見出し画像

意味の壊れた言葉の魅力

意味はよくわからないけどなぜか魅力的に見える……という言葉があると思う。

最初に反対の例を上げてみる。例えば、
「希望」とか、
「黒い扉」とか、
「最高難度迷宮でパーティに置き去りにされたSランク剣士、本当に迷いまくって誰も知らない最深部へ。~「戻ってこい」と言われてるかどうかもよくわからない。俺の勘だとたぶんこっちが出口だと思う~」
※quietさんによるなろう小説のタイトル

のような言葉や文章は、見た瞬間に意味がハッキリと伝わるし、それ故に字面から受けるイメージも理解しやすい。

「希望」という言葉をそのまま素直に解釈するとしたら、それはやっぱり明るいイメージが一番に来るし、次いで「あることの実現を望んで願う」「開けた未来の可能性を感じる」などの辞書的な具体性のある意味合いを連想することになるのが普通だと思う。

食べ物で言えば「砂糖のような甘さ」「コーヒーのような苦さ」などのような、わかりやすい味を素直に感じている状態だ。

逆に言えば、「希望」と書かれている以上、そういったような明るいイメージやわかりやすい意味合いから逃れることができない。

もちろん、ボロボロの廃墟の壁に「希望」と落書きされていたりすれば、それは「希望」という文字が本来持っている意味合いとは異なる印象を見た人に与えるかもしれない。
しかしそれは「言葉+状況」の合せ技を使ってはじめて可能になるテクニックなので、今回は考えないこととする。
また、言葉同士の合せ技に関しても、複雑になるので今回はあまり触れていない。


ではここから本題です。
前述のように、既存の言葉(特に辞書に載っているような言葉)は、その言葉の持つ具体的な意味合いの範囲内で想像できるイメージが縛られてしまう。

これを逆にして言えば、自分で勝手に「意味の半壊した言葉(意味の通りにくい言葉)」を作り出してしまえば、そこにはそもそも具体的な意味などないのだから、そういった意味の縛りから開放された純度の高い抽象的なイメージ(印象、感情)を見る人に与えることができる。

つまり、その言葉が本来持っている意味や役割をあえて壊して欠損させてしまうことにより、そこから漏れ出る意味深で詩的な香りを楽しむ。
重要なのは意味があるかないかではなく、半ば自動的に詩的で抽象的な想像が膨らんでしまうところにあると思う。
別の言い方をすれば、奥行きや深みが出る。

食べ物で言えば「甘い……?」「苦い……?」等のように、ハッキリとしない曖昧で複雑な味わいだが、味の方向性くらいはわかる、というような状態だ。
具体的な意味が欠損している都合上、受ける印象は人によってブレが生じるところも特徴。
この部分にそういった言葉たちの魅力がある。

ただしそれは、言葉の役割のひとつである「相手に正確に伝える」という事に関しては不向きだ。だから普通は使われないし、使う時には注意しなければならない。
また「言葉の意味を欠損させる」とか「意味を通らなくする」と一口に言っても程度があり、ほんの少し壊すのと完全に破壊してしまうのとでは印象も変わる。
そしてその「どこを、どの程度、どう壊すか」という部分に制作者のセンス問われ、それ次第でこのような言葉は面白くもなるしつまらなくもなると思う。

■具体例
プレイステーションのゲーム作品「ムーンライトシンドローム」では、各章のタイトルが「意味の半壊した言葉」になっていて、独特のミステリアスな雰囲気を作っている。
例を上げれば、
・夢題
・奏遇
・浮誘

など。
ただしこれは明らかに「無題」「遭遇」「浮遊」から変換されていることがわかるため、元々の意味合いを残しつつ不可思議な神秘性を付与させているような感じがして面白いし好き。


■以下、具体例

・だぶついたいい夜
ジェームズジョイス「フィネガンズウェイク」の80ページより
夜がだぶついていて、しかもそれがいいらしい
奇妙でゆったりとした夜の時間を感じる

・冷凍庫で寝る。とうめいの夢。
「ねどこ」という診断メーカーで作成された一文。
名前を入れて診断するとランダムに寝るところが出てくるというもの。
「とうめいの夢」の部分に優しい虚無感みたいなものを感じて好き。
「とうめい」がひらがなになっていたり「とうめい“な”夢」ではなく「とうめい“の”夢」であるところもいい
https://shindanmaker.com/509717

・歩道橋で寝る。倒れたパラソル。
同上。
ただしこちらは「歩道橋で寝る。」も「倒れたパラソル。」も、それ単体で見れば意味の通る言葉になっている。
しかしながら、その2つを組み合わせることで文章としての論理的な繋がりが薄くなり、代わりに詩的で意味深な香りがでている。
なんとなく、ぼんやりとした寂しさを感じて好き

・ファンタジーに火をつけて
syamu名言のひとつ(ただし空耳で実際には言っていない)
昔から「やる気に火がつく」等の、明確な形がないものに対して火をつけるという表現はあったけど、そこが「ファンタジー」になるだけで斬新に見えるし、よくわからないけど壮大な物語のはじまりを予感させる
「火がつく」でも「火をつけろ」でもなく「火をつけて」となっているのもいい

・液化党
バロウズの小説「裸のランチ」の中に出てくる謎の用語。
怪しげなサイエンス感が漂っていて面白い。
一応、人類補完計画的なことをやろうとしている集団の党名という設定があるらしいけど、本編を普通に読んでいるだけでその設定を理解するのは困難。

・水嫉
「嫉」という字から感じるマイナスなイメージが「水」と合わさって流れ出たり薄く溶け広がったりするような感じがする。
存在しない単語なので、より抽象的な度合いが高い

・電子自殺
退廃的なサイバー感があってそれなりに良いと思う
ただ「自殺」はかなり強い言葉なので、頭に「電子」とついていても結局は「自殺」のイメージに引っ張られてしまうという可能性も。
転じて、垢消しなどを連想する人もいるかもしれない

・ま.た会0,うgej*^ね@f..
いわゆる「部分的な文字化け」を起こすことで、なんてことない言葉(この例では「また会おうね」)にもどこかサイバー風味の退廃的な、切ないようなフレーバーを強引に付与することができる。
「言葉の欠損」という意味ではかなりそのまんまというか、直接的な表現かもしれない。
ただ、言葉が壊れているように見えても、このような例だと意味はそれなりに正確に伝わってしまうため今回の趣向の中ではギリギリかも。そのため、シンプルで応用もきくけど扱いは難しい手法だと思う

・薄桃色の塗り絵
なんとなく意味は通っているように見えるものの、少しおかしい一文。
普通に解釈すると「塗り絵」を「薄桃色」に塗ってあるようなイメージが浮かぶけど、この書き方だと「薄桃色」という概念をテーマにした「塗り絵」であるかのようにも見える(その場合はどんな塗り絵なのかよくわからない)。
また、前者の意味として受け取った時でも、塗り絵をひとつの色で塗ることは珍しいのでちょっと不思議な感じが残る。
ただし、これを「セピア色の塗り絵」とか「血色の塗り絵」という風にしてしまうと、色から連想されるイメージが強すぎてそれなりにハッキリ言いたいことが伝わってしまう(セピアならノスタルジー、血色なら恐怖、など)故に今回の趣旨とは少し外れるような気がしなくもない

・5のないサイコロ
そういうサイコロをイメージすることは容易なので意味が半壊しているかと言われると微妙なところはあるけど「なんで5がないの?」と思ってしまう時点でなにか変な、意味深な感じを受ける。
これを「6」とか「1」のようなサイコロの中で大きな意味を持つ目にしてしまうと、「最も大きい目がでないサイコロ=能力か何かが劣っている事の比喩?」のように連想する人もいるかもしれない


・空に嫉妬する
・しらけた石鹸
・やさしさのむくろ
・今が溶けていく
・ふしぎネコ牛乳機
(コナミルクさんによるアイコンメーカーのタイトル)

前述の「ねどこ」を参考に制作した診断メーカー
https://shindanmaker.com/1050113

■以下は今回の趣旨に近いけどちょっと違うと思うもの

・フルーツ牛乳

フルーツ牛乳というものは実際にあるので「意味の半壊した言葉」ではない。
でも「牛乳」という漢字の前に「フルーツ」というカタカナがくっつくと、不思議とまろやかなファンシーさが香ってくる思う
似た意味の言葉に「フルーツオレ」や「フルーツミルク」があるけど、フルーツ牛乳と比べるとなぜか香りが弱い気がする
一応、「フルーツ牛乳」という商品が出てくるまでは存在しない言葉だった。
似た立ち位置の言葉に「紙石鹸」「水銀」があると思っている。

・鬼滅の刃
「鬼滅」は辞書にない言葉なので、意味が半壊しているじゃないかと言われるかもしれないけど、個人的には少し違うと思う。というのも、「鬼滅の刃」という造語を聞いたら、ほとんどの人が「鬼を滅する刃」だと解釈するだろうという点で、意味はほぼ正確に伝わっているだとうと言える。
ただ、こういった既にある程度の印象が定まっているタイプの造語に、このnoteで触れたような「意味の壊れた言葉の魅力」を感じるかどうかは個人差が大きいため一概には言えないという部分も多い

・生きる死体

正反対の言葉を組み合わせて矛盾させたパターン。中二病的なカッコよさを出せる場合も多い。
しかし、「正反対の言葉を組み合わせる」という発想からスタートしている時点である種の「わかりやすさ」が存在するため、言葉として矛盾しているように見えても、言葉の意味そのものが壊れているわけではないという立ち位置になりがちな気がする。
例に出している「生きる死体」も、現実にそんな死体は存在しないけど、「生きる死体」というものを具体的に想像することは簡単にできてしまう。
それ故に「冷たい炎」「優しい悪魔」「絵のない絵本」「男の娘」など、この系統の手法で作られた言葉でそれなりに定着?している表現はわりとある。

・これから毎日、家を焼こうぜ
チャージマン研の名言のひとつ。
日本語として正しいし意味もしっかり通っているため、今回の趣向とはズレてしまうが一応紹介。
この文のおかしいところは「これから毎日」のあとに「家を焼こうぜ」という、文法的には正しいんだけど微妙に間が抜けた一文が続いているところにある。
そのため、怖いことを言っているはずなのになぜかシュールで笑えてしまう。
同じ場面を表現する場合でも「これから毎日、民家に放火して回ろうぜ」と言ったのではこの面白さは出せない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?