサイレンが鳴り響く。

津島 な、なんで警察が‥‥。
二宮 さっきの本署からの電話、かかったままにしてあるから、この部屋の中の音は全部つつぬけなのよ。
津島 くそう。小便たれにしてはやるじゃねえか。
二宮 さあ、拳銃が使えないとすると、後は素手で勝負ね。警視庁格闘技大会、九十六位の力を見せてあげるわ。さあ、かかってきなさい!

    二宮、ファイティングポーズ。

津島 ちくしょう、覚えてやがれ!

    津島、ボストンバッグを抱えて、玄関に走り去る。
    二宮、ファイティングポーズのまま。

久恵 九十六位って、何人中?
良子 百人。
久恵 それって、すごいの?
良子 さあ?

    外から警官の声。

警官の声 津島修次だな。身代金目的誘拐の容疑と、殺人未遂の現行犯で逮捕する!

    二宮、その声を聞いて、ヘナヘナと座り込む。

二宮 アーン、こわかったよー。ママー。ママー。

    良子が駆け寄る。

良子 よちよち、けいちゃん、よくがんばりまちたねー。こわかったでしょ?
二宮 すっごくこわかった。
良子 もう悪い人はないないちたからねー。もう大丈夫でちゅよー。
二宮 ママー。
良子 なーに?
二宮 おちっこでちゃったー。
良子 あら、そうなの。
二宮 ごめんなさーい。
良子 いいのよ。いいのよ。けいちゃん、がんばったから。それじゃ、おちり気持ち悪いでしょ? あっちのお部屋で新しいパンツとかえまちょうね。
二宮 うん。

    二宮立ち上がる。
    良子、手を取って連れてゆく。

良子 いざという時のために、予備のパンツを用意してあるの。

    二人、去る。

久恵 いざという時のために‥‥か。まあ、今日は、一応そうよね。
良子の声 ひさえー。
久恵 なーに?
良子の声 エピキュリアンにキャンセルの電話入れといてー。
久恵 ‥‥‥。
良子の声 わかったー?
久恵 はーい。わかったー。‥‥もう、そんなことしてる場合じゃないでしょ。

    久恵、タウンページを開く。

久恵 えーと、エピキュリアン、エピキュリアン‥‥。

    暗転。


    夜。
    良子のマンションの一室。
    良子がテレビを見ながら、ポテトチップスを食べている。
    ドアのチャイムが鳴る。

良子 (腕時計を見て)こんな時間に、誰だろ?

    良子立ち上がり、ドアの方に消える。

良子の声 はーい。どなた。
女の声 宅急便でーす。
良子の声 宅急便?

    ドアを開ける音。

女の声 うっそだよーん。
良子の声 あ、久恵!
女(久恵)の声 良子! おひさしぶりー!
良子の声 あの事件からだから‥‥三年ぶりね。どうしたのよ、突然。
久恵の声 へへ、ちょっとわけがあってね。
良子の声 わけ? ‥‥とにかく寒いから、入ってよ。
久恵の声 それじゃ。おじゃましまーす。

    二人、部屋に入って来て座る。

久恵 懐かしいわあ、この部屋。全然変わってないわね。‥‥もう、とっくに引っ越してるかって思ってた。
良子 それが‥‥いろいろあってね。
久恵 ふーん、そっかー。
良子 それで、何よ? わけって?
久恵 ちょっと言いにくいんだけど‥‥。
良子 何よ、もったいぶらないでよ。
久恵 実は、私ね。
良子 うん。
久恵 結婚するんだ。六月に。
良子 えー! よかったじゃない! おめでとう!
久恵 ありがとう。
良子 へー、ジューンブライドだね。
久恵 うん。そうなの。
良子 で、相手って、どんな人、どんな人?
久恵 それがね‥‥。
良子 私の知ってる人?
久恵 うん‥‥そう。
良子 誰だろ? 藤村君?
久恵 ううん、良子がもっとよく知ってる人。
良子 え、誰だろ?
久恵 実はね‥‥来てるのよ。
良子 何で早く言わないのよ。外は寒いじゃない。入ってもらってよ。
久恵 ほんとにいい?
良子 当たり前よ。
久恵 入ってきていいって。

    男が顔を出す。二宮である。

良子 けい‥‥二宮君!
二宮 おっす、久しぶり。
良子 久恵の相手って二宮君なの?
久恵 うん‥‥そうなの。
良子 ‥‥‥。
久恵 ごめん!
良子 ど、どうしてこんなことに‥‥。
久恵 ほら、あの事件の時に、彼、命がけで守ってくれたでしょ? それから、取り調べで、私が共犯あつかいにされそうになった時、彼、必死で弁護してくれて、おかげで不起訴になったし‥‥。
良子 二股かけてたわけ?
久恵 それは違う! 神様に誓って違うの。彼とあなたが別れてからのつきあいよ。これだけは信じて! お願い!
良子 ふーん。‥‥まあ、別れた人が誰とつきあおうと勝手だし。
久恵 あなたに言おうかけっこう悩んだのよ。でも、ほら、卒業式の時に誓ったじゃない?
良子 何を?
久恵 結婚が決まったら、友達に一番に報告するって。
良子 そんなのあったっけ?
久恵 で、これが結婚式の招待状。できたてほやほやよ。

    良子、黙って受け取る。

良子 用事ってそれだけ?
久恵 あ、やっぱり怒ってる。
良子 怒ってないって。
久恵 ほんと?
良子 ほんとよ。
久恵 じゃ、これから朋子のとこに行くから。

    久恵、立ち上がる。

久恵 送ってくれなくていいわよ。
良子 あ、そう。

    久恵と二宮が出てゆく。
    良子、床にあおむけに寝ころぶ。

良子 あーあ。

    良子、招待状の封を切る。

良子 帝国ホテルの孔雀の間‥‥か。そりゃ豪勢なことで。‥‥誰が行ってやるもんか、こんな結婚式。

    しばしの間。
    良子は天井を見ている。

良子 女の自立はどうしたのよ。‥‥ほんと、女の友情ってのはあてになりませんねぇ。

    間

良子 ウイスキーでも飲もうかな‥‥。

    良子、ウイスキーとグラスを持ってきて、一口飲む。
    しばしの間。

良子 あ、そうだ。玄関に塩まいとこ。

    良子、台所へ行き、塩を持ってくる。
    そして、玄関に去る。  
    誰もいない部屋。

    「結婚するって本当ですか」(ダ・カーポ)が鳴る。 ゆっくり暗転。


                              おわり                                                            

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