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聞いていない。見られること。

仕事の時は皆んな私の話を聞く。
私もみんなの話を聞く。

仕事以外、プライベートの時は
みんな私の話を聞いていない。

私の話をしても、一言二言返されて
友人自身の話を展開し始める。

きっと私もみんなの話を聞いていない。
私としては聞いているつもりだけど。
きっと私が聞いているつもりで聞いていないことがばれて、みんなも私の話を聞いているつもりで
聞いていないのかも。

みんな自分の話をしたい。
私も自分の話をしたい。
みんな話したい。聞くより話したい。

傾聴力が大切と本で読んだので
傾聴を意識してたら、私が私の話を
どのようにすればいいのかわからなくなった。

昔はよく話した。自分の話を沢山してた。
相手に笑って欲しくて少しだけ自虐をいれて
話して笑っていた。話術はないから綺麗に起承転結でまとめる話ができない。体験としては中々に面白い体験があったのでエピソードトークが
出来ていた。

笑えない、オチがない、つまらない話は
しないほうがいいと思ってしまっている自分がいる。

そうすると、この話は笑えないから話すのはやめておこう、この話はオチがないからやめておこう、と自分の話しをすることが億劫になっている。

面白くなくても、オチがなくても気軽に話せる時がある。それは歩きながら話すとき。横並びで歩きながら話すと変に意識せずに話せる。
相手の顔を見てないからなのか。

散歩しながら話をしたい。
友人とランチをして話をするのは難しい。
友人と散歩をしながら話をするのは気が楽だ。

人の顔を見ながら話すというのは神経を使う。
相手の目の動きを見て、話す気持ちが折れてしまう。

目。

目隠しをしなから話したらもう少し気楽に
話せるのか。

目が見てる。相手の目が、私の目を、鼻を、口を、肌を見ている。

見られてるところを、見ると、見たくなくなる。

日本語がたりないから、何を言っているのか
理解してもらえないかもしれない。

考えたくないから目を逸らす、物事が曖昧になってくる。

点と点をつないで線にできない。
物事の繋がりがぼんやりとしてきた。


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