就活でキャリアプランを描くなんてムダなことですか?
先日、「U-29.com」のコミュニティで就活生さんからのリクエストがあり、こんなアンケートをとってみました。
アンケートを見ると、回答者(168名)のうち、学生時代に描いたキャリアプランについて、「おおむね描いていたとおり」と回答した方は20%にとどまり、64%もの人が「ギャップあり、ギャップしかない」と回答しています。
学生時代にキャリアプランを描くことはムダなのか?
この回答を短絡的に解釈をしてしまった場合、
「結局、社会人の多くが学生時代に描いたプランとギャップがある社会人生活を送っているのだから、学生時代にキャリアプランを描くことなんてムダなのではないか」
という考えに至ってしまう方も少なくないでしょう。
「学生時代にキャリアプランを描くことはムダなのか?」
という問いについては、実は以前Twitterでツイートしていて、一定の僕なりのコタエを出しています。
上記のツイートをもとに、BUSINESS INSIDERに以下の記事を寄稿しています。
記事中、一番伝えたかったことを以下に引用します。
さまざまなキャリア理論がある中で、最も古典的でありながら今もなお専門家からも高い支持を受けているのが「クランボルツ理論」。1999年にスタンフォード大学のJ・D・クランボルツ教授によって提唱されたキャリア形成に関する理論で、「プランドハプンスタンスセオリー(計画的偶発性理論)」とも言われています。
「成功者」と言われる起業家や経営者などのビジネスパーソンを対象に調査を行ったところ、実に80%もの対象者が「まさかこんなキャリアを歩むことになるとは思いもしなかった」と語り、成功者ですら、キャリア形成は予期せぬ偶然によるところが大きいことが明らかになったのです。
(中略)
筆者は「キャリアプラン不要論」の立場は取らず、「なくてもいいけれどあった方がベター」という中道派の立場を取ります。それはなぜか。
そのヒントが、先ほどのクランボルツの「計画的偶発性理論」という言葉に隠されています。つまり、100%の偶発性からキャリア形成がなされるのではなく、「計画的な偶発性」がポジティブなキャリア形成においては重要なのです。
人生やキャリアにポジティブな変化をもたらす「偶発性」はどのように生まれるのでしょうか。「クランボルツ理論」を非常にわかりやすく解説されている『クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方』によれば、「変化」と「出会い」がその本質なのだそうです。
未来のキャリアにつながる「出会い」とはどんな出会いか?
上記の通り、キャリアにポジティブな変化をもたらす「偶発性」は「変化」と「出会い」によって生まれます。
「変化」については記事に書いている通り、「一度立てた”夢”や”キャリアプラン”をアップデートしつづける」ことが大事なのですが、「出会い」についてはどうでしょうか。
僕自身の人生・キャリアを振り返っても、学生時代の「出会い」がその後のキャリア形成や、「いま」の自分自身の「生き方」や「働き方」に色濃く影響を与えています。
また、これまでの10年間でのべ1000人以上の学生さんのキャリア相談に乗ってきましたが、いまは社会人として立派に活躍している方々の多くが、そうした学生時代の出会いが、「今の自分」の形成に大きく影響している、と語ります。
*僕自身がそれほどの影響を与えることができていたかどうかはさておき。
ここで重要なのが、上述の「出会い」とは、一回会っておしまいの「点の出会い」ではなく、その後の人生にもつながる「線の出会い」を指す、ということです。
そう考えると、学生さんにとってはいかに「点の出会い」ではなく「線の出会い」を創出できるか?が今後のキャリア形成において重要になりそうです。
では、「点の出会い」で終わってしまう「出会い」と、「線の出会い」につながる「出会い」を分けるものは何なのでしょうか?
一言で言えば、「夢やキャリアプラン」があるかどうか、そしてその「夢やキャリアプラン」が相手にとって応援したくなるかどうかで決まるのでは?と思っています。
学生・就活生にとって、そうした「出会い」の多くは「相談」であるケースが多いですが、その「相談」の相手(ここでは「相談者」とします)の立場に立って考えてみましょう。
「相談者」の方は、どこかの企業の内定者であったり、会社員・経営者・フリーランスなどの社会人であるケースが多いかと思いますが、ほとんどの人は決して暇人ではない中、「自分も学生時代、諸先輩方にお世話になったし、若い人の力になりたいから相談に乗ろう!」という気持ちで相談を引き受けます。
そんな中、学生・就活生さんに期待することは、
「この学生さんはどんな未来を描いているんだろう?」
「描く未来に対して、どんな話が役に立つだろう?」
ということ。実際にお会いした際にも、上記の「期待」がそのまま「問い」に変わるケースも少なくありません。
裏を返せば、この「期待」があるにもかかわらず、「描く未来やキャリアプラン」が全くもって無い場合は心底「がっかり」しますし、「一体、今日は何のために相談に来たのだろう?」という疑問を抱かざるを得ません。
「相談」に来ている時点で、「全くもってない」という人はさすがにほとんどいないと思いますが、
・抽象度が高く、具体性がない。
・具体的には?と聞いても「本人ならでは」の具体的なエピソードが出てこない。
・明らかに「就活用」に作られたエピソードであることがひしひしと伝わってくる。
という場合はなかなか「よし!応援しよう!ひと肌脱いだる!」という気持ちにはなかなかなりません。
逆に言えば、
・具体的なエピソードに裏打ちされた「夢やキャリアプラン」である。
・「例えば?」という問いに対して、具体的なエピソードが出てくる。
・語りにくいであろう赤裸々なエピソードも話してくれる。
などを満たしていると、自然と応援したい気持ちになり、気づけば
「何かお力になれそうなことはあるかな?」
という言葉が口を突いて出てきていたりします。
(仮)で良いから、自分のキャリアプランを晒そう。そしてアップデートし続けよう。
・具体的なエピソードに裏打ちされた「夢やキャリアプラン」である。
・「例えば?」という問いに対して、具体的なエピソードが出てくる。
・語りにくいであろう赤裸々なエピソードも話してくれる。
上記に当てはまる「荒削りなストーリー」が社会人にとって刺さるということは、社会人にとっては共感を得やすいと思うのですが、学生・就活生さんにとっては「こんな(仮)”カッコカリ”なエピソードで本当にいいのか?」と疑心暗鬼になっちゃいますよね。
いいんです。(仮)で。
なんなら、社会人になったって、31歳(いまの筆者の年齢です)になったって、多分、死ぬまで永遠に「キャリアプラン」なんて(仮)なんです。
僕自身のキャリアプラン(というか、人生のビジョン?)は「二兎を追って二兎を得られる世の中を創る」ですが、これだって(仮)で暫定的なものです。
・・・そう考えると、学生時代のキャリアプランなんて、ツッコミどころありまくりの「超荒削り」のプランで当たり前じゃないですか?
ならば、「就活用に用意された完成版風なキャリアプラン」ではなく、「荒削りでも良いから赤裸々なストーリーが盛り込まれた、アップデートしがいのあるキャリアプラン」のほうが、圧倒的に良い。
もし、社会人や内定者の方との「出会い」があったら、(仮)で良いので、「現時点での自己ベストなリアルなキャリアプラン」をぶつけてみてください。
そうすればきっと、相談に乗ってくれた相手は、「あなたの人生の応援団の一人」になって、キャリアプラン(仮)のアップデートにお付き合いいただけるはず。
そうして、後の人生に大きく役立つ「線の出会い」へつながっていくのだと思います。
おしまい。
#U29世代のリアルな声を聴かせてください
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