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9.学校へ行っていなくても放課後があり得た日々と、見つけた自分のペース。

ぴぃは悲痛な思いを吐き出してから、もう学校へは行っていない。

それでも変わらずお友達は遊びに来てくれていたし、学校には行っていないけど、放課後だけはある暮らしが始まった。

当時は、5年生でお友達になったばかりの子が、新しいお友達を連れてきてくれたり、好きな男の子を連れてきたり、誰が誰か分からないほど入れ替わりで来ていた。

基本的には誰が来てもOKとはしていたけど、一時期、うちは社交場になってしまうんじゃないかと軽く恐れた時期もあった。

ぴぃはあまり親しくないお友達でも、必死になって気を使い、なるべくその子がつまらなくならないように、連れてきたお友達より話しかけていた。

ただ、すごく無理をしていたからそんな日は決まって、とっても疲れていた。


そして、たくさん来てくれているお友達の中には、おうちのルールが厳しくて、我が家に遊びに来ていることを親に内緒にしている子がいた。

その子が学校での忘れ物を頻発したことが原因で、放課後遊びが禁止になり、しばらく来れないとお友達伝いに聞く。

かわいそうだね、と言い合うお友達の中で、ぴぃはどこか別の不安を抱えていた。

もし、うちに遊びに来てることまでその子の親にバレたら、自分も巻き込まれる・・・

マスク、除菌、換気は徹底していても、もしうちからコロナ感染してしまったら・・・

その子の親に怒られる・・・

そこまで考えて、別のお友達に、もし放課後遊びが解禁になっても、親に内緒で来てもらうのは、ちょっと・・・と不安を漏らしたことがあった。

ついでに、その子がよく連れてきて置き去りにするあまり親しくないお友達が来ることも、少し困るんだ・・・と思い切って伝えた。

恐らく、そのことがうまく伝わらなかったのか、遠慮もあったのか、当時来ていた子達は、だんだん来なくなっていって、4年生から来てくれている定番の2人だけがあしげく通ってくれる日々に戻った。

ぴぃにとっては心許せるとまではいっていない2人だけど、放課後の時間だけは不安を忘れてお友達とゲームで遊べるから十分だった。

そしてその時間だけが楽しみで、そのあたりから時計を見て生活するようになった。


ぴぃは徐々に自分のペースで過ごすようになっていった。

夜遅くまでゲームやYouTubeを見て過ごし夜の12時前後のタイミングでベッドに行き、朝は9時10時に起きてくる。

いろいろチャレンジしたことで私の心も整い始めていたので、恐れていた昼夜逆転も、受け入れる体制はできていた。

カウンセラーさんの

「早寝早起きする必要なんてないんです。だって学校に行っていないんだから」

と言う言葉は衝撃的だったし、何だか怖いほど腑に落ちた。

何かがあればちゃんと起きるのだから、今はその状態であるぴぃをいったん認めようと言う話だった。立ち上がるのはそれを経てからだと。

だから「もう寝る時間だよ」とか「朝だよ起きて」とか、ぴぃをコントロールするのをやめてみた。

ぴぃより先に寝るなんてなかなかできなかったのに、やってみたら意外とできたし、3日かもやれば慣れるんだと思った。

当時の私は週に1,2度出勤していたので、パパのお母さんに来てもらってぴぃをおまかせしていたが、そろそろ、ぴぃ1人でお留守番させてみようと思い立った。

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