フィクショナリティ
道端に落ちてる片方だけの靴、あれは一体なんなんだろう。サンダルやらスニーカーやらヒールやら、種類問わずたまに見かける。自分が人生の中で靴を落としたことがないからかもしれないけど、その経緯というのがまったく想像つかない。手に持ってるものならわかるけど、履いてるものだからね。落とす、というか、脱げるなんだよね。脱げたらなるべく気づいてほしいな…。あるいはたとえば、どこかの家のベランダから落ちちゃうとか、まあこのあたりはリアリティがあるか。そういうことか。決まりました。道端に落ちている靴はすべて、家のベランダから落ちたものです!
電車の中にある広告はだいたいやばい。やばくないものもあるかもしれないけど、やばく見える。「タレントの顔+コピー」みたいなのが多い気がするけど、まず「顔、じゃないんだよな」と思ってしまう、内容を書けよ、と。広告の概念を否定してしまうことになるけど、必要なことは自分で調べるからそこに置いといてよ、って感じです。でもこのあいだ良い広告も見ました。カロリーメイトの広告で「光も、影も、栄養に」のコピーとともに、女子高生が受験勉強してる写真が載ってるやつ。教室の窓辺で、陽光がテキストの上をちらちら躍る。そこには光も影もあった。
日記ってなんなんだろうと思う。基本的には自分のために書いてるものなのだろうけど、こうして公開してる時点で、というか文章を整えてる時点で他者の目を意識している。そうなるともうフィクションに片足を突っ込んでる気がして、いや小説やないかい! となる。
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