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儚い出会い。そういえば…

先日、ある方のnoteで「たまたま出会って仲良くなった人」とそれっきり会えなくなってしまって心残り、という記事を読んだ。

その時ふと、そういえば自分にもそんな人が何人もいるなぁと思い出した。


小学生の時、スイミングスクールで同じ時間に同じグループで泳いでいたYくん、Sくん。
入院したとき、同じ病室だったKくん。
中1の時、部活の大会やワークショップで少し話した他校の人。

高校3年生の夏、ある大学のラボ体験で仲良くなった子。
「もしこの大学で一緒になったらその時はよろしくね!」って言ってたけど…
せっかくだから学食を食べてみようかって2人で話しながら食べたけど…
ラボ体験が終わった後、僕の方が早くアンケートを書き終わって、「じゃあ、お疲れ様。さよならー」って挨拶を交わしたけど…


それっきりだなぁ。


つい最近だって…
地元市内の博物館のイベントに参加したときに知り合った高校生の男の子。
あれから2回くらい別のイベントで会ったけど、名前は聞けなかった。
今年は受験生らしいから、もうこのまま会えないかもしれないな。


大学生の今はともかく、高校2年生になるまではスマートフォンを持っていなかったので、当時は連絡先と言っても住所とか家の電話番号くらい。
中学の卒業式の時には、とっても仲良くしてくれた男の子に住所と家の電話番号を書いて一方的に渡してしまったけど(笑)結局連絡は来なかった。(ちなみに後に再会した)

でもそういうちょっと儚い出会いというのも嫌いではないかもしれない。
今の時代、授業のグループワークで一緒になった人と「じゃあLINE交換しとこうかー」なんて言って気軽にやりとりできてしまう。
連絡しようと思えばいつでもできるから、安心感はある。
しかし、そういうつながりの相手とは、結局その後はあまり連絡をとっていない場合も多い。

何なら授業で出会ってLINEを交換した人よりも、そういう儚い出会いの方がいつまでも心のどこかに引っかかって残る。
いつまでも、思い出せば気になって仕方がない。

たまたま出会って、連絡先あるいは名前さえも知らないけれどよく話して仲良くなって、結局会えなくなって、そういえばあの子何やってるかな?と思いをはせる。
きっとこの世界のどこかでは生活していて、同じ時代を生きているんだと思うと、ちょっと感慨深い。


そう思わせてくれる理由というのもある。
「その時たまたま一緒になっただけの人」と数年後にばったり再会したという経験があるのだ。
一人は高校の同級生、もう一人は大学の同級生。
僕は小学生の頃から研究所の一般公開や博物館のイベントに参加するのが好きだったので、一人でよく参加していた。
そういったイベントの中で、たまたま見かけた・同じ班になっただけの人と高校や大学で再開した。
「…もしかして…あの時の…?」「えっ、まさか!?」という感じで。

だから、先ほどの連絡先や名前も聞かずに会えなくなってしまった彼らとも、もしかしたらこの先どこかで再開することがあるかもしれないし、ないかもしれない。


「この人ともっと話してみたいなあ~」って思っても、その場でたまたま出会っただけの人と連絡先を交換するのって難しい。
タイミングとかもあるし…
相手がそこまで求めていないかもしれないし…

その難しささえも楽しめれば、出会いが面白くなるのかもしれない。

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