見出し画像

【生田絵梨花】ユーミン50周年記念『MUSIC FAIR』に出演して「ルージュの伝言」を歌う。その【生田絵梨花】に『ルージュの伝言』以外に歌わせたい2曲は、松本隆『瑠璃色の地球』と竹内まりや『駅』。

妄想込みの推測記事です。エンターテイメントとしてとらえてください。


1.ユーミン50周年記念『MUSIC FAIR』

生田絵梨花がユーミン50周年記念『MUSIC FAIR』で映画『魔女の宅急便』でもおなじみの「ルージュの伝言」を歌うというニュースが入ってきました。

フジテレビ系音楽番組『SHIONOGI MUSIC FAIR』(毎週土曜 後6:00)の10月8日放送回では「リスペクト!ユーミン」と題し、デビュー50周年を迎えた松任谷由実の名曲を、薬師丸ひろ子、徳永英明、林原めぐみ、三浦大知、生田絵梨花の5組がカバーする。

ルージュの伝言
荒井由実(現:松任谷由実)の5枚目のシングル。1975年2月20日に東芝EMIからリリースされた。
1989年に公開されたジブリ映画『魔女の宅急便』のオープニングテーマソングに使用されており、「アニメソング」「ジブリソング」としてカバーされることも多い。また、同作のエンディングテーマは同じく松任谷の「やさしさに包まれたなら」である。
表題曲にはコーラスとして山下達郎吉田美奈子、大貫妙子が参加している。編曲を担当した松任谷正隆は、「ツアーバンドのメンバーたちに『たまにはレコーディングに参加させて欲しい』という要求が出され、OKしたものの、演奏のクオリティはいつもと比べると劣ってたので、手ごたえがなかったものになった。その後、ストリングスを加えるといったこともしたが、感覚としては60点という出来で、このままレコードにはできないと思った。その後、山下(達郎)は(吉田)美奈子とター坊(大貫さん)と伊集加代子さんを集めてコーラスをつくってくれた。

あれで抜群のアメリカン・ポップになりました。だから、『ルージュの伝言』に関しては、山下の力がすごく大きい。結果的に由実さんのポップ・シンガー路線を開拓してくれた」と、山下への賛辞を述べている

ウィキペディア(Wikipedia)
生田絵梨花「魔女の宅急便」キキ風衣装で「ルージュの伝言」披露
ユーミンのツアーにバックコーラスとして参加する今井マサキ、佐々木詩織をはじめとするコーラス陣と生田

思いっきりアメリカンポップな『ミュージカル MEAN GIRLS』に出演する生田絵梨花にとって、チャレンジするに値する楽曲ですね。(生ちゃん、相変わらず自分の不得意分野にチャレンジしていますね。今の内なら恥かいても良いと思ってそう)

何故生田絵梨花がこの大御所の中に入っているかを解れば、「NHKの音楽番組のMC」に採用されたり、「MTV Unplugged」に2度もよばれたり、「TBS sound inn S」に呼ばれる意味が解ると思う。
生ちゃんが音楽が好きで思いっきり向き合っている姿を認めてくれて、音楽界の大御所が「若手の有望なミュージシャン」として育成してくれている。
今は演者としてのスキルを磨いているが、いずれプロデューサーになるだろう。今でもプロデューサー目線で演者を演じているから。


※ユーミンとサザンオールスターズが50年継続できている事に凄く興味がありますが、未だ解明できていないので、後のコンテンツにします。


それなら、ユーミンと同じ時期の2曲について、1年前に書き上げた記事を引っ張り出してきて公表しようと思いました。

この記事は、トリビュートアルバム『筒美京平SONG BOOK』に生田絵梨花が参加して卒業を歌わせてもらった時期に書いたモノです。
「卒業」は、作曲:筒美京平先生、作詞:松本隆先生。


個人的には、作家の当時の社会状況を背景に人間ドラマを妄想する事に深い感動を覚えます。
そんな視点で書いてみます。


2.『瑠璃色の地球』は松本隆にとっても特別な楽曲

画像1

「瑠璃色の地球」  『ウィキペディア(Wikipedia)』
1986年に発表された松田聖子の楽曲。初出は13thアルバム『SUPREME』。
その後、合唱用に編曲され、日本国内で広く歌われるようになった。
今では、ファンが選ぶ松田聖子の楽曲ランキング1位です。
作詞は松本隆、作曲は平井夏美。オリジナルバージョンの編曲は武部聡志。

by 伝統色のいろは
瑠璃色(るりいろ)とは、濃い紫みの鮮やかな青色のことです。 本来「瑠璃」とは仏教世界の中心にそびえ立つ 須弥山 しゅみさん で産出される宝石で、仏教の七宝の一つ。瑠璃の洋名は「ラピスラズリ(lapislazuli)」といい、主にペルシャで産出され、中国を経て日本に伝わりました。

1).彼にしては商業性の薄い曲なので、松本隆さんの曲の中で1番好きです。
勝手ながら歌の解釈してしまいました。

平井夏美(当時SONYミュージックのプロデューサー※20)に曲を書いてもらっている事がポイントです。絶対歌詞に合わせて曲を書いているし、いろいろ注文付けているのだと思います。シングルカットしていないのも、意味があるでしょう。
※20 川原伸司(1950年~ )は、日本の音楽プロデューサー、作曲家。
代表作は松田聖子「瑠璃色の地球」(平井夏美名義)、井上陽水「少年時代」(同。井上と共作)


「瑠璃色の地球」は、多くの方にカバーされている名曲です。
そもそも、瑠璃色と名付けたのは松本隆さんですよね。松田聖子の色シリーズの中でというより、松田聖子の曲の中での一番の名曲でしょう。
宇宙から見た地球を俯瞰した色ですから、一歩間違うと環境団体の曲になってしまいそうな曲です。
本来の意味は、夜明けが毎日来るけれど、この夜明けはたった一回限りだという、人生の希望を歌った曲です。
歌の主旨から言うと、松田聖子の癖のある甘ったるい歌い方にはそぐわない。

特筆すべきは、松本隆の妹が生まれつき病弱で早くに亡くなっており(1980年)、そのことが詞が優しいといわれる理由ではないかと自ら語っている。
妹の死去で大瀧詠一の「ロングバケーション」の発売が半年延期になった。
ある日渋谷を歩いていたら、景色がモノクローに見えてしまった。その経験をきっかけに、妹が自分の人生に色天然色を加えてくれていたと思った。
大瀧詠一の「ロングバケーション」の中の「君は天然色」は妹への鎮魂歌である。


画像2

瑠璃色の地球
唄 松田聖子
作詞 松本隆
作曲 平井夏美
レーベル CBSソニー

2).歌詞と解釈

夜明けの来ない夜は無いさ
あなたがポツリ言う
燈台の立つ岬で
暗い海を見ていた

【勝ってな解釈】
どんな事が有ったか?「灯台の立つ岬で暗い海を見ていた」真っ暗で足元大丈夫か、真っ黒なら海すら音しか確認できないだろうに。
つまり。この歌詞は主人公の逆境を説明した部分であり、朝日が・・・との前提として、対称的な心の闇を描いている。


悩んだ日もある哀しみに
くじけそうな時も
あなたがそこにいたから
生きて来られた

【勝ってな解釈】
どんっだけな逆境な人生なのか?主人公の年齢がきになるね。
しかし、トーンとしては演歌っぽくなりそうな処を「
生きて来られた」 と絶対演歌の歌詞にならない言い回しを使っている。
この歌は、妹視点の歌。だから「あなた」は「松本隆」。


朝陽が水平線から
光の矢を放ち
二人を包んでゆくの
瑠璃色の地球

【勝ってな解釈】
出た!日の出を見に来た人々が神々しくご来光に包まれる まではいいが、なぜ瑠璃色なのか?歌詞ならではの表現で、この状況では瑠璃色は絶対見れていない。瑠璃色の地球をぜひともここで言っておかねばならい事情は最後に書きます。


泣き顔が微笑みに変わる
瞬間の涙を
世界中の人たちに
そっとわけてあげたい

【勝ってな解釈】
朝日は希望を現わすので、それを分けてあげたい気持ちになる、心の広いやさしい主人公なのですね。
利己的な私はそんなこと思わないし、つらい環境だったら、自殺しに来たが朝日を見て気が変わった?とかという展開。
松本隆個人的には、かつて妹に言われた言葉を彼女の死後思い出したというくだり。


争って傷つけあったり
人は弱いものね
だけど愛する力も
きっとあるはず

【勝ってな解釈】
あくまでも優しい主人公。オイ!これからの人生大丈夫か?と言いたくなる位ありえないだろう。だから松田聖子に唄わせたのが不可解。
彼女はしぶとく生き残るタイプの人間だろうが。誰の意見で彼女に唄わせた??
松本隆として、この時点ではヒットする曲には見えなかった事と、それでも表現者として世に出したいと思ったのでしょう。売れていた松田聖子のアルバムはその時点で最適だと思ったのでしょうね。
歌詞は、「優しい妹の愛」は自分の決断を勇気づけるという意味ですね。


ガラスの海の向こうには
広がりゆく銀河
地球という名の船の
誰もが旅人

【勝ってな解釈】
「ガラスの海」壊れやすい環境の地球という事を表現したいのだろう。
この曲をリリースした時は未だ日本はバブル時代で、地球環境に大多数の人間は興味が無かった時期。だからシングルカットもしなかった。手嶌葵がカバーしたがるのは判る。

処が、「広がりゆく銀河 地球という名の船の 誰もが旅人」あまりに壮大な言葉。真っ暗な灯台に生きずまって行った人達とは思えないかけ離れた壮大さは何をいいたかったのか?
ヒット曲の職人松本隆にしては、不思議な歌詞。バブルのいい加減さなのか??休んでいた作詞家活動を再稼働する為には、このくらいの大きな視点が必要な位、妹の死に打ちひしがれていたという事では無いですか?
壊れやすい「ガラスの海」は松本隆の傷ついた心でしょう。
ハッピーエンドの仲間と「風街」という狭いけれど東京でも一番おしゃれな地域で遊んでいた時期との対比を考えると、考え深い事ですね。


ひとつしかない
私たちの星を守りたい

【勝ってな解釈】
これが主題だとしたら、暗い海を見ていた主人公は置いてきぼりになっていますよ~~~。
ひとつしかないのは、命の事でしょう。妹の死で思い知らされた。


朝陽が水平線から
光の矢を放ち
二人を包んでゆくの
瑠璃色の地球
瑠璃色の地球

【勝ってな解釈】
本当に、瑠璃色の地球を見ている神としての視点は、この主人公を救えるのか?
それとも、バブル期の歌謡曲だから、イメージなんだから深く考えないでよ~~なのか?


【勝ってな解釈 総合的に】
第一の間違いは、松田聖子に唄わせた事。SMEどうなっているの??
第二の間違いは、主人公を放置して、地球の環境に関心が行ってしまった事。意識高い系の松本隆ですよ~~なのか?

別な視点として、瑠璃色に焦点をあてて考えると、
瑠璃色(るりいろ)とは、濃い紫みの鮮やかな青色のことです。
本来「瑠璃」とは仏教世界の中心にそびえ立つ須弥山( しゅみさん)で産出される宝石で、仏教の七宝の一つ。
その宝石の色にちなんだ瑠璃色も至上の色として神聖視されました。
実際、透明感のあるその色合いは、静かで幻想的な深海を思わせます。

「瑠璃」の色から「瑠璃色の空、深い海のようにおおらかに」という願いをこめたり、宝石のもつ「透明感」「美しさ」から「透き通るような美しさ」と「きれいな心」を現わし、「瑠璃は照らせば光る」ということわざは、「才能や素質をもった人はどこにいても際立つ」ことのたとえで使われるので「才能を磨いて輝かしい人生を」期待できる、つまり瑠璃色にこそ希望があるという深い意味なのでしょうか。

それなら、絶望の淵に立つ主人公を見事に救っている様ですね。
背景には、松本隆の妹への思いがあるような気がします。この曲だけなにかが違っている。

この曲の主人公は、
妹が「お兄さん、作詞でみんなを勇気付けてあげてください」と言われた事を思い出した、松本隆本人なんなんだろうと思った。妹が詩を書かせてくれていると思っている。



2.『瑠璃色の地球』はニューミュージック(後のJ-POP)

① 個人的に一番好きな『瑠璃色の地球 』の音源は、【映画 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 劇中歌】及川なずな(CV.広瀬すず)Ver.です。

広瀬すず瑠璃色の地球9

歌詞の背景や楽曲の余計な解釈をしないで、「デレクターの指導のまま歌った、余計な感情や歌上手いでしょうのドヤ感が一切感じられない平たい歌」が大好きです。儚げで淡々としかも自信なげに唄っていたのが一番好きです。一番地球の広がりが感じられる。
歌の上手い人は自分のイメージを曲に入れ込むから邪魔になる。かといって、合唱されても興ざめ。なんで合唱の人達って、「目を見開いて上手でしょう?」アピールするのですかね?あれが苦手です。この曲でどや顔って、本当になにも分かっていないな。

人それぞれ解釈が違うのでしょうから、それぞれで好きな歌い方が有るのでしょうが、私は現代小説の様にこちらのイメージを想起させる歌い方がいい。少なくても知的レベルの低いボーカリストやアーティストと言われる人の余計な解釈はこの曲を壊す。
人生に立ち向かうこれからの人たちの希望を感じるので、今希望のない時代の若者に響くように素直に歌って欲しい。

この楽曲は情景描写だけで良い。解釈や思い入れを作家以外の他人に押し付けられたくないと思ってしまいます。
似たような話で言うと、スピッツの歌は自分で創ったのにあまり感情移入しない歌い方で、解釈を一切公表しないミステリアス性が好きですね。

歌までCMの様に万人に分かりやすくする意味が分からない。
エンタメ界もTVと同じ様に、バカにも分かるコンテンツにしないといけないと言う提供者側の思い込みから自滅に向かう様です。

小説や漫画や映画や歌をふともう一度視聴す機会があって、「そういう事だったんだ」と自らの人生経験を経てきたからこそハットわかる事がある。
それこそが自分にとって貴重なモノになる訳で、そういうモノに巡り合う為には、分かり易いだけ・流行りにのかっただけのコンテンツは避けるべきだろう。
又、自分を解ってもらいたいから吐き出す的なモノも、後で見苦しくなるのでやめた方が良い。

『瑠璃色の地球』は、発売時にはアルバムの片隅でひっそりとリリースされ、注目も浴びなかったが、聞きこんでいくうちに時間が経つうちに名曲になって行った楽曲。
松田聖子ファンの投票で1位になって脚光を浴びた。



② 『瑠璃色の地球』は竹内まりやの「駅」に通じる楽曲ですね。

竹内まりあ駅28

両方とも1986年発売の楽曲で、当時絶好調のアイドル歌手「松田聖子」とライバルである「中森明菜」に提供した楽曲です。
しかも、作者である両者はアイドル歌手の楽曲の解釈に不満があったというエピソード自体が同じですね。

松本隆自体は表立って不満を言っていないが、「合唱用に編曲され、日本国内で広く歌われるようになった。」という事実が歌唱者が松田聖子ではふさわしくないという事を現わしている。しかし、松本隆本人は「合唱でもないんだよ。」と思っていたと想像する。
後日多くの実力者アーティストによる歌唱がYouTubeで聴けるようになって尚更支持者が増えた。
その中で、無くなった妹に捧げた楽曲という意味で言うと、淡々と、しかも儚い歌い方が相応しい。


特筆したいことは、歌謡曲からニューミュージック(のちのJ-POP)の時代の境目が故に、歌謡曲歌手に提供してしまうという時代性を現わしている事が面白いと思う。
つまり、歌謡曲的に解釈してリリースしたバージョンより、後に違う解釈でリリースしたバージョンの方が今に残っているという事が現わす事実。

この手の楽曲は、思いれたっぷりな歌唱法で聴きたい楽曲ではなく、淡々と歌ってもらった方が聴き手の心に突き刺さるのです。
『レコーディングの際、山下達郎は竹内まりあに「明るく聞こえる声質だからつまらないと思って歌ってくれ」と注文していた。」という事が真髄なのでしょう。

歌謡曲とニューミュージック(J-POP)の違いは、楽曲のコード進行やリズムやバック演奏の楽器構成等いろいろありますが、歌詞が自分の独白・心情より情景描写が多くなっていたり、それを生かす歌唱法も違ってくるのですね。

竹内まりあの後録音Ver.は、自作の歌詞を自分で歌いながら情景描写=メタ視点が中心となっているのでドラマ性が高まるという事です。
知的レベルが高めのファンが好みそうな要素が詰まっているという事です。
それを歌謡曲のアイドル寄りの女性歌手に歌わせたら、解釈が違ってくると思いますし、ブリブリの歌謡曲的歌い方しかできないでしょう。

近年の傾向は、アニメソングの様にロリ声や感情爆発でたった一つの解釈を共有する事で盛り上がりたいというファンが増えています。人間関係を避けたい幼稚な「オタク」という人々を認めてしまっているのでしょうがない。
人間の多様性を認めるって、そういう事なの?


ブリブリな一人称てファンに語り掛けるようなアイドル楽曲と、情景描写中心でその解釈を各人にゆだねるようでありながら裏のドラマを起草させるような楽曲、その二つの絶妙なラインの楽曲が拮抗しているのが乃木坂楽曲の面白い処かなと思います。

是非この2曲は生田絵梨花に歌わせたい。



「駅」(えき)は、竹内まりやが作詞・作曲した楽曲。
『ウィキペディア(Wikipedia)』

中森明菜への提供曲で、1986年発売の中森のアルバム『CRIMSON』に収録された。この中森のアルバムの中でも好評な曲であったが、翌1987年に竹内がセルフカバーしてシングルとしても発売し、これによって一般的に広く知られるようになった。

かつての恋人の姿を駅で偶然見かけた女性が、隣の車両に乗りながら降りる駅までの間そっと彼のことを見続ける、という切ない恋の情景をマイナーコードにのせた曲であり、多くの人々の支持を獲得し、竹内の代表曲のひとつとなった。
2008年に竹内の公式HPで行われた楽曲のファン投票では1位となった。

竹内は、自身のベスト・アルバム『Expressions』のライナーノーツで、「'86年に中森明菜さんのアルバム用の依頼が来た時、 テーブルに彼女の写真を並べて、情景イメージが出て来るまでずっと見つめていました。せつない恋物語が似合う人だと結論を得た私が、めずらしくマイナーコードで一気に書き上げたこの曲を、のちに自分も歌い、今のようにスタンダードな存在になっていくと夢にも思いませんでした。明菜ちゃんからの依頼がなければ書けなかった歌です」と、作詞・作曲の経緯を述べている。

山下達郎は中森明菜のアルバム『CRIMSON』を聴き、中森の楽曲の解釈に対して憤りを覚え、それをきっかけに、山下が自身の手でアレンジしたいと思い「駅」のセルフカバーをしてみたらどうかと竹内に勧めた経緯があるという(このことは、竹内のベスト・アルバム『Impressions』の山下によるライナーノーツに「そのアイドル・シンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、かなり憤慨していた事もあって」とその経緯が語られている。当該部分では個人名は伏せられてはいるが、これが中森のことを指しているのは明白である)。
その後、山下はラジオで「あれはアーティストが悪いんじゃなくアレンジ等のスタッフに対する意見です」と語っている。また前述の竹内の解説から、竹内自身とスタッフが中森に寄った解釈で制作したのに対し、聴き手としての山下が新たな解釈を提示したともいえる。
山下はその後の中森の『Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド』での再録版(編曲:千住明)については特に言及していない。


③ 松本隆の「瑠璃色の地球」と竹内まりやの「駅」を聴いて思う事は、シンガーソングライターだけでは、歌という市場の需要の一部しか供給できていないのではないか?という根本的な疑念があります。


上記2曲は「松本隆」と「竹内まりあ」という創作者が生み出した傑作であり、時代を超えて支持される楽曲です。という事は、対象年齢が幅広い楽曲とも言えます。現在20歳代の若者にも響いている様です。


自分の心情や世界観を基に創作する「シンガーソングライター」の中でサザンやユーミンの様に若い時に多くのファンを獲得した場合は、時代性を獲得したポピュラーミュージックなので昔の曲も許容できますが、そんなアーティストは少ないでしょう?
今の中高生しか対象にならないアーティストはサザンに成れるのでしょうか?

それこそが、日本の音楽業界の根本的な欠陥ではないでしょうかね?



いづれにしても、松本隆の歌詞は『都会のおしゃれさ』と『やさしさ』が感じられると言われる。生まれが南青山という「風街」で育った『シティーボーイ』でありながら、最愛の妹を亡くし絶望の淵から復活した経験が大きいのでしょうね
日本の『J-POP』の創始者のひとりとして称えるべき人です。


④ 生田絵梨花には「ルージュの伝言」や「瑠璃色の地球」や「駅」の様なヒット作を作ってもらいたいと思います。

【NOGIBINGO!5】 #8 夏歌フェス in NOGIBINGO!5 (2015年8月31日)
で浴衣で歌った「松田聖子メロディー」の中の1曲が生田絵梨花が歌った「瑠璃色の地球」。
僅か数小節程度で終わったのですが、今でもまるまる1曲聞きたいと思っています。淡々と歌って欲しいです。

生田瑠璃色の地球60


次の章は、シティーポップについてです。

続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?